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第八話 謎の佳人は何者か?

「さあ復讐だ!!!」

「なんであなたがはしゃいでるんですか」

「それはだって、貴女の新作を読める約束だし、憧れの作家に恩も売れるし」

「念願の敵討ちなのに軽すぎる……どうしてこんなことに……」


 貧乏な女大学生と、財閥の御曹司。

 あるいは、正体を隠した新人作家と、それを突きとめた熱心な読者。


 奇妙な組み合わせの二人は今、銀鳩館の花見の宴に加わっていた。招待客でも貴人でもないさくらは守衛に呼び止められたが、隣のかなたが微笑んだだけで、すんなり門を通された。話が早くて楽なことだ。


「しかも飛び入り参加なのに夜会服までお借りできるなんて」

「銀鳩館には東条家専用の客間があるからな。化粧室には婦人たちのための衣装が常備されているのだ」


 館から庭園に続く扉の一つから外に出たかなたは、振り返って同伴者の姿を眺め、満足そうに頷いた。


「俺の見立てに狂いはなかった! とてもお似合いだぞさくら殿!」

「どうも……。こんな高価そうな着物は人生で初めて着ました……。汚したら何十年分の負債ですかね……」

「そのまま貴女に差し上げてもいいぞ! 従妹(いとこ)用に仕立てられたんだが、彼女の気に入らなくて誰も着ていなかったのだ」


 恐る恐る庭に降り立ったさくらは、純白の振袖に身を包んでいた。

 清らかな白練(しろねり)の地に、肩から裾へ流れる雪輪(ゆきわ)と枝付きの桜の柄。雪輪は銀、花は薄紅色で、差し色は水縹(みなはだ)だ。これに合わせた、しだれ桜の織り出しの銀鼠(ぎんねず)色の帯、紅の紐の帯締めが全体を引き締めている。一見楚々とした印象でありながら、艶があり華やかな振袖だ。

 髪は下の方で結ってまとめ、銀の(かんざし)を挿している。今流行(はや)りの夜会巻きからは少し外した髪型だ。横側には桜花のつまみ細工が添えられて、烏羽玉(うばたま)の黒髪によく映えていた。どこからどう見ても完璧な華族令嬢の姿である。


 これら全て、かなたの見立てによるものだ。さくらには場面に応じた着物選びや適切な色合わせ等の教養はない。


「いやあ、やはり神山桜嵐の着物となれば雪と桜の意匠は外せないな! 白絹の振袖は『はるうらら』のヒロインが着ていた物と同じにしてみたがさくら殿にもぴったりだ、しかしさくら殿は作中人物よりも意志堅固で誇り高い御方だからな、柄と色とで印象を変えて、雪の中にすくっと立つ桜の木のような儚げながらも凛とした風情の——」


 ぺらぺらとかなたが得意げに喋るほど、さくらはいたたまれず口(ごも)った。容姿を褒められても何の感慨もなかったさくらだが、こうして作品のことを絡められると、どうも気恥ずかしい。

 だいたい虚構を生み出す作家は読者と現実で交流などすべきではない、とさくらの頭に文学者じみた面倒くさい信念が浮かんできて、ぷいっと彼から顔を背けると「行きますよ」と宴の中心を目指してすたすた歩きだす。かなたは、あっと慌てて追い(すが)ってくる。


 わー待ってくれーと小走りに駆け寄るかなたに、さくらは呆れを越してむしろ心配になってきた。無数の競争相手と仕事でしのぎを削らなければならないはずの財閥の御曹司が、小説などという趣味にかまけてこんなにふわふわとしていていいのだろうか。


 が、彼と共にやんごとない客人たちの中へ入って行った時、そんなお節介な気持ちは霧散した。


「これはこれは彼方殿。主催者が油を売っていてはいけませんぞ! ささ、こちらで我らと一杯」

「あら彼方様! ぜひうちの娘とお話ししていかれませんこと? 前々からお会いしたいと申しておりましたのよ」

「Sir, it is an honor to be invited. A most elegant night for blosssoms.(卿、お招きいただき光栄です。桜にふさわしい、実に優雅な夜ですな)」

「Monsieur joune Tojo! Quelle nuit……les fleurs parlent sans mots!(東条家の若君! なんという夜でしょう……花々が言葉なく語りかけてくるではありませんか!)」


 さくらが唖然とするほど四方八方からかけられる無数の声へ、かなたは人好きする笑顔のまま軽快に返していく。


「どうも田中(おう)、席を空けていてすみません。貴方のお好きな酒を用意してまた伺いますね!」

「鈴木夫人、こんばんは。お目にかかりたいのは山々ですが、今夜の私はなにぶん主催の身、多忙にて失礼致します、お嬢様によろしくお伝えください」

「Sir, the honor is mine. I am delighted the blossoms find your favor this evening.(大使、光栄なのは私の方です。今宵の宴をお気に召してくだされば幸いでございます)」

「Monsieur, vous les entendez si bien! Permettez-moi de dire que leur voix s’élève davantage en votre présence.(閣下は風流に通じていらっしゃる! 貴殿がいらしてこそ、花もいっそう豊かに語るのでしょう)」


 かなたは蝶のような優雅さで人々の間をひらひらとすり抜けていく。西洋語に通じたさくらは辛うじて会話を聴き取れたが、しれっと英倶蘭(イグラン)仏利西亜(フリシア)の大使までいた。彼らと気軽に挨拶できるかなたは何者だ。

 大したものだ。ため息を吐くさくらの胸に、初めてかなたへの感心の念が湧いた。


 主催者の彼に同伴している彼女もまた、どれだけ影を薄くしていても、明らかに目立っているらしい。大勢からの視線が突き刺さる。素朴な好奇心や野次馬の目だけでも疲れるのに、たまに敵意や良からぬ詮索の目もはっきり感じた。

 ある若い令嬢の一群などは、かなたに分からぬよう巧妙に(きり)のような鋭い眼光を向けてくる始末だ。さくらは視線で殺されるかと思った。


 しかし、少なくない話し相手から直接「ところでそちらの方は……?」と尋ねられても、かなたは自然な言い方で有無を言わさず、


「この女人(ひと)は後ほどご紹介させていただきます」


 と流してしまった。そうすると相手は、にこにこしているかなたと、硬い表情で俯いているさくらを交互に見やって、何か納得したような神妙な顔で引き下がる。

 さくらは途中で堪えられなくなり、かなたの服の袖を引っ張って、二人きりで話せそうな桜の木々の隙間へ避難した。


「あの、おそらく私たち婚約したと勘違いされていますけど……?!」

「そうだなあ。貴女がどこの令嬢で一体何者なのか大いに噂されているなあ」

「あなたはそれでいいんですか……?!」

「これも作戦の一環だろう? さくら殿への注目を十分に集めておいて、宴もたけなわになった頃が狙い時だ。全ては貴女の復讐のため。他意はないぞ? いや本当に」


 わはははと真意の読めない顔で笑うかなたの背を、さくらは黙ってばしばし叩く。かなたはわざとらしく「痛い痛い!」と騒いでみせてから、さくらの肩に軽く触れて、ある方向を指さす。


「ほら、あそこだ」


 遠目に見えるのは、赤い長椅子の端に座って、誰かと歓談しながら盃を傾けている初老の男。

 小沸源造。途端に、身の内で憎悪の炎がぶわりと膨らみかけるのを、かなたから小声で「まだだ。もう少ししてから」と注意され、さくらはなんとか気を落ち着かせる。新しい復讐の計画については銀鳩館に入る前に二人で話し合ったのだ。


 と、その時、小沸と話していた相手が長椅子を立ち、人々の間を縫ってこちらへ歩いてくるのに気が付いた。


 若い男だった。かなたよりわずかに年下だろうか。かなたと同じく上等な洋装で、より凝ったモダンな縦縞の三つ揃えを着ている。押し出しがよく華のある、歌舞伎役者の二枚目だと言われても納得するような美男子だ。

 彼の顔に浮かべられた、隠す気もなく敵対的な笑みを見てさくらは、いけすかない男がまた増えた、と思った。


「彼方兄上。姿を消してまたどこぞをほっつき歩いているのかと思えば、ずいぶんと可憐なお嬢さんをお連れですね」


 かなたは軽く肩をすくめる。そして、彼からの問いかけに答えるよりも先に、さくらに彼を紹介することを優先した。


「こちらは東条輝祥(てるよし)。俺の弟だ。母親は違うのだが」

「おや? まさか彼女はこの社交界にいて僕のことを知らないと?」


 ぐいっと割り込むように長身を折り曲げた輝祥は、さくらへ無遠慮な視線を投げて 「その着物は千秋の物だし」と呟く。

 千秋というのはおそらく、かなたたちの従妹の名だろう。彼はさくらの素性を訝っているようだ。


「故あって彼女のために拝借している。輝祥、こちらは雪園さくら殿という方だ」

「へえ? 彼方兄上に懇意の女性がいるとは意外だ。ですが、婚約者ではないのでしょう? 皆はどこの貴人のご令嬢だろうと噂していますが、僕は知っていますよ。数ある見合い話を先送りにしておいて……」

「詳しいことは後で話す。こっちに構っていないで、お前は後ろの御友人(・・・)たちと話していたらどうだ」


 かなたは輝祥の背後にそれとなくいる、弟の取り巻きらしい背広の若い男たちの集まりを顎で示す。異母弟と波風を立てる気はないのか、そこまで棘のある言い方はしていないが、さくらへの態度に比べれば淡白だ。


 輝祥は、意地の悪い光をきらりと目に宿して、ああ、と鼻で笑った。


「愛妾の候補ですか」

「違う。やめろ輝祥」


 鋭くかなたが制止した。そして、ぽかんとしているさくらの肩に手を添えると、彼女を弟から遠ざけようとしつつ「大変なご無礼を」と早口に謝罪した。


「弟には後で謝らせる。さくら殿、行こう」


 輝祥はそんな兄の様子をせせら笑う。


「愛妾だと何か都合が悪いんです? ハハ、いいんじゃないですか? 地位ある男には慰めが必要だ。お父上だって今も囲っている女性が何人もいるんですから。彼方兄上の亡きお母君のように」


 さくらは、かなたの横顔がぐっと険しくなるのを見た。静かな緊張と動揺が滲んでいるが、まだ落ち着きを失ってはいない。にこやかで調子のいい彼の姿しか見てこなかったさくらは軽く息を呑む。


「いい加減にしないか。お前自身の品位も落としているぞ」

「おや、彼方兄上には珍しいですね、なぜ怒ってるんですか? 妾も女性の立派な役割ですよ。多くの女性を養ってやるのは男の甲斐性だし、正妻だけに負担をかけずに子を沢山作ってもらえるのはいいことだ。別に何も恥ずべきことではないじゃないですか」


 口ではそう弁明しつつ、どう考えても輝祥は嘲りとして言っていた。そして、ぐいっとかなたを押し退けるようにさくらの前に割り込むと、戸惑う彼女の顔を覗き込んでにこりと笑い、胸に手を当てて慇懃無礼なお辞儀をする。


「お麗しいさくら嬢。まさに桜のごとく儚く美しい、責任も何も考えずに愛でられるのがふさわしい花のような女性でいらっしゃる。貴女がどんなお育ちか存じませんが、どうせ東条の財産目当てでしょう? なら、地味な彼方兄上なんかより僕をご主人にするのはどうです?」


 ざり、とかなたが足を一歩踏み込む音がした。

 強張らせた表情にいよいよ深い怒りの色が隠せなくなった彼が「お前……」と胸ぐらを掴みにかかった時、輝祥の口の端はわずかに上がった。後ろに控える背広の男たちが目配せし合う。


 それを見たさくらは、かなたの拳が握り込まれる前に、それまで重く閉ざしていた口を開いた。


「Les insultes sont les arguments de ceux qui ont tort.」


 振り返った兄弟と、遠巻きに見ていた周囲の人々が、一斉に彼女を振り返って目を見開く。

 和服の佳人から放たれた異国語に、空気は塗り替えられた。

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