光のどけき春の日の事
転んで頭を打ったとか、病気で高熱を出した事がきっかけで、自分が元地球の日本人で小説や乙女ゲームの世界に異世界転生していた事に気がついた。という作品が令和の日本には100万作くらい存在していると思う。
今、私の身の上にその正反対の事が起きている。
こけて頭を打った拍子に、自分が元異世界のアンジュという名前の侯爵令嬢で、地球の日本に異世界転生している事に気がついたのだ。
何故こけて頭を打ったかというと、女子をからかうアホな男子に飛び蹴りを喰らわせて勢いが余ったからなのだが、そんな事は今はどうでも良い。
私の過去世は貴族の令嬢で、しかも高慢、我儘、極悪令嬢だったのだ。
頭を打った事より、自分の過去世の悪虐っぷりがショックで私は頭を抱えたまま倒れ込んでしまった。
それは、13歳の光のどけき春の日の事。
その日1日私は再起不能で、救急車にお迎えに来てもらい、その後病院から家に帰った後もすっかり寝込んでしまった。
侯爵令嬢アンジュ・ド・リュミエールは我儘で癇癪持ちのどうしようもない娘だったが、本質的には私と同じ私である。
ものすごく性悪だったとかサイコパスな性格で生まれて来たわけではない。アンジュの性格が悪かった最大の理由は環境だった。
アンジュは放置子だったのだ。
誰もアンジュに常識や道徳を教えなかった。アンジュは16歳で死んでしまったが、死ぬまで母語の読み書きさえろくにできなかったのである。
アンジュの家庭環境は最悪だった。
アンジュの父親はリュミエール侯爵家の次男だった。そして、幼馴染の女性と相思相愛になって結婚した。二人はとても幸せに暮らしていたのに、隣国の王女だったアリエノールが父に一目惚れをして、父と結婚したいと大騒ぎをしたのである。
父は絶対に離婚はしないと言い張ったが、結局周囲から凄まじい圧力をかけられ愛する妻と離婚し、アリエノールと再婚したのだ。
当然父がアンジュの母であるアリエノールを愛する事はなかった。母は父の愛を得ようとして狂奔し、どんどんと精神を病んでいった。
一人娘のアンジュは、母にとって夫の関心を自分から奪うライバルでしかなかった。母はアンジュが幼い頃からアンジュを離れに押し込めて父と会えないようにし、育児は使用人に丸投げした。父も嫌いな女が生んだ娘であるアンジュに会いに来る事はなかった。
そんなアンジュを周囲の使用人はただ甘やかすだけで、誰も人格形成に責任を持とうとしなかった。アンジュが嫌がる事は誰も無理強いしなかったので、アンジュは勉強もせずマナーも学ばなかった。常に金切り声をあげて物を投げる母親を見て育ったので、気に入らない事があるとすぐに母親を真似て金切り声をあげて周囲に八つ当たりをした。その為、益々使用人達はアンジュから距離をとった。
そうしてアンジュは貴族令嬢でありながら、性根は蛮族というふうに育ってしまったのである。
そんなアンジュが王太子の婚約者に選ばれてしまった事は誰にとっても悲劇だった。
アンジュが14歳の時、リュミエール侯爵の一人息子だった従兄弟が病気で死んでしまった。その為アンジュは伯父である侯爵夫婦の養女になった。
アンジュの祖国では、王太子の妻となる女性は貴族家の当主、つまり女公爵や女侯爵であるべしという決まりがある。
そして国王夫婦の間に複数の子供が生まれても、王太子だけが玉座も王家の財産も総取りし、他の子供達は母親の爵位や財産を相続する。というふうにして、王家の財産を目減りさせないようにしてきたのだ。その当時、王太子と年齢の釣り合う高位貴族の後継者がアンジュしかいなかったので、アンジュが不戦勝で王太子の婚約者に選ばれたのである。
侯爵家の後継者になっても王族の婚約者になっても、アンジュを取り巻く環境は変わらなかった。伯父は領地経営で忙しく、一人息子を失った伯母は心の病にかかっていて、アンジュに関心を払う事はなかった。
そうしてアンジュは思いやりのない、人の気持ちのわからない無神経で粗暴な娘に育った。侯爵家の跡取りで、王太子の婚約者だから皆お世辞を言うばかりで誰からも叱られる事がない。無知で無神経なまま成長していった。
そんなアンジュの世界はある日暗転した。
突然王太子に婚約破棄されたのだ。理由は王太子が『真実の愛』の相手と出会ってしまったからだ。アンジュとの婚約破棄を宣言した王太子は「おまえの事が本当に嫌いだった!」と言った。
突然の婚約破棄に養父である伯父よりも近衞騎士団の団長をしていた父の方が激怒した。アンジュの事を家門の汚穢と呼んで怒り、修道院送りにすると宣言した。そして、侯爵家は父の先妻の子である異母兄に継がせると宣言した。
アンジュはその時まで自分に兄がいる事を知らなかった。
アンジュは全てを失ってしまった。
しかしアンジュは、反省などしなかった。自分の居場所を奪った異母兄や王太子の恋人を憎んだ。そして何より王太子を憎んだ。
そしてアンジュは復讐に出た。
アンジュは死んだ実母から、白い石のついたペンダントを渡されていた。そのペンダントは母の実家である隣国の王家に伝わる秘宝で、人間を動物に変える力があるとの事だった。
アンジュはそのペンダントを持って王太子の執務室に突入した。そこには、王太子と王太子の秘書官、王太子の護衛をする騎士が三人いた。その騎士の一人が異母兄で更にもう一人が王太子の恋人の女騎士だった。
アンジュはペンダントを掲げて叫んだ。
「この豚野郎共!本物の豚になってしまえ‼︎」
こんなセリフを叫んで豚にならなかったら悲劇だが、本当になったらもっと悲劇だ。
そして、なってしまったのである!本物の豚に。王太子と秘書官と三人の騎士達が。
それを見てアンジュは魔女の様に高笑いをした。
そんなアンジュに、豚のうちの一匹が突進して来た。
アンジュは壁に叩きつけられ、そしてそこでアンジュとしての記憶は終了である。
「うぎゃああああっ!」
私は頭をかきむしった。過去世の事とはいえ私はなんという事をしてしまったのか!
確かに婚約者がいる身で浮気をしていた王太子も悪い。だけど、アンジュにだって責任がある。アンジュは本当の本当に性格が悪かった。もしも私のクラスメイトにアンジュみたいな女子がいたら、つかみ合いの大げんかをした事だろう。
そして、三人の騎士と秘書官には何の罪も無かった。
いや、浮気相手の女には多少の罪があったかもしれないが、男達には何の罪も無い。それなのに、よりにもよって『豚』にしてしまうなんて!せめて、犬とか猫とかウサギとか、モフモフした可愛い生き物に変えてあげていれば。もしくは有名なバレエのように白鳥とか。
豚になどなってしまったらその末路は、焼豚か煮豚の二択であろう。私は、苦労して生きて来たであろう実の兄になんという仕打ちを!
今の人生で兄がいるから、尚更後悔で胸が痛む。
どうか願わくば、有名な物語のように恋人に「愛している」と言ってもらえたら人間に戻れたとかであって欲しい。
あるいは、イラクサで編んだ上着を身にまとったら人間に戻れたとか。「いいかげんにしろや、われえ!」と言われて壁に叩きつけられたら人間に戻れたとか。
私は苦しくて苦しくて涙が止まらなかった。
そして、こんな苦しい日に限って夕ご飯がトンカツだったりするんだよな。勿論、一口も喉を通らなかった。
目を真っ赤に腫らし、米とキャベツしか食べない私を家族はものすごく心配してくれた。
『私』は四人兄妹だ。兄と姉と妹がいる。時々ケンカはするけど兄妹仲はすごく良い。
中流オブ中流の、ごくごく平凡な家庭だが優しくも厳しい両親は、当たり前の常識を私達兄妹に教えてくれた。
自分がされたら嫌な事はするな。
自分の正義が人の正義とは限らない。
言葉は剣のように人を傷つける事がある。口から出す前によく考えろ。など。本当に当たり前の事を。
アンジュが誰にも教えてもらえなかった事を。
今ならばわかる。
どんなにアンジュが愚かだったのか。
上流階級に生まれても全然幸福ではなかった。だけど、できる事なら過去に戻りたかった。そして人生がやり直したかった。罪を犯す前に戻りたかった。
その日の夜。
ぼーっとしていても辛いだけなので、私は本を読んでいた。
読んでいたのは、昔の偉人の伝記本だ。私は『密林の聖者』とも呼ばれた医師アルベルト・シュヴァイツァーの伝記本を読んでいた。
シュヴァイツァーは、30歳までは自分の為に生きよう。それから後は人の為に生きる。と心に決めその通りに生きた。
私はその生き方に心を貫かれた。
アンジュは16年と半年を生きた。そして今私は13歳だ。合計すれば30歳だ。
今までは自己中心的に生きて来た。でも、明日からは人の為に生きよう。まずは医者を目指してみよう。そしてシュヴァイツァーのように医療が必要とされる場所にボランティアに行くのだ。そうやってノーベル平和賞がとれてしまうくらい人の為に尽くせば、いつか自らの犯した罪を贖える日が来るかもしれない。
そう考える事で何とか、罪の意識に耐える事ができた。
その日から私は生き方を変えた。
豚肉や豚骨スープを一切食べず、清く貧しく美しく生きる私の姿に友人には
「なんか宗教やってんの?」
と聞かれたものである。
そうやって生きる事数ヶ月。
ある晴れた日の事。自宅の近くの公園でフリーマーケットが行われた。
フリーマーケットは、エコというかエスデージィズな活動でありながら、必要なモノや欲しいモノがお安く手に入るという素敵なイベントである。私は小銭を手に公園へ向かった。
公園は活気で溢れていた。かなりの数の人が出店し、たくさんのお客さんで溢れている。
色の綺麗なハイヒールを何足も並べている人がいて、女の人が一人で店番をしていた。
それを見て、ほんと日本って治安の良い国だよなあ。と思った。露天に靴を二足揃えて置いている国は治安が良いそうだ。泥棒の多い国では、靴は片方しか並べないという。お金を払ってもらってはじめてもう一足の靴を出すのだ。
どうして私みたいな悪女が、こんな平和で幸せな国で良い家族に恵まれて暮らしているのだろう?そう思うと胸が苦しくなった。
「あ!けけたろーっ!」
・・・・。誰かが大声で私のあだ名を呼んだ。私の名字は竹名という。なので、幼稚園に行っていた頃からあだ名が『ケケタロー』なのだ。
ちなみに今更だが、下の名前は偶然にもアンジュなのだ。漢字では『安寿』と書く。『安寿と厨子王』の安寿だ。我ながらキラキラネームでありながらシワシワネームでもあるとつくづく思う。というか。
「あだ名を大声で叫ばないでください。ゆかりさん。」
私は同じクラスの友人に言った。友人は家族と一緒に様々な小物を並べて売っていた。
「まあまあ、いいじゃん。せっかくだから何か買ってってよ。」
「すごい量ですね。どうしたのですか、これ?」
「今年の始めに一人暮らししてたひーばーちゃんが死んでさ。広い一軒家に住んでたけど物で溢れ返ってたんだわ。これだけ並べても10分の1も減ってないよ。とゆーわけで、少しずつでも処分していかないとね。今時、捨てるのも金がかかるから売れる物は売ってお金に変えないと、と思って。」
「遺品じゃないですか。大切にとっておいたらどうですか?」
「この量でも10分の1以下だって言ったでしょうが!3LDKの我が家のどこにしまうのよ。ねえ、それよりこれなんかどう?ひーばーちゃんは本物の『円山応挙の掛け軸』だと言っていたわ。今なら友達価格で三千円よ。」
「まず、お宝を鑑定するテレビ番組に出てください。それで、本物と鑑定されたら三千円で買います。というか、本物ならひと財産じゃないですか。売らずに飾っておけばどうですか?」
「嫌よ。こんなカビ臭い幽霊画。どうせ飾るなら顔の良い2.5次元俳優のポスターを飾りたいわ。」
どちらにしても手持ちの金は三千円に満たないので買う事はできない。私は他の商品をじろじろ見た。しかし、言ってはなんだが、どれもゴミみたいにしか見えない。
「これなんか、どう?昭和の香り漂う『蚊取り豚』よ。」
「蚊取り線香の臭いしかしませんよ。他の生き物ならともかく豚はいりません。」
「ちっ。なら、とっておきのコレを出すか。じゃーん。ペンダント。」
そう言ってゆかりは、白い石がついたペンダントを出して来た。
私は息が止まった。
それは、あの、アンジュが母親から受け継いだ例のペンダントに瓜二つだったのだ。
そんな、まさか!
偶然に決まっている。あのペンダントと同じ物が、地球の日本のこんなど田舎にあるわけがない。だけど、それにしても似ている。石の色までそっくりだ。
「・・それ、見せてください。」
私は震える手でペンダントを受け取った。これが例のペンダントと同じ品なのか?ゆかりに向かって「コアラになれ!」と言ってみれば同じかどうかはわかる。でも、本当にコアラになってしまったらどうしたらよいのか!
だけど、これが例のペンダントと同じ物なら、他の人間の手に渡すわけにはいかない。アンジュのように邪悪な人間が手にしてしまったらまた大惨事が起こる。
「これ、いくら?」
と聞こうとした時だった。ものすごいエンジン音が聞こえて来た。
私が暮らしているのは、日本の首都ではなく政令指定都市でさえないローカル都市だ。よって車の所有率は一家に一台なんてもんじゃない。成人している人一人に一台である。
そして一般的な傾向として、若い20代の人に限って小回りがきき、破壊力も低めな軽自動車に乗り、そろそろ免許を返納された方が・・・というような方が3ナンバーのセダンに乗っている。乗っている方は大型車の方が何かあった時自分が安心。と思っているのだろうが、轢かれる方にとっては大型車の方がはるかに物騒だ。そして今、3ナンバーのセダンがすごい勢いで私とゆかりの方に突っ込んで来ている。
アクセルとブレーキ踏み間違えやがったな!
とすぐにわかった。
車に背を向けていたゆかりの反応は私より一瞬遅れた。私は思い切りゆかりを突き飛ばした。その反動で私はすっ転ぶ。すぐには立ち上がれない。
ああ、詰んだ。オワタ。
そう思い私は目を閉じた。
次の瞬間。文字通り息が止まるほどの衝撃を感じ、私の世界は暗転した。
北村すがやと申します
はじめましての方も、お久しぶりの方もどうかよろしくお願いします
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