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第七話 告白

 この世の楽園を絵に描いた花見の宴の隣。

 明るい賑わいから離れた、銀鳩館(ぎんきゅうかん)の外の冷たい暗がりで、女が血を吐くような告白をしている。


「私が小説を発表したのは、元からあの(かたき)(あぶ)り出すためです」


 さくらの語る話を、かなたは黙して聞いている。


「長兄を殺したのはおそらく小沸(こわき)、次兄をこき使って捨てた商家も小沸の手下です。しかしこれは推測であって物証はありません。奴のあくどい高利貸しの手口も、当時未整備だった法の穴を突いたもので、表向きは合法でした。司法や警察に訴えられない以上こちらから探し出すのは難しい。仇を見つけるには、相手からの接触を誘い出さなければなりませんでした」


 だらりと下がった右手の指先には洋墨(インク)が染みている。さくらはそれに左手で触れた。


「私はその手段として小説を使った」


 かなたは秀麗な顔を強張らせた。


「処女作の花霞は、文壇に注目されるために書いた作品です。無名の覆面作家が有名になるには、まず著名な文学者に評価されるのが必要ですからね」


 大学入学の直後、開明新聞社に入社したばかりの暁子を訪ねた。

 次兄の遺書を読んでから荒れていたさくらを知っている暁子は、「小説で復讐する」と突飛なことを言いだしたさくらの話を静かに聞き届けた。それから、真っ赤な紅の唇でにやりと笑うと、茶封筒に入った「花霞」の原稿を受け取った。


「『はるうらら』の連載は、世間の人気を得るために書きました。神山桜嵐の作品がより多くの人に読まれるように。普段読書をするような上流階層や知識人に留まらず、あらゆる人々の間で話題になれと願って」


 この頃から読者からの手紙や、同業者から神山桜嵐への取り次ぎを求める連絡が、新聞社に届き始めた。

 さくらはそれらを精査して、怪しい人物がいないか探し続けた。作品を読めば、神山桜嵐は北国出身の旧士族らしいことは推測できる。実際そうした噂も帝都に出回っていた。何より姓が神山である。見る者が見れば何か気付くはずだ。


 それと並行して、暁子に新聞社で得られる情報から例の高利貸しについて探ってもらっていた。取りうる手段で出来る努力を淡々と積み重ねていきながら、さくらは念じていた。

 魚よ網にかかれ。


「そうして、満を持して『江戸彼岸』を著しました」


 文壇の著名人たちに一方では絶賛され、一方では酷評された代表作。

 しかしおかげで大量の注目を浴びた。帝都のあちこちで人の口に上り、読んでいない者でもあらすじは知っている程度の流行小説になった。感想はさまざまだっただろうが、所詮は日々の娯楽のひとつ。小説が執筆された背景と無関係な者にとっては気軽な話題の種でしかない。

 そう、無関係な者にとっては。


「あなたも気付いたでしょう? 雪に閉ざされた北国の士族の家が、騙され奪われて悲劇の末に滅びるまでの一代記。あの小説はほとんど神山家のことを書いた物語です。小沸が為した悪事も余すところなく書き込みました。心にやましいところがあれば無視できないはずです。あの作品は仇を誘い込むための罠だったんです」


 果たして、接触はあった。

 奴はわざわざ新聞社まで赴いて『江戸彼岸』の作者を探りに来た。担当編集の暁子を捕まえて食い下がり、神山桜嵐の正体を吐かせようとしてきたらしい。暁子は適当にあしらい、後でその似非(えせ)紳士のことを調べ上げた。


 帝都と地方を行き来して名義をころころ変えながら、あちこちで金を転がして富を蓄えている小金持ち。十年前にはまた別名義でさくらの地元の辺りにおり、どんな手で稼いだかは記録上は不透明だが、とにかく財を成したことだけが分かった。

 なお、戸籍上は独身であるが、幾人もの幼い少女を囲い込み、好みに合わなくなったら遊郭に売り払っているという黒い評判があることも、暁子は花街への聞き込みで明らかにした。売られてきた少女には精神を壊していた者もいるらしい。


 この時点で、さくらの心は決まった。

 奴が『江戸彼岸』に反応したということは、罪の意識はあるのだ。誰かが自分の過去を暴くことを恐れている。そして報いを受けることを恐れている。


 ならばさくらが報いを与えてやろう。

 銀鳩館で客人が女学生に斬りつけられる大事件が起きれば、世の中の耳目が一気に集まる。さくらは逮捕され、間もなく神山桜嵐の正体であることが判明するだろう。

 同時期に開明新聞で神山桜嵐の最後の短編が発表される。つい昨日それを書き上げて暁子に渡してきた。その原稿で、小沸源造の所業を広く世間に明らかにしてやるのだ。


 そうだ。神山桜嵐の小説など、全て復讐のための道具でしかない。

 不純で、小手先で、打算だらけ。


「それなのに、あなたは私の作品に感動したですって?」


 さくらは何故かかなたの目を見ていられなくて、足元に視線を落としたまま吐き捨てる。


「私を酷評した人たちが正しかったのですよ。あんなもの文学じゃありません。あんなもの、人の感動に値しない」


 流行りに嚙みついただけの浅い批判もあったが、見る目のある幾人かの文学者はさすがに本質を突いていた。神山桜嵐作品の根底にあるのは悪趣味で低俗な意識と、世の中に対する底知れない悪意だと。


「……さあ、幻滅したでしょう。この肩の手を離してください」


 息を振り絞るように話を終えると、さくらは脇差の柄に手をかけて「離さなければあなたも斬りますよ」と目の前の男を脅した。声に覇気は無かったが、かちりと鯉口(こいくち)を切って刀身を光らせる。さくらは本気だった。


 かなたは微動だにしなかった。


「逃げるな、さくら殿」


 迷いのない強い語調だった。


「貴女がどんなに打算づくめで作品を書いたのだとしても、貴女がどんなに矮小で卑俗な人物だとしても。それを理由に、俺の感動まで否定される筋合いはない。神山桜嵐本人だろうと許さない」


 声に込められた怒りは本物だった。さくらはぐっと言葉に詰まってしまう。


「貴女は既に作品を世に発表してしまった。人に読まれるからには、人の心を動かす可能性があるんだ。貴女がいかに復讐の手段で道具にすぎないと弁明しようと無駄だ。現に俺は、動かされてしまった」


 偉そうに口を挟むな、と言ってやりたい。

 何も知らない部外者のくせに。何の苦労もなく育った御曹司のくせに。

 そう言ってやりたいのに。


「本当に力のある作品は、受け取った者の人生に良くも悪くも多大な影響を与える。あなたの小説はそういう作品なんだ。読者から逃げるな、さくら殿」


 なぜ、突っぱねられないのだろう。さくらは顔を上げてかなたの目を見る勇気が出ない。

 仇を殺すことも捕まることも死刑になることも恐ろしくなかった。それなのに今、自分を見つめているであろう目が。

 やけに怖い。


「『天よりも広きは人の心、心敗けぬ人は何者にも敗けぬ』」


 しかしその瞬間、さくらはつい頭を上げてしまった。

 かなたは真っ直ぐに彼女のことを見ていた。厳しい光を(たた)えていた瞳は、不意を突かれたさくらの顔を映すと、ふわりと柔らかに微笑んだ。


「……『江戸彼岸』の一節だ。主人公一家の長男が師である和尚から授けられた言葉。だが、これは仏利西亜(フリシア)の作家、フランソワ・ユーグから引用した文章だろう? 読んでいれば分かるぞ。貴女はやはり文学を愛している。だから自分の作品を貶めるんだ」


 そっと、肩から手が離される。まるでさくらが逃げることはもうないと知っているかのように。


「そんな文学への未練と自己嫌悪の末に、捨て鉢になってやる敵討ちでいいのか? その仇の男には、貴女が破滅してまで手をかけてやる価値があるのか?」


 そしてさくらは、もう逃げなかった。逃げられなかった。


「……ですが私は、敗けてはいけないのです」


 脇差の柄にかけた手には力が入らない。それでも手放せない。


「長兄にも次兄にも託されました。敗けるわけにはいかないのです」

「貴女の兄君たちは本当にそんなことを言ったのか? 全てを投げうって仇を討てと?」


 さくらは奥歯を噛みしめた。


「いいえ」


 長兄には誇りを守れと言われた。神山家と、それから、さくら自身の誇りを。

 次兄には——


「幸せになれと、言われました」


『さくら、敗けないで。どうか幸せになって』


 敵討ちなど、二人の兄の願いを無視した行為であることは重々分かっていた。罪人になっては誇りも幸せも何もない。


 でも諦められない。家族の無念を晴らしてやらなければ、どうしても気が済まない。

 これはさくらの我儘(わがまま)。さくらの問題なのだ。


「……どうすれば…………」


 さくらは途方に暮れてしまった。


 初めて、自分が天涯孤独だと、真に思い知らされたような心地だった。復讐に集中することで意識を必死に逸らしていたのに、もはやさくらを想ってくれていた家族が誰一人いない現実を直視させられるようだった。


 迷子のような顔で瞳を揺らすさくらを、かなたは少し思案する目で見つめていた。そして、ふと呟いた。


「敵討ち自体をやめなくてもいいんじゃないか?」


 はっとしてさくらが上を向くと、二人の目が合う。

 かなたの瞳は曇りがないまま澄んでいる。


「要は犯罪さえやめてくれればいいんだ。貴女には刀より強い筆の力がある。ちなみに、俺は今夜の主催者側の人間だが」


 脇差の柄にかけられたさくらの手に、かなたの手がそっと重なる。

 洋墨インクの染みた右手。それを、大きな両手で包まれる。


「協力するぞ、神山桜嵐。その代わり、」


 貴女の新作を俺に読ませてくれ。


 人の弱みにつけこんで利を得ようとするかなたは、財閥の御曹司にふさわしく抜け目ない商人の顔をしていた。

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