第356話 脱出の顛末
移動陣は、ダンジョンの入り口の門の外につながっていた。振り返れば、ぽっかりと口を開けているダンジョンがある。
ロゼリアは、移動陣から出られるようになると、すぐに陣からもダンジョンの入り口からも距離を取り、りのを後ろに下げて自分は前に立った。後続に何かあった時にすぐに動けるように。あるいは、何かあった時に、りのを守れるように。
護衛としての動きが骨の髄までしみついたような動き。レイピアを構え、静かに待機する。
りのも震える足を必死にこらえながら、その場に立っていた。
じっと見守る二人の前で、移動陣が再び光り始めた。
ぴかっと一瞬だけ赤い光を発し、それがおさまった時には、陣の上に。
「どわっ、アダン副団長、重い、ですっ……ぐえっ」
「うっせえ、行くぞ!」
地面に倒れ込み、ゼノンをかばうように上にのしかかりながら現われたアダンは、地上に出たことを確認したとたんに起き上がり、ゼノンの首根っこを引きずりながら移動陣から離れる。
ちらりとロゼリアとりのの無事を確認した後は、ゼノンをりのの横へ放り投げた。
自分はロゼリアより少し前に、大剣を抜いて立つ。
放り投げられたゼノンもきれいに着地し、振り返りざまに杖を構えて立ち上がった。
二人ともけがはなさそうで、りのは少しほっとする。
あとひとり。
地下の深いところから、重く何かが崩れ揺れる音が響いてきた。
初めは音だけだったそれが、次第に物理的な揺れにかわる。
ぐらぐらと地震のように地面が揺れる。
ダンジョンの入り口の天井からも、ぱらぱらと土の小さな塊が落ちてきていた。
ラウさん。
息だけで呟き、思わずりのは両手を胸の前で組み合わせた。
どっどっどっと心臓の音がうるさい。
どんな怪我をしていても戻ってきてくれたらいい、怪我なら絶対に治す――――
組んだ手をぎゅっと握りしめた。
緊張を孕んでじっと見つめる四つの視線の先で、移動陣が赤く光り始めた。
「!」
びかっと一瞬激しい光の後、陣の上には。
「ラウさん!」
「ラウ」
何事もなかったかのように佇む、長身の涼しい顔をしたエルフが一人。
「みんな無事ですね?」
りのはほうっと深いため息をついた。安どのため息。一息で体中の不安を押し出すくらいの、深い息をつく。
とたんに膝が折れて、地面にぺたりと座り込んでしまった。
でもいい、みんなちゃんと戻ってきたから。
「一番無事じゃねえのはあんただろう……」
あきれたようなアダンの台詞に、慌てて視線をあげると、地面にぽたりと赤い血がしたたり落ちているのが見えた。
ひゅっと息を飲む。
ラウは何も感じていないような顔で移動陣から出て、最後にちょっと大きいのに当たったんですよねえと笑った。
「ラ、ウ、さん?」
ラウは小さなりのの声をその長い耳で拾ったようだった。
困った子どもを見るように苦笑して、
「移動陣に入る直前に、天井から大きな岩が落ちてきまして。砕いたのですが、かけらを避けきれず、背中に当たってしまったんです」
「ああ、移動陣に乗ったら、大きい動きはできないですもんねえ」
ゼノンがそりゃあ運が悪かったですね、と笑った。
りのは笑い事じゃないと叫びたいのをむりやりに飲み下した。
冒険者にとっては笑いごとなのかもしれない。自分の常識が通じるところじゃない。だから怒るところじゃない。
やらなければならないのは。
「『サーチ』」
周囲に悪意や害意のある生き物がいないことを確かめて、震える足で立ち上がった。そのままラウの所へ走り出す。
「ラウさん後ろ向いて! すぐ! 今すぐ!」
目を丸くするラウの体に手をかけて後ろを向かせ、下に向かってぐいぐい引っ張った。
ラウは逆らわずにすとんと座ってくれる。りのは膝立ちになって、その背に手を当てた。
着ていた服が裂け、その裂けたところから赤い血が滴っている。
服を切りますねと一言告げてから、「カット」で背中の服を大きく裂いた。
服がはらりと落ち、彫像のような背中が現れる。
大きいのも小さいのも、古傷がけっこうな数残っていたが、それでも美しい背中だった。
しかし今はその美しさを堪能している場合ではない。
(「鑑定」――――裂傷中程度、太い神経と血管の損傷はなし、失血は……よかった、少しだけだ。体力もそれほど減ってないね)
ひとまず命に関わる怪我ではなさそうだと、少しほっとした。
背中の治癒は、ロゼリアやアダンや第三騎士団の騎士たちでいっぱい経験しているので、タブレットを出さずとも頭に入っている。
「ラウさん、私の治癒魔法、意識があったら痛いらしいので、まず鎮痛の魔法をかけます。次に炎症が起こらないように『クリーン』できれいにしてから、裂けた筋肉を治癒します。神経と血管の大きな損傷はないので大丈夫です。それでいいですか?」
早口で問いかけると、お、おう……みたいな反応が返ってくる。
「ええとリン、今の一瞬で、そこまでわかったのですか?」
「触ったら怪我の程度や詳細が出ます。それをもとに必要な治療を考えてるだけです。で、それでいいですか? 気になることがありますか?」
こうしている間にも血は流れているのだ。
「ええと、では、鎮静の魔法はいりません。通常の治癒魔術とどう違うのか試したいので」
「えー……痛いみたいなのに……まさかのラウさんМ疑惑……」
「えむ?」
あっこっちではまだない概念だったり? やっばうっかりこっちの世界にイケない扉を開くところだった……。
りのは、わかりましたではもう直でやりますね! と勢いでごまかして、
「『クリーン』」
まず感染症を抑えるために傷口の周辺をきれいにした。
それから、裂けた傷口、筋肉がふさがって、背中がしなやかな筋肉と白い皮膚に覆われている様をしっかりイメージして。
「じゃあいきますよ。『ヒール』」
手のひらから白い光がこぼれて、ラウの傷口へ流れ込む。
「いっ」
ラウの口から小さな呻きが聞こえたが、りのは無視して最後まで「ヒール」を維持した。
みるみるうちに、傷口の所だけ時間が巻き戻るように裂けた傷が元に戻り、くっついてなめらかになっていく。
「ん、できました。確認しますね」
美しい背中に手を当てて、「鑑定」を発動する。
「傷口はきちんとふさがってますね……内部の筋肉はまだ少し離れ気味かな? あ、ここ、神経に大きくはないけど損傷があるみたい。ラウさん、もう一回いきますよー。『ヒール』」
「い゛っ」
さっきより痛そうな呻きが聞こえたが、華麗にスルー。鎮痛の魔法はいらないと言ったのはラウである。
りのはぺたぺたと背中全体を触りながら、問題がないかを確認した。
「他に痛いところとか違和感があるところはありませんか?」
「大丈夫です……」
注意深く「鑑定」の結果を見るが、異常はなさそうだ。
はあ、と今度こそ深いため息をついた。
「ラウさん、終わりましたよ。治りましたけど、違和感があったら教えてくださいね」
「ありがとうございます、リン」
くるりと振り向いたラウは、いつも通りのラウで、飄々とした顔をしている。
「心配をかけましたね」
「――冒険者ですから」
「そうですね」
ラウはぽんぽんとりのの頭を撫でた。
「冒険者ですからいつものことですが、それでも、心配する子がいるうちは、気をつけようと思います」
ぼろりとこぼれそうになる涙をこぶしで拭って、りのはそうしてください! と告げた。




