エスターさんの実家に行って来ました
五匹の猫の視線がアシールに集中する。
アシールは首を、ぶんぶんぶん!と横にふった。
だけど、エスターさんは全然疑っていないようだった。筆跡が違う、とか思わないのかな?と思って私は手紙を覗き込み、「あちゃー」と思って狭い額を前脚で押さえた。
手紙は『タイプライター』で打ってあったのだ。
こちらの世界は安寿がいた世界に比べて、科学や文明の度合いが明らかに劣っているのでパソコンやワープロは無いけれど、タイプライターは既に存在している。
もっとも、目玉が飛び出るほどの高級品なので一般にはまだほとんど普及しておらず、富豪の商人とか貴族とかあとはお役所が使っているくらいだ。
この手紙を夫からの手紙と疑っていないところからみて、アシールは手紙をタイプライターで打ってよこす人だったのかもしれない。あるいは、今までに一度も妻宛てに手紙を書いた事がないかのどっちかだ。
私はエスターさんの膝の上に座り、堂々と手紙を盗み読みした。手紙の内容に興味あるらしいセブラン王子やブランシュも、エスターさんの側に寄って来る。
手紙の文面は短かった。仕事がひと段落ついたので、今オービニエ家の商会にいる、だからぜひ会いたい。という内容だった。
私が人間だったら叫んでいる。馬鹿野郎、てめえがここに来い!
私の頭上を『詐欺です』という垂れ幕を持った、警官のコスプレをした天使が飛んで行く。
しかし、エスターさんは気づいていない。執事に夫が今実家の商会に戻って来ている。と告げて
「私、今すぐ商会に戻ります!」
と言い、更に海に飛び込んだ時に着ていた服に着替えて来ると言って部屋を出て行った。
執事も部屋を出て行ったので。
「アシールさん!」
「アシール!」
私と王子の声がハモった。
「エスターさんを止めて!」
「奥方を止めるのだ。おまえにしかできない。」
アシールは無言のままふいと顔を背け、そしてなんと横になって昼寝の体勢に入った。
「アシールさんってば!」
「落ち着くんだ、アンジュ。」
お兄様が私の肩を叩いた。
「いったい誰がこんな手紙を送って寄越したのか気になるじゃないか。」
「あのピンク髪に決まっているじゃないですか。エスターさんがこの家にいる事はあの女と商会の人間しか知らないんですから。きっと、エスターさんを実家に呼び戻してハムのように縛り上げて故郷へ送り返すつもりなんですよ。そして自分が捨てた婚約者と結婚させるつもりなんです。」
「あ、なるほど。」
「アシールさん!あなたの花嫁が略奪されようとしているのですよ。寝てないで対策を考えないと!」
「リュミエール姫君は、御父上とジュストの母上に結婚して欲しいのだろう?」
「え⁉︎それはまあ、そうですけど。」
アシールの突然の発言に私はきょとんとして答えた。
「男と女がよりを戻す事は決して不幸な事じゃないと私も思うよ。エスターお嬢さんも今はちょっと意地を張っているけれど、元婚約者と結婚したらしたできっと幸せになられるよ。相手は貴族だ。こんな平民の猫と結婚を続けるよりきっとずっと幸せだ。」
「なんでそんなに自己肯定感が低いんですか?それとも内心では、離婚して王女様と再婚したいと思っているのですか⁉︎」
「違うよ、ただ・・・何があってもどんなひどい目に遭わされても涙を見せる事がなかったお嬢さんが泣いているのを見たから。」
キイ、ガチャ、バタン。
玄関ドアが開いて閉じる音がした。
「エスター嬢が出て行った。追うぞ、みんな。」
「おー!」かける4。
アシールは無言で寝っ転がっている。
「団体行動を乱すな!」
と言って王子がアシールの首根っこをくわえて引きずった。
私達(アシールを含む)猫猫団は、エスターさんの後を追って走り出した。
私達はすぐにエスターさんに追いついた。
「あれ?みんな来ちゃったの?危ないよ。道路には馬さんがいっぱい走っているのよ。」
「ぶにゃー。」
「これから行く場所はとても遠いのよ。歩いて30分くらいかかるの。歩くの大変よ。」
「うにゃー。」
結局エスターさんは説得を諦めたようだ。というか、普通の猫は説得されても聞く耳は持たない。
エスターさんは楽しそうに歩いている。鼻歌まで歌っているようだ。とぼとぼと歩くアシールとのこの温度差よ。
なんでこんな素敵な娘さんなのに、絶対離さないぞ!という気概をアシールは見せないのだろうか?
普段から運動不足気味のアシールはついに途中で行き倒れた。エスターさんは嫌な顔ひとつせずアシールを抱き抱えた。まじで天使だわ。この人。
私もさすがに疲れて来た頃、エスターさんは遂に実家にたどり着いた。商会は商業区にあり、他の建物と比べてもひときわ立派だった。
中に入ると、入ってすぐの場所は大きな吹き抜けだった。四階まで空間が開いている。左右にそれぞれ階段があるが、そこにはおしゃれな絨毯がひいてあった。ガラス窓が多いので店内はとても明るく、お客様も多くて活気があった。
「エスターお嬢様!」
中年の身なりの良い店員が近づいて来た。彼は眉間にしわを寄せて言った。
「駄目ですよ、猫なんか入れたら。大事な商品に傷をつけたり店内で粗相をしたらどうするんですか!」
「支配人。この子達はそんな事しないわ。」
「いけません。おまえ達とっとと出て行け!」
「やめて。この子達はリュミエール侯爵家の猫よ。怪我をさせたら大問題になるわ。」
支配人とやらが、振り上げた手を下ろして「ちっ」と舌打ちした。
「いきなり役人が来て、荷物を届けに来た時はびっくりしたのですよ。商会の評判が落ちたらどうするのです。」
支配人がくどくどと文句を言う。自分が仕える主人の娘に対して態度が悪い。いつもこんな態度なのかと思うとエスターさんが可哀想だった。
「ごめんなさい。ところで、アシール様が来ておられるのでしょう?いったいどこに・・・。」
「あ、お姉様だあ。待ってたのよう。」
この鼻が詰まったような声。エスターさんの妹のミルカの声だ。
「さあさあ、お姉様の大事な人は四階の応接室で待っているから。さあ、行こ行こ。」
四階と聞いてちょっとげんなりした。しかし、ここで立ち止まっているわけにはいかない。くっ。抱っこされているアシールがうらやましい!
お兄様やブランシュに気遣われながら私は四階に登った。重厚なドアがあり、そのドアをミルカが開ける。と同時に、エスターさんを突き飛ばした。
エスターさんはよろけたが、アシールよりよっぽど体幹が強いらしく、よろけただけでこけはしなかった。
王子とブランシュがミルカに対して「しゃー!」と怒りの声をあげたが、ミルカは鼻で笑いドアを閉めた。
「エスター!」
中にいた男性がソファーから立ち上がって言った。
「ユベール様。どうしてここに・・・。」
それは、エスターさんの元婚約者の名前だった。




