ブランシュがウミネコとケンカしました
私達が暮らしているリュミエール邸は、港の近くにある。
二階の窓から海が見える景色の良いこの地区は、貴族街ではなく富裕な商人や文化人が多く住む地域だ。
猫の足でも10分も歩けば、海の側の市に到着した。
「わああ。」
と私はつぶやいた。
至る所に屋台が出ていて、お魚の炭火焼きや貝の浜焼きが売られている。
猫の姿になって以来、食事は茹でた鶏肉と野菜ばかりで魚を食べた事はなかった。どうやらこの世界の猫は魚を食べないようなのだ。
だけど旧日本人の私は魚が好きだった。一番好きなのはお寿司だったが、その次に好きだったのが塩焼きだ。炭火焼きの匂いをかいでいるだけで胸が高鳴った。
「あら、可愛い猫ちゃんね。」
と声がした。
干物を売っている、よく日焼けしたギャルだった。
「おいでおいで、これあげる。」
と言って小魚の干物をくれる。日本で『いりこ』と呼ばれていたものにそっくりだった。食べてみるとそっくりな味がしたから、きっとイワシの干物だったのだろう。
御礼に、差し出された手にすりすりすると、とっても喜ばれた。
「にゃー。」
という声がした。王子の声だ。王子は炭火焼きの屋台の側にいて、まるで招き猫のように私を手招きをしていた。
行ってみると、前脚で魚の切り身を持っている。屋台のおじさんが串焼きにしている魚の切り身を一切れ抜いて、王子にプレゼントしたらしい。王子はそれを私にくれたのだ。
魚はマグロだった。
食べてみると表面はパリッとこうばしく、中はレアになっている。マグロの脂が口の中でとろけていって泣きたいくらいおいしかった。
「三毛坊。友達か?」
とツヤツヤした頭の店主が言う。どうやら王子と店主は以前からの知り合いらしい。
「にゃんにゃ!」
「違うのか?じゃあ彼女か」
「にゃー。」
「そうか、そうか。もう一切れやるからおまえも食いな。」
そう言って王子だけでなく、騎士猫や秘書官にもマグロをくれる。いい人だ。
王子と一緒にいるとプレゼントがもらえる。というのは、ほらではなかったらしい。
もしもお父様に家を追い出されて地域猫になってしまったとしても、王子と一緒にいたら食いっぱぐれる心配はなさそうだ。
一瞬、王子と結婚するのもいいかも。と血迷った考えを抱いてしまった。
何を馬鹿な事を考えているのだ、私!絶対に人間に戻って、医者になるんだ。
と私はおのれに喝を入れた。
でも一瞬、血迷ってしまうくらいマグロがおいしかったの。
もっとくれないかなあ、と思っておじさんを眺めていると
「アンジュ、お腹が空いているの?」
とブランシュに聞かれた。
「だったら私が、カモメを獲って来てあげる。」
と言って空を舞う何十羽もの海鳥を見上げる。
生きた鳥の生食なんかできるか!と思いつつ私は
「遠慮します。それに、この鳥達はカモメじゃない。ウミネコですよ。」
と返事した。
「ウミネコ?なんでネコって名前がついているの?」
「鳴き声が猫に似ているからです。」
「似てる?」
「さあ、似てると言えば似ているのではないのでしょうか?」
途端に、きっ!とブランシュは空を睨みつけた。
「本物のネコとして、あんな偽物に負けるわけにはいかない!勝負して来る!」
何でだよ⁉︎あんた一応猫じゃなくて人間でしょ!
と思うが、ブランシュは防波堤にとまっていたウミネコの近くに駆けて行った。気配に気づいたウミネコが身構えてブランシュを睨みつける。
その視線を正面から受け止めウミネコを睨むブランシュ。
両者は激しく睨み合った。
「ブランシュ、やめなよ。あなたは王子の護衛でここに来ているのでしょう!」
と叫びたかったが猫の姿では叫べない。
ブランシュとウミネコは、武蔵と小次郎のようにじりじりと間合いを詰めて睨み合っている。
次の瞬間。
ドカッ!と後方から矢のように飛んで来た別のウミネコが、ブランシュの背中に見事なキックを決めた。
「んぎゃーーー!」
という叫び声をあげて、ブランシュは海に転げ落ちた。
私は仰天して、水際に走り寄った。二羽のウミネコは私の方を見てそれからお空へと飛んで行った。
「ブ・ブランシュ・・・。」
私は海面を覗き込んだ。1メートルほど下の水面でブランシュが必死に猫かきをしている。人間なら手がたいそうな壁面も猫の短い前脚では届かない。波は穏やかだが、猫の身にはまあまあの高さの津波だ。ブランシュは必死にもがいているが力尽きるのは時間の問題だろう。
「ああ・・・。」
どうしたら良いのかわからず、私は震える手で口を覆った。王子達も駆けつけて来て前脚を伸ばしているが、勿論脚は届かない。このままではブランシュが死んじゃう。助けて、誰か助けて!
と思っていた時だった。
後方から人が走って来た。そしてためらう事なく足から海に飛び込んだのだ。その人はなんと若い女性だった。
20歳くらいの女の人が一瞬のためらいもなく海に飛び込みブランシュを抱き上げて助けだしたのである。




