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第十二話 結局誰よその女

 超然と花を散らす桜の古木もと、初老の男が一人倒れている。


 ——無傷なまま。


 桜吹雪がやみ、再び穏やかな夜風が吹きだした丘に、ぱちぱちぱち、と場違いに明るい拍手が聴こえる。


「やあさくら殿、上手くいったなあ!」

「まさかここまで綺麗に成功するとは」


 女——さくらは深く息を吐く。彼女が見下ろす足元には、気絶して口から泡を吹いている彼女の長年の(かたき)がいた。


 本当なら、殺してしまうつもりだった。だが、かなたに説得されたのもあり、さくらは当初の復讐案を改めたのだ。

 ただ殺してしまうのではもったいない。この男には彼の所業で犠牲になった者たちの恨みを、骨身に染みて実感させてやりたい。そして一生、己が恨まれているという恐怖に襲われ続けるといい。


 そのためには、どんな目に遭わせてやればいいか。

 それを考えた時——さくらには小説があった。


 かなたは、さくらが神山桜嵐の最後の作品にするつもりで暁子に渡しておいた短編の原稿も所持していた。なんと本物を丸ごとだ。暁子からの手紙と共に受け取っていたのだという。

 つまり、暁子はさくらの「自分が捕まったらその原稿を公開してくれ」という望みを叶えてやる気などさらさらなく、さくらの敵討ちをかなたに阻止させる気満々だったというわけだ。


 親友の度重なる裏切りにさくらは悔しさと怒りのあまり地団駄を踏んでやりたかったが、おかげで心血を注いで書き上げた作品がすぐ手元にあった。

 いいだろう。こうなったら、復讐という俗な目的のために書かれた自分の小説が、果たして仇の心さえも動かし、消えぬ衝撃を与えることができるのか試してみたい。

 そう決めたさくらに、かなたは大喜びで協力し、万全の場を提供してくれた。


「だが結局、さくら殿は筆と刀の両方を復讐に使ったな」


 近寄ってきたかなたに揶揄(からか)うように言われて、さくらは肩をすくめる。

 彼女の右手に握られた脇差は一枚の皮膚も切らずに終わったが、それでも仇に向かって刀は抜いた。武士の意地のようなものも捨てられなかったのだ。


 かなたは桜の枝に吊り下がっていた赤い提灯(ちょうちん)を取り外すと、木から数歩離れ、高く掲げて上下に大きく振った。塀の外に集って待機していた群が、それを合図に裏口の扉を開けてどやどやと入ってくるのが、丘の上からはよく見えた。

 かなたはさくらを振り返ってにやりと笑った。


「警察の連中には桜の陰になって見えなかっただろうから安心してくれ。さくら殿、完全犯罪だな!」

「傷一つつけていないのに犯罪呼ばわりとはひどいですね。殺さずに脅すだけにとどめたではないですか、あなたの提案通り」

「だが貴女の目論見通り、この男は一生消えない恐怖を抱えて生きていくことになる。目覚めたら正気さえ失っているかもな。貴女の小説が見せた幻のために」


 さくらは返事をしなかった。

 小説を、文学を、明確に人を破滅に追い込むための武器として使ったことに、後ろ暗い気持ちなどまったくない、とは言えなかった。おまけにそれを、さくらが今現在知っている、唯一にして一番の読者(ファン)に協力させて行った。


 さくらなりに思うところはある。本来なら幻滅されて然るべきだと、文士のなり損ないなりに感じている。


 だというのに、


「俺とさくら殿の共犯だな」


 彼の弾む声に嘘はなく、顔には本心から嬉しそうな色を湛えている。今ここで大事なことはそれだけでしかないと言うように。


「ああ素敵だったなあ『徒花』! 何よりさくら殿の声で少女の台詞を聴けたのが最高だった。いや、俺は作者と作品は切り離して考えるべきだと思ってはいるが、それにしても貴女の描く少女像はやっぱり……、いや、こんなことを言うのは野暮だな、やめだやめ、ああとにかく良かったなあ!」


 かなたが得意のお喋りに乗せて軽い調子で語っているその奥に、陶然とした瞳が垣間(かいま)見えて、さくらは(かす)かな怖さを感じるくらいだった。


 ——ひょっとしたら自分は、まずい男とまずい関係を持ってしまったのではないか?


 突き詰めて考えるのが恐ろしかったので、さくらは「何を言ってるんですか」と彼を受け流しながら、地面に投げ捨てていた鞘を拾い、綺麗なままの刀をそこに納める。

 それを袖の内に隠してしまったところで、「兄上!」と丘の下から駆け上ってくる影があった。


 主催であるはずの異母兄がいないことに気付いて銀鳩館から走ってきたらしい弟は、かなたとさくらと、倒れた小沸を見つけて声をあげた。


「兄上、これはどういうことです!」

「どうもこうも、お前の招いた客人がとんだ犯罪人で、朗読会の直後に何やら錯乱して逃げ出したから、この小沸という男を俺とさくら殿で取り押さえたところだ。警察もすぐに来るぞ」


 かなたが言うが早いか、ちょうど警察が丘の頂上に到着した。倒れた小沸の身柄を確保し、気絶した男の周りを大勢が忙しく働く様子に、輝祥(てるよし)は目を見開いて戸惑っている。かなたはそんな弟の肩を叩いて言った。


「この会の裏で小沸を逮捕することはあらかじめ決まっていたんだ。他の来賓を煩わせず、こっそり内々に身柄を警察に引き渡すためにこういう形になった。東条家の開いた会の客にこんな人間が混ざっていたと知られるのも良くないのでな。今夜、この男は銀鳩館の花見の宴などには居なかったし、この男はお前の知り合いでもなんでもない。いいね」

「な……」


 弟が言葉を失っている間にも、警察は黙々と動いている。どうやら事前に警察とかなたとで、小沸源造をここで捕まえさせる代わりに東条家との関わりの一切を秘匿にするという協定が結ばれていたようだ。

 彼の抜け目のなさに、そばで聞いていたさくらは半ば呆れて嘆息した。暁子の手紙を受け取った時点で、この段取りは決めていたのだろう。


「お前も人を見る目を養いなさい、輝祥」


 競争相手への嘲笑のようにも、兄としての優しい激励のようにも受け取れる言い方をされて、輝祥は顔を真っ赤にした。間違いなくこの件は弟の大失態だろう。しかし兄はそれを公にする気はないと言う。

 見くびられていると感じたのか、輝祥は我慢ならないといった調子で叫んだ。


「彼方兄上! ならば結局、その女は何者なのです!」


 いきなり矛先を向けられたさくらは眉を上げる。


 確かに当然の疑問だ。東条家の恥にならぬよう内々で済ませることにした問題を、なぜか現場に立ち会ってかなたと共に対処している見知らぬ女は、ただの来賓ではあり得ない。もちろん、朗読会のために呼ばれたただの作家でもない。


 かなたはどう誤魔化すつもりだろう。余計なことを言わぬよう口を噤んださくらは、そっとかなたに視線を向ける。


「…………そうだな……えーっと……」


 立て板に水の話術が一つの強みでもあるはずの男は、やけに歯切れ悪く口籠もっている。


 ——まさか、何も考えてなかった?


 ここにきてそんな致命的な準備不足とかあるのか? とさくらは驚愕してかなたを凝視したが、彼は完全に勢いを失して往生している。さくらの立場も考慮すると下手なことを言えないのだろう。


 と、なると、さくらが何とか言ってやるしかない。睨みつけてくる輝祥の眼光を前に、さくらは急いで頭を捻った。

 変に整合性をつけようとして色々それらしいことを言っても後でボロが出る。ならばいっそ、相手の想像の斜め上に飛躍した言い訳で意表を突いてしまう方がいい。


 そして、こう言った。


「彼は熱心な文学愛好者(オタク)で私のパトロンです」

「は?」

「私は彼をモデルに新作を書く予定なので密着取材中です」

「え?」

「なのでどこにでもついていきますが恋人や婚約者では断じてありません。もしそう見えたとしたらそういう体で潜入させてもらっているだけですのであしからず。あ、お家の内情とか個人的な秘密とか秘匿事項は守ります」


 さくらの声はありえないほど棒読みだったが、そんなことが問題にならないくらい輝祥がぽかんとしているのでよしとする。何ならかなたも呆気に取られている。

 その隙に、さくらは背中を向けてすたすたすたと丘を下りてしまった。後は逃げるが勝ちである。敵討ちさえ終わればもう彼らはさくらと関わりのある世界の人間ではないのだ。


 しかし、赤い灯籠に照らされる夜桜の木々に囲まれた道に降りたあたりで「さくら殿さくら殿!」と呼ばわる声が追いついた。

 黒い瀟洒(しょうしゃ)な洋装の男が、和服の女の横にざっと滑り込む。


「新作書いてくれる話、本気だったのか!」

「はあ、まあ……ここまで宣言してしまったら書きますよ。士族に二言はありません」

「やった! やった! 約束通り俺が誰より最初に読ませてもらうぞ! 何故なら俺は貴女の恩人で共犯者でパトロンなのだからな!」

「ああもう五月蝿(うるさ)いですよ! はしゃぐな! なんて恩着せがましい! これだから金持ちのお坊ちゃんは嫌なんです!」


 やかましい応酬を繰り広げる若い男女が、人気のない広い庭園から宴もたけなわであろう館を目指して、春の夜の小道を並んで行く。


 頭上には満開の、桜。

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