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第四話 玉の輿玉の輿!

「東条彼方。東条財閥の現総帥の長男で、筆頭後継者の三代目。十八歳から二十一歳まで西洋諸国へ留学、現地の大学を卒業。今は二十三歳。男爵子息。独身。いやあ、神山桜嵐にそんな超大型パトロンがつくとは驚きね」


 濃い珈琲をあおりながら暁子がにやりとする。手元には彼女の記者手帳があり、どうやら例の御曹司のことを前もって調べ上げておいたようだ。相変わらず仕事が速い。


「パトロンなんかじゃありませんよ。もう二度と会う気はないんですから」


 さくらは気まずく吐き捨てると、注文して届いたカレーライスを一さじ口に運んだ。暁子は大袈裟な手振りをつけて「もったいない!」と言った。


「そこは『あんたの好きな神山桜嵐の新作のためだ』って言って、伝手や資金を強請るところよ! 世間知らずな富豪のお坊ちゃんなんて、誰かの手のひらで転がされるためにいるんだから」

「アキ、私はあなたのような極悪人ではないんですよ」

「そう? でもサクだって、苦労知らずの金持ちとか大嫌いでしょ」

「大嫌いですよ。それとこれとは話が別です」


 暁子はつまらなそうに肩をすくめる。とはいえ、この女もまた、本来さくらが反感を持つ(たぐい)の出自の者なのだが。


 市川暁子はさくらの官立女学校時代の同級生で、唯一の友人である。

 官立女学校の生徒たちは、半数が裕福な家の志ある令嬢たちで、半数が没落した士族など貧しいながら立身を目指す娘たちだった。さくらは典型的な後者の生徒であるのに対し、暁子は西洋雑貨の輸入で成り上がった西の地方の金満家の娘で、どちらかといえば前者に属する。

 しかし、入学当初から暁子だけは、どうも他の生徒とは毛色が違っていた。


 さくらが成績優秀ながら内向的な性格ゆえに孤高を貫いていた一方、暁子は頻繁に授業を抜け出して学校外で活動している不良生徒だったので、どちらも周囲から少し浮いていた。

 だが、暁子は学校成績は芳しくないものの、別種の頭の良さがあった。情報を掴む速さと手腕がずば抜けていたのである。


 彼女が「この夏はこの髪型が流行る」と言えば、実際その通りになったし、「あの官庁は人員整理で危ない」と教えてくれる時は、本当に大量解雇が起きて新人募集が無くなっていたりした。

 真面目な同級生たち、特に育ちのいいご令嬢方は、暁子に少なからず胡乱な目を向けていたが、暁子がもたらす情報は有益な上にいつも正確なので、誰も彼女を無下にはできなかった。


 開明新聞社の見習いもその頃からやっていたようだ。さくらがそれを知ったのは、原稿料目当てに新聞社へこっそり初めての小説を送ってみた時だった。

 しばらく日が経った頃、図書室で勉強していたさくらの机に突然、やってきた暁子が茶封筒をどさっと置いた。頭を上げて怪訝な顔をしたさくらに、暁子は真っ赤な口を見せて笑い「あんた売れそうね」と告げてきたのである。


 その時の小説は結局掲載されることはなかった。しかし、暁子はやけにさくらを気にかけるようになり、浮いた者同士さくらも暁子とは妙に馬が合ったので、自然と二人で過ごすことが増えた。


 「西洋語が得意なら翻訳業はどうか」と、さくらに西洋文学を紹介したのは外国語教師だったが、「あんたは自分でもっと小説を書いたらどう」と勧めてくれたのは暁子だ。最初の小説が金にならなかった時点で、さくらは執筆への興味をなくしつつあったが、あの暁子がさくらの書いた物に価値を見出すのなら、まだ捨てたものでもない気がした。

 勉学の(かたわ)ら、さくらは原書で海外小説を読み、学内外の文芸誌に習作の掌編や詩や翻訳を少しずつ出すようになった。


 さくらが自身の正体を隠して小説を発表できたのも、暁子の手引きのおかげである。

 官立女学校を卒業後、暁子は官僚にも教員にもならず、学校には内密でかねてより見習いをしていた開明新聞社に入社した。新入社員かつ女子で初の正社員であるにも関わらず、瞬く間に彼女は社内で(はば)()かせ始め、素性も明かしていなければ実績もない新人作家の小説を紙面に載せた挙句、しかもそれを大当たりさせたのである。


 神山桜嵐がさくらであることを知っているのは、デビュー時からの相棒であるこの暁子だけなのだった。

 今までは。


「だけど、その苦労知らずの金持ちなお坊ちゃんに、神山桜嵐の小説が響いたわけね」


 興味深そうに暁子は頷くと、秘密が破られた危機感など特にないのか、からっとして提案する。


「意外と気が合うんじゃない? 意地を張らずに仲良くしてみたら?」

「本気で言ってます? あんな御曹司と私とでは住む世界が違いすぎますよ」

「ええ本気。何だったら、イイ仲になってゆくゆくは夫人の座に収まるってのも悪くないわね。玉の輿(こし)玉の輿(こし)


 きゃらきゃらと笑う暁子に、カレーライスを食している最中だったさくらはぐるりと目を回した。暁子は時々とんでもないことを言う。


「この私に殿方を落とせと? 亀に逆立ちしろと命令するようなものですよ。無理です無理」

「才覚で惚れさせるのよ。既に若君はあんたの作品にメロメロなんだし」


 そう言う暁子は、官立女学院時代から学校外でボーイフレンドを作っていた女である。しかも数多くいた。尋ねてみるたびに彼女の相手はころころ変わっているので、いつしかさくらは暁子の現在の恋人を確認することをやめた。


 さくらには恋に浮かれた経験などない。見合いや結婚の予定もない。自分が神山の家を担うならいずれは婿を、と少し考えたことならあるが、次兄が死んでからもはや関心も失せた。このまま独り身で死んでゆくのだろう。


「……私の作品を好いているなら、つまり彼には見る目がないということです」


 食後の水を口に含みながらさくらは思い出す。帝都大学の冬枯れの池まで一人でやって来て、さくらに神山桜嵐の文学を熱弁した男の目を。


 あの目が頭にちらつくたび、さくらの胸を不快に混ぜ返す。そうだ、さくらが一番気に食わないのは、彼が苦労知らずの金持ちであることよりも何よりも、あの瞳の輝きかもしれない。いけ好かない財閥の御曹司が、よからぬ悪だくみをして彼女に接触してきたのだとしたら、むしろどれほど気が楽だったか。


 なぜならさくらは、自分の作品があんな尊いものを見上げるような、崇敬の目で鑑賞するのに値する物ではないことを知っている。


「だって私の小説は……」


 言いかけてさくらは口を閉ざした。向かい合う暁子も、さくらの言わんとしているところを察知したのか、眉をちょっと上げて押し黙った。

 窓から午後の陽がさす店内の穏やかな賑わいが聴こえる。可否喫茶(かひきっさ)は盛況なようで、新たな来客を知らせる玄関扉の鈴が軽やかに鳴った。


 茶封筒に入った短編の原稿を受け取って、暁子は「そろそろ社に戻るわね」と席から立ち上がった。

 さくらも続いて腰を上げかけたところで、暁子は彼女の耳元に口を寄せて囁いた。


「例の高利貸し、見つかったわよ。今、帝都に上京してきているみたい」


 低い声。仕事を語る時の声音ではなかった。さくらは切れ長の目をいっぱいに見開いた。

 ばっと勢いよく頭を上げる。暁子は彼女特有の、妖しいほど真っ赤な口を開いて、付け足した。


「あんたの怨敵よ……」


 さくらの視界がぐらりと揺れた。心臓の鼓動が速まり耳鳴りがする。

 ああ。ついにつきとめられたのか。


 ——神山家の、因縁の(かたき)が。

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