木漏れ日の下の夢(2)
笑い声がした。
楽しそうな。そして少し意地悪そうな。
懐かしい。と思った。これは誰の声なのだろう?
「ふふ、最高!早く目を覚さないかなあ。」
「起こしちゃおうよ。」
女の子が二人。楽しそうに笑っている。額に何か当たる感覚がある。少しくすぐったい。先程まで感じていた、額の痛みは完全に消えていた。
僕は目を開けた。木漏れ日がキラキラと輝いていた。頬に当たる風が気持ち良かった。
僕は自分の『手』を見つめた。蹄ではない。人間の手だった。
ここは、どこ?
そう思って。次の瞬間僕は目を見開いた。
目の前に妹のリサがいた。
二歳年下の。金色の髪に藍色の瞳の妹。遠い遠い、療養所にいるはずの妹が。
「あ⁉︎お兄様。目が覚めた?」
そう言ってリサは陽光の下で眩しい笑顔を見せた。
「リラ。手鏡を持って来てあげて。」
「うん。」
リサの後ろには五歳年下の妹のリラがいた。僕と同じ赤い髪に水色の瞳の妹。男達の暴力の果てに死んだ妹が。
これは夢なのだろうか?
リラは踊るように軽やかな足取りでガゼボへ向かい、テーブルの上に置かれた手鏡を持って来た。
まだ意識がはっきりとしない僕にリラが手鏡を渡してくれる。その中にある僕の顔は・・・。
・・黒いインクでイタズラ書きをされていた。
「あーはっは!」
「きゃはははは。」
妹達が声をそろえて笑う。
その声を聞いて、僕はこれは夢ではない。現実だ。とふいに思った。こういうしょうもないイタズラをする妹達だったのだ。
「・・どういう事だ。」
僕は手鏡の中の自分の顔を眺めた。家族を失って以来、身だしなみを整えようという気がなくなり前髪など長く伸びてボサボサだった。だけど手鏡の中の顔はすっきりと髪を切りそろえている。
「どうもこうもないわ。ラビちゃんを枕にした報いよ。」
そう言ってリラがお気に入りのウサギのぬいぐるみを抱きしめる。リラは満面の笑みだった。リラは間違いなく生きていた。
「どうしたの、リュッカ⁉︎その顔は?」
懐かしい声がした。振り向く事が怖かった。それでも僕は振り返った。そこに母がいた。会いたくて会いたくて、会いたくてたまらなかった母がいた。
「・・お母様。」
僕の目に涙が滲んだ。
「ちょっと!泣かないでよ、こんな事で!」
とリサが口をとがらせる。
「リサ!リラ!あなた達がしたの⁉︎あなた達は本当にもう・・・。」
「だってお兄様、ラビちゃんをいじめたのよ!」
「だからって、やり過ぎよ。リュッカも、こんなに描き込まれて気がつかなかったの?そんなにぐっすり眠っていたの?」
そう言って、白いハンカチが汚れるのも気にせず母は僕の顔を優しく拭いてくれた。
「全部は落ちないわね。石鹸で顔を洗っていらっしゃい。それからお茶にしましょう。ちょうどパイが焼けたから。」
母はそう言って微笑んだ。
僕は立ち上がった。その頃になってやっと。ここがサンテミリオン侯爵邸の中庭である事に気がついた。
歩きながらも頭がふらふらする。僕はひどく混乱していた。
「うわ!坊っちゃま。どうされたんですか、その顔?アライグマみたいになってますぞ。」
すれ違った執事のレイモンに言われた。レイモンは祖父母が生きていた頃から我が家に仕えてくれている執事だった。そして、父と共に殺されたのだ。
「すぐ、石鹸とお湯を用意します。」
そう言って何人かの従僕の名を呼んだ。皆『闇の蜘蛛旅団』に殺された使用人達だった。
僕は掃き出し窓から居間に入った。懐かしい部屋、懐かしい家具がそこにあった。でも、普段はそこに無いものがあった。暖炉の上のマントルピースの上に『アドベントカレンダー』が置いてあったのだ。
毎年、両親の結婚記念日の一ヶ月前から用意されるそのカレンダーの上部には『王国歴255年』という数字が書いてあった。
『今』は王国歴257年だったはずだ。時間が巻き戻っている!僕は呆然とアドベントカレンダーを眺めた。
どうして⁉︎
体が芯から震えて来た。夢ではないか?と思った。夢なら覚めないで欲しかった。だけど、もしこれが現実ならば。
考えられる可能性は一つしかない。
『古の秘宝』
その力だ。
アドベントカレンダーは、日付が書かれた小さなドアの向こうに小さなおもちゃやお菓子が置かれている。ドアは15日まで開いていた。つまり今日は王国歴255年9月15日なのだ。カレンダーの最終日。30日が両親の結婚記念日でその前日に皆既月食が起こる。その日に、この屋敷は『闇の蜘蛛旅団』に襲われたのである。
・・あと二週間。
これが夢ではないのなら。
あるいは『古の秘宝』が見せている幻ではないのなら。
これが確かに現実であるというのなら、僕は必ず家族を守ってみせる!二度とあんな悲劇を繰り返したりはしない!
そう決意して僕は、爪が食い込むほど強く手を握りしめた。
顔を洗い、中庭のガゼボに戻ると家族全員がテーブルの側にそろっていた。
父のジェラールと母のリドヴィナ、妹のリサとリラ。
父の生きている姿を見るとまた涙が滲んで来て、僕は慌てて目をこすった。
「あ!お兄様、やっと来たー。」
「お兄様、目が真っ赤。ラビちゃんみたいー。」
「石鹸が目にしみたんだよ。まぶたにまで落書きするのはやめてくれよ。」
嘘である。
顔を洗いながら、後から後から涙がこぼれて来たのだ。どれだけたっても涙が止められなかった。涙なんかとうに枯れ果てたと思っていたのに。新しい涙が目から溢れて来た。
僕が席に着き、父が家族全員分の紅茶を淹れてくれる。母は手作りのスモモのパイを切り分けて皿にのせてくれた。
二年前まで、この風景は日常の事柄だった。失って始めてどれほどかけがえのないものだったのか痛感した日常だった。
パイを焼くのは母の趣味だった。しかし、下手の横好きな趣味だった。母が焼くパイはもさもさしていてあまりおいしくはなかった。二年前はそれをはっきり口にしていた。その事を激しく後悔した。母の焼いてくれたパイがもう一度食べたかった。
一口食べて。
「おいしい。」
嘘ではなかった。味覚が戻ったのだ。スモモのパイは甘くおいしかった。そもそもこの数日間、食べたものは残飯だけだったし。
「本当?今回はうまく焼けたかしら。」
母が嬉しそうに笑った。
「君の料理の腕は日進月歩進歩しているよ。」
と言って父が母の肩を抱き髪にキスをした。
「見えないところでやってよ。」
とリサが不機嫌な声をあげ、皆が笑い声をたてる。僕も笑いながら、必ず、必ずこの笑顔を守り抜いてみせる!と心に誓った。
その日の夜。
王太子であるセブランから手紙が届いた。
僕と父と母を三日後のお茶会に招待する招待状だった。




