回帰
目を開けた時、私は緑豊かな茂みの中にしゃがみ込んでいた。
衝撃が強かったわりに体のどこも痛くない。
ここはどこだろう?そう思った瞬間、竹名安寿の記憶が『私』の中に流れ込んで来た。
まるで『私』というパソコンの中に『安寿』の記憶がアップデートされていくような感じだ。そして一分も経たずにアップデートは完了した。
『私』はアンジュ・ド・リュミエールだ。と、ごく自然に思った。だけど、竹名安寿としての記憶が確かにある。
あるけれど、あまりの非現実さに夢を見ているのではないかと思った。
アンジュがうたた寝をして、遠い異世界で竹名安寿という人間になって幸せに暮らしていた。そんな夢を見ていたのかもしれない。
そう思って、私は自分の右手を見てびっくりした。私は、友人のひーおばあちゃんの遺品の白い石のついたペンダントを握りしめていたのだ!
やばい・・。このペンダントは破壊兵器!
一瞬投げ捨てようとしてしまい、寸前で思いとどまった。どこかの誰かに拾われたらまずい事になるかもしれない・・・。
私は左手で頭を抱えた。
よくある異世界転生漫画では、一番最初に顔を合わせた使用人に、「今は何年?」とか「私は何歳⁉︎」と聞くものだが、聞かなくても今が王国歴255年で私が14歳だという事を理解していた。
私は14歳のアンジュ・ド・リュミエールだ。3ヶ月前に母親は、アル中の果てに食道静脈瘤破裂を起こして死んでしまった。近衞騎士団の団長をしている父親はほとんど家に帰って来ない。その為使用人は好き放題にしていて、はっきり言ってアンジュは使用人に虐げられている。
だが、ここ以外の世界を知らないアンジュはその事がわかっていなかった。
今、それがわかるのは竹名安寿として地球で暮らし、『常識』を勉強したからだ。
ずっとしゃがんでいると足が痺れてきたので、私は立ち上がった。
しかし、使用人達に見つかるわけにはいかない。今、家庭教師が来ていて、それで私は勉強部屋から逃走し庭に隠れていたのである。
というのも、その家庭教師がヒステリー傾向にあるうえ加虐趣味を持っているので、些細な事で揚げ足をとられてはムチでぶたれるのだ。
安寿としての記憶をアップデートした今となっては、その家庭教師がある種の異常者で教育者としては失格の変態だという事が理解できる。
使用人に見つかると家庭教師の所に連れて行かれるので、見つからないようこのまま隠れていなくてはならない。もしも見つかってしまったら、地球はタイの格闘技、ムエタイの秘技『ワニの尻尾蹴り』でも繰り出して逃走するしかないな。
14歳か。
私は考え込んだ。という事はまだ王太子と婚約をする前だ。つまり私が5人の人間を豚に変えてしまう前だという事だ。
何故こんな状況になったのかわからない。だけど、どうやら私にはアンジュとしての人生を生き直すチャンスが与えられたのだ。
だったら二度と馬鹿な真似はしない!
私はじっと考え込んだ。
過去の(未来の?)アンジュは、16歳で豚に頭突きをされて死んでしまった。
16歳より長生きをする為には、絶対に婚約者の王子や兄を豚にしてはならない。
その為には王太子に婚約破棄をされてはならない。
婚約破棄をされない為の最大の方法は、最初から婚約をしない事だ。
そして私が婚約者になってしまったのは、息子を失った伯父夫婦の養子になったからだ。
私が養子に選ばれてしまったのは、その時点で私しか伯父の兄弟の子供がいないと思われていたからだ。
つまり、従兄弟が死んだ時点で私に異母兄がいる事を伯父や父が知っていたら私は養子にならなくて済む。何故なら、爵位の継承は長子相続。性別に限らず早い者勝ちと決まっているからだ。
父は、今の時点では自分に息子がいる事を知らない。別れた妻が実は妊娠していたという事を知らず、先妻も父に知らせなかったからだ。
その先妻は実家で優しい両親の元幸せに暮らしていたが、父親が死ぬと意地の悪い兄と兄嫁に性格の悪い成金と無理矢理結婚させられてしまい、再婚してたった一ヶ月で夫に殴り殺されてしまう。
兄は、継父の元で暮らす気にはなれず実家にも帰れず、独り立ちしようとして近衞騎士団に入団する。そこで父と出会い、父は自分に息子がいた事を知るのだった。
うーん。アンジュの人生もけっこうハードモードだったけど、お父様の先妻さんの人生もかなり悲惨だな。
お父様とお兄さんが再会するのはアンジュが15歳になってからなので、この時期まだ先妻さんは生きているはずだ。
よし!
お父様に、実は息子がいるという事をバラそう。そしてお父様に先妻さんと再婚してもらいお兄さんを正式に息子にしてもらうのだ。
そしたら、従兄弟が病死しても私ではなくお兄さんが伯父様の養子に選ばれる。私が侯爵家の跡取り、将来の女侯爵候補から外れたら、私はあの浮気者の王太子と婚約をしないで済むのだ。
完璧じゃないか!
私は、ガッツポーズをとった。その時弾みで手に持っていたペンダントを落としてしまった。地面に落ちたペンダントが木漏れ日を反射しキラリと光る。
その光に不気味なものを感じた。水を入れたコップに滴ったインクのように、私の心にそのペンダントが暗い影を落としていった。




