木漏れ日の下の夢(1)
残酷描写があります
リュミエール邸の離れには大きな鏡がある。
その鏡の前で僕は考えていた。
ーーどうして僕の耳は垂れているのだろう?
短い前脚を精一杯伸ばし、耳を立ててみるが、前脚を離すとへにょんと耳は元に戻る。かつて人間だった頃、特別変わった耳の形はしていなかったと思う。なのに何故、六匹の猫達の中で自分の耳だけが垂れているのだろうか?
実は。かつて『豚だった時』も自分の耳だけが垂れていたのだ。
僕は耳を伸ばし、体の向きを変え右側を見て左側を見た。そして前脚を離す。やっぱり耳は、へにょんと垂れた。
「どうしたの、赤君⁉︎」
アシールの奥さんの声が背後から聞こえて来た。
「どうしたの?もしかして耳がかゆいの⁉︎私の故郷では『春のアワビを食べると猫が耳が落ちるほどかゆがる』というのだけど、アワビは食べてないよね?今夏だし。何か変なものでも食べちゃったのかなあ。お医者様のところに行く?」
僕は『医者』が苦手だ。人間だった頃、採血する時失敗されて血が腕から噴水のように噴き出した事があるのだ。病院に連れて行かれたりなんかしたらたまらない。僕は大急ぎで逃げ出した。
吾輩は猫である。名前はリュッカ・ド・サンテミリオンである。
と言っても生まれた時から猫だったわけではない。生まれた時は人間だった。
僕は筆頭侯爵家である、サンテミリオン侯爵家の長男として生を受けた。侯爵家の当主である母は王太子の乳母もしていた。なので僕と王太子であるセブラン王子は乳兄弟という関係になる。そんな僕らは実の兄弟のように仲が良かった。だけど結局そのせいで、今現在猫になってしまっているのだ。セブランはいろいろな騒ぎを引き起こす体質で、それに巻き込まれた僕とそしてセブランは今猫になってしまっているのである。
でも、まあ『今回』は人間の言葉がしゃべれるだけマシだけど。住んでいる所もリュミエール侯爵家の別邸である。美しく快適なお屋敷で、使用人達に「可愛いー!」と言ってもらいながら、三食昼寝付きの生活をしているのだ。
それに比べて『前回』は悲惨だった。前回は『仔豚』の姿に変えられたのだ。僕とセブランと従姉妹のブランシュ、セブランの秘書官アシール、そして『悪女』の兄であるジュストの五人は『仔豚』に変えられ、悪女自身は『ウリボウ』になっていた。
プーギッギッギ!
と楽しそうに笑う仔イノシシに黒豚になったジュストが突進!
悪女は壁に叩きつけられてあっさり死んでしまった。
僕達は焦った。
僕達を『古の秘宝』の力で豚に変えてしまった当人が死んだのだ。それ即ち、人間に戻る方法が無くなってしまったという事である。
僕達五匹の仔豚達は、ウリボウを取り囲み途方に暮れた。そこへ、王宮の侍従達がやって来た。彼らはまず王太子が行方不明な事に驚き、それから
「何でこんなに豚がいるんだ!」
という事に驚いた。
「セブラン様が、豚小屋から連れて来たのか⁉︎」
「というか、ウリボウが死んでないか?」
「何故、一匹だけイノシシなんだ⁉︎」
説明をしようにも、この時は人間の言葉がしゃべれなかった。豚の蹄では文房具も握れず、筆談もできなかった。ブヒブヒ言っている間に侍従達に抱えられ、王室牧場の豚小屋に連れて行かれた。
豚小屋は暗くて殺風景だった。食事はというと残飯だった。そんな食事ですら、本物の仔豚達にいじめられて食べさせてもらえないのだ。仔豚同士の喧嘩なら負けない自信があるが、親豚にしゃしゃり出て来られたら絶対に敵わない。空腹と寒さに震え、泣きながら豚小屋の隅で眠った。
朝になったら人間に戻れているかも。という淡い期待は期待で終わった。
王宮内はセブラン王子が行方不明になった事で大騒ぎになっている。そんな中で急に増えた仔豚に注目してくれる人はいなかった。
これからどうなるのだろう?という不安で気持ちが暗くなった。『悪女』を怒らせたセブランや、殺してしまったジュストに文句を言って喧嘩をしたくても、人間の声が出てこない。ただ、豚小屋の天井を見上げている事しかできないのだ。
セブランが心配されて行方を探されている事も羨ましかった。僕を探してくれている人なんかきっとどこにもいないのだ。
母上・・リサ・・。会いたいよ。そう思うと胸の中でハツがキュッとなった。
でも、そう思っているのは自分だけ。母も妹も僕の事を考えるだけで不快なのだ。そう思うと、ますますハツがきゅうぅっとなって視界が涙で滲んで来るのだった。
筆頭侯爵家の嫡子として幸せに穏やかに暮らしていた僕の人生がどん底にまで突き落とされたのは、二年前の事だった。
あの日は満月で、皆既月食があった。
それを一緒に見ようとセブランに誘われ、何人かの貴族の子弟達と一緒に王宮で過ごした。わあわあ言いながら、夜更かしをして僕が楽しく過ごしていた間、僕の実家は地獄絵図と化していた。
それが発覚したのは翌日の朝。
王都の公共広場に、布に包まれた物が転がされた。それは、父の『生首』だった。
我が家で何かの異変が起きたという事に気がついた騎士団は、我が家へと駆けつけた。王宮にいた僕のところにも情報は伝えられ、僕は急いで家に帰った。だけど家の中には入れてもらえなかった。家の周囲にいる事も危険だと言われ、僕は王宮に戻らされた。
やがて騎士団に伝えられたのは。
『闇の蜘蛛旅団』と呼ばれる盗賊グループが僕の家に押し入った。という事だった。
『闇の蜘蛛旅団』は元々、辺境を荒らし回る盗賊だった。そして今年の始めリーダーを含む盗賊の半分以上が西の辺境騎士団に捕らえられ処刑された。その残党が僕の家を報復で襲ったのだ。僕の家が報復の対象になったのは、父が西の辺境伯の次男だったからだ。
理不尽だった。
父と実家の辺境伯家は不仲だったのだ。理由は知らないが、父と母の結婚に辺境伯家は大反対だったらしい。結局父は実家と縁を切って母と結婚した。その為僕達兄妹は、父方の親族に会った事もなかった。それなのに、どうして!と思わずにいられなかった。
『闇の蜘蛛旅団』は男を皆殺しにし、女性を陵辱するという盗賊団だ。我が家の男性使用人達は皆殺しにされたという。母と上の妹のリサは生きていたが、下の妹のリラは死んでしまった。リラはまだ10歳だった。あまりにも惨い状態だからと、僕は父の遺体もリラの遺体も見せてはもらえなかった。地獄の夜を過ごした母とリサ、そして女性使用人達は誰も正気を保っていなかったそうだ。
母達はそれからすぐ、遠い土地の療養所へ行った。男の姿を見るとパニックを起こすらしく、僕は一度も母ともリサとも会わせてもらえなかった。それから今日に至るまで、一度も二人には会っていない。たぶん会える日など二度と来ないだろう。
辺境伯である祖父が僕を引き取ると言ったそうだが、僕は断った。父と母を冷遇しておいて何を今更!という気持ちだった。祖父達、辺境騎士団が盗賊を一部取り逃したからこういう事になったのだ。という恨みもあった。
侯爵家の差配は、母の同母弟であるオーギュスト叔父に任せ僕は近衞騎士団に入団した。いつか必ず家族の仇を取る為だった。
今まで貴族の男子のたしなみ程度しか剣を振るった事のない僕に、騎士団の訓練と生活は厳しいものだった。それでも体を鍛え剣の腕を磨いた。残酷さになれる為、罪人の処刑にも立ち会った。いつか必ず盗賊達を殺してやる。その復讐心だけが僕を支えていた。
それでも正直精神状態はボロボロだった。僕は事件以来味覚を無くしてしまった。何を食べても粘土を噛んでいるようだった。
女性にも近づけなくなった。オーギュスト叔父には叔父の娘のジブリールとの結婚を強く勧められたし、侯爵の地位に目の眩んだ女性達に言い寄られたりもしたが、母や妹達が経験した地獄を思うと結婚や性に対して身の毛がよだつほどの嫌悪感を感じた。
セブランやブランシュは僕を支えようとしてくれた。だけど優しくされる事さえ辛かった。
僕一人だけが、無事に生き残った。という事に対する罪悪感でいつも押しつぶされそうな状態だったからだ。
あの日から一度も、嬉しいとか楽しいという感情にはなれなかった。
常に怒りと憎しみ、恨みと悲しみで心の中はいっぱいだった。
そして今、豚小屋の天井を見つめながら胸の中は悲しみでいっぱいだった。
豚小屋の扉が開いた。
豚になるまで知らなかったが、豚小屋は宮廷人の密会や逢引きの現場に度々なっていた。
そして今日、豚小屋にやって来たのは意外な人物だった。叔父であるオーギュストが、見知らぬ男と待ち合わせをしていたのだ。
「急に呼び出して何のつもりだ⁉︎リュッカが行方不明になって以来、騎士団に付きまとわれているのに。こういうのは困るんだ。」
イライラした声で叔父は言った。
「こちらも困っていましてね。今月の上納金を追加でいただければ。」
「馬鹿を言うな。これ以上払えるか!」
「何を言っているんです。侯爵家の金を好き勝手に動かせる立場でしょう。」
「リュッカが行方不明だと言っただろう。今は、妙な動きなどできないんだ。侯爵家の金を横領している事がバレたら身の破滅だ。」
「二年前、私の仲介で『闇の蜘蛛旅団』に協力した事がバレたらどうせあんたは身の破滅ですよ。」
・・・え?
ドクン!とハツが跳ねた。
今、『闇の蜘蛛旅団』って言ったか?
叔父上が旅団に協力したって・・・・。
「私を脅すつもりか!」
「事実を言っただけですよ。そういえば、行方不明の甥っ子。ついに殺っちゃったんですか?」
「私は何もしていない。無論、いつかは事故に見せかけて殺すつもりだったが。王子殿下や騎士団長の子供らを巻き込んだりはしない!」
「プギイィィッ!」
僕は怒りの余り、柵に突進した。
憎んでも憎み足りない盗賊達。信頼していた叔父は奴らの協力者だった。
自分は何と愚かだったのだろう。疑いもせず、侯爵家の全てをコイツに任せていたなんて!
ドン!
ドドン!
と柵にぶつかる衝撃音が響いた。セブランもブランシュも柵に体をぶつけていた。二人・・いや二匹の額にも青スジが浮かんでいる。
「な・・何だ、この豚共。」
叔父が怯えた声をあげた。
だけど、どれだけ体当たりしても柵は壊れなかった。叔父の足に噛みついてやりたいのに近づく事もできない。
「人が来たらまずい。向こうへ行くぞ。」
と言って叔父と男は出て行った。足音が少しずつ遠ざかっていく。それを聞きながら涙がこぼれた。
僕の人生って何だったんだ。
どん底まで踏みにじられて。そしてその踏みにじった相手を信じ、頼っていた。
挙げ句の果てに豚の姿にされて。ここで一生を終えるのだろう。
あまりにも惨めだった。
その日の午後だった。
複数の足音が豚小屋に響いた。その足音に生理的な恐怖を感じた。男達は柵の前で立ち止まった。
「どの仔豚にする?」
「どれも一緒だろう。」
「王妃様は自称グルメだ。いろいろうるさいからな。」
「あの仔豚、額に怪我をしている。傷口から病の元が入って病気になるかもしれない。その前に・・・。」
男の一人が先の折れ曲がった金具を僕がしている首輪に引っ掛けた。抵抗するがぐいっと引きずられる。男達の手が僕に向かって伸びて来る。
「プギイッ!」
「プギイッッ!」
とセブランやブランシュ、ジュストにアシールが大声をあげて騒いだ。首を引っ張られて息が苦しい!
嫌だ!
死にたくない!
憎むべき仇がすぐ側にいる事がわかったのに!
このまま何もせずに死にたくない‼︎
お母様!
お母様!
お母様、もう一度会いたいよ!
僕は足を踏ん張った。
その時
「やめろ!」
誰かの声が響いた。あれは誰の声だったのだろう・・・。
次の瞬間。世界は真っ白になった。
というわけで、ヒロインはウリボウになっていました
今回の主人公はリュッカになります
どうかよろしくお願いします




