第355話 渡り、還す
五人は、黒い水たまりを前に黙り込んだ。
敵意や殺意を見せれば、水たまりの……「混沌の水」の反撃を生む。
「圧倒的な力で吹き飛ばすしかないのでは」
ロゼリアが考え込んだ末にきっぱりと言った。
(あっ今ライリー団長っぽかった……!)
何かの雑談の折にアダンに聞いたのだが、ティレル五兄弟は、長兄と長女が文武両道、三男が文官特化、二男と二女が騎士特化らしい。つまりライリーとロゼリアが同じ枠なのだそうだ。ロゼリアはライリーより書類をさばけるが、芯の部分はやはりこう、筋肉で、ごにょごにょ……。
「もちろん最終手段として、です、よ……?」
みんなに生暖かい目で見られて、ロゼリアが目をそらした。かわいい。
「あの水、触ったらどうなるんでしょうね? 魔獣になったりするんですかね?」
「ゼノン君、絶対触っちゃだめだからね!! 実験させないからね!!!」
「あ、はいっ」
きつめに釘をさしとかないととりのは焦った。こういう子は、のめり込んだ職人や幼い子どもと一緒で、夢中になり始めたら何をするかわからないのだ。
びしっと言われて、ゼノンは、じゃあどこかに虫でもいないかなあと探し始めた。
(実験自体は諦めてないのかこの子は、もう!)
「ダンジョン核制御の魔道具が効くかは試したかったですねえ……」
「あれは貴重品だからしかたないだろうさ」
「もう一枚予備で持ってきておくべきでした」
「やめとけ。本部から何を言われるかわからんぞ」
そういえば、あの魔術陣はものすごく高価なのだと言っていたっけ……。
(あの魔術陣、ミルトニアの言葉? よくわかんないけど、その言葉で返す、戻すって書いてあったな……何を返して、戻すんだろう?)
それに、「混沌の水」の鑑定結果もなんか変だった。いつもはきちんとした文章で出てくるのに、なんかポエムみたいで。
(渡り、流れ、吸い、生み、還す―――かえす? 魔術陣にもあった言葉だ……)
何かが、どこからか渡ってきて、吸って生む……それをかえす? 戻す? それがあの魔術陣ってこと?
(渡る。――――世界を、渡る、次元を、渡る……?)
言葉が、状況がつながるとしたら。
ダンジョンの最奥で落ちた、りのの世界のテントやゲル。アーティファクト。
ダンジョンの最奥にあるダンジョン核、そしてダンジョン核になる前の、「混沌の水」。
それは、渡ってきて、おそらくロゼが言ったように負の感情を吸って、魔獣を生む……。
(じゃあ「還す」ってなんだろう……何を、どこに還すの? わからん……手がかりが少なすぎる……。それに、言葉通りだとしたら、「混沌の水」自体が異世界から渡ってきたものになるってこと……? ――――あ、だから、)
りのははっと顔を上げた。
ここにあってはならないもの、あるべきではないもの。
異質感、異物感。
存在の違和感。
(――――異世界から流れてきたものだから、そう感じるの? いやでも、あのテントとかゲルとかにはそんなこと思わないのに。カノンちゃんにだって思わないのに)
ああ、本当にわからない。
「――どちらにせよ、この『混沌の水』をこのままにしておくわけにはいきませんからね」
「だな。どちらにせよきれいに潰しておく必要があるだろう。必要が出れば他の邪魔ダンジョンに行けばいい」
そっか、きれいに潰すのか。
きれいに。
「――あ」
きれいにする。
そういえば、魔術陣にもそう書いてあった。
いろいろな術式の最後に、「きれいにする」と。
聖女が作った、きれいにする魔術陣。
きれいにする、魔法。
あ。
「リン? どうしました?」
目を見開いたりのに、ラウが問いかける。
りのは、ラウさん、ちょっとやってみたいことがあるんですけど、と相談を始めた。
「じゃあ、はじめますね」
りのはさすがに緊張しながら、みんなに声をかけた。
ダンジョン核を潰してから、もう少しで一時間ほどになる。
脱出は急いだほうがいいし、何より、もし「混沌の水」が消えた時、ここにどんな影響があるかわからない。
よって、万全の準備を期すことにした。
「『バリア』『アクセルレーション』」
「『身体強化』『速度強化』」
りのとゼノンの詠唱で、全員に防御とバフがかかる。
「最終確認です」
ラウの淡々とした声が響いた。
「リンの魔術で『混沌の水』が消えたら即退避。ゼノン、わかりましたね?」
「はい、大丈夫です!」
「いざとなったら俺がひっ捕まえて投げ入れるからな」
「失礼な! おれだってパーティーメンバーですから、メンバーの命をないがしろにするような真似はしません!」
「さっきとっ捕まえたアリを『混沌の水』に放り込もうとしてた奴のいうことじゃねえな?」
「迷ってやめるところだったんです!」
いつの間にか「混沌の水」の近くに寄っていて、焦ったアダンに首根っこをひっつかまれて連れ戻され、がっつり拳を落とされていたが、真実は神のみぞ知る、だ。
「ロゼリア、あなたはリンを抱えて魔術陣へつっこみなさい」
「了解。――『速度強化』」
ロゼリアは頷いて、りののすぐ横に立った。
「障害があればアダンとゼノンで防ぎ、道を確保しなさい。リンとロゼリアが魔術陣に入ったらあなた達も飛び込む。殿が私です」
殿を誰が務めるかで、少し言い合いになった。
副支部長でリーダーであるラウが務めるのは危険性が高すぎるというアダンと、だからこそ自分がするのだというラウ。
おれがやりますよと言うゼノンの言葉は、お前は残りかねないというある意味信用のある台詞で却下された。
結局、ラウの「王城関係者に何かがあったら、冒険者ギルドとの関係が悪化する」という一言で、ラウに軍配があがったのだが。
一同は、りのの魔法が何とか届くぎりぎりのところにいた。
すぐ後ろにはラウが開けた大穴があり、その向こうに赤い移動陣が見えている。
「さあ、では行きましょうか」
りのは頷いて、「混沌の水」へ、向き直った。
(どこかから……異世界から流れてきたものだから、返してあげたいと思ったのかな。迷子案内みたいなものかな)
それなら自分の不可解な心の動きもわからないではない。
そして、異物感を感じる理由にもなる。ここにあってはならないもの。悪意を吸って固まって、おぞましいものになるもの。
(だからその前に、――――きれいにしなきゃ)
両の手のひらを、「混沌の水」に向ける。
敵意でも殺意でもない、きれいにしましょうね、送り届けますねという気持ちをこめて、大部分の魔力を手のひらに集めた。
金色の光がきらきらとりのの両の手のひらに集中する。
「『クリーン』!!」
全力をこめたからか、手のひらから生まれた金色の光が、「混沌の水」を中心とした空間一帯に振りそそいだ。
光は「混沌の水」の水面にも落ちていく。
「……あ!」
りのの魔法に触れたとたん、黒い水たまりは端の方からゆらゆらと、蒸発するように消え始めた。
黒から青、紺、水色、あの円柱の表面をうぞうぞ動いていた色たちが、解き放たれたかのように金色の光を浴びながら宙へ、天へ浮かび、ふわっと消える。
蛍が乱舞するような、それは幻想的で美しい光景だった。
水たまりは少しずつ小さくなり、かすかになり、そして、ふわっと消えた。
ぐらり。
同時に地面が揺れる。
「行け!」
「はい!」
ぐいっとロゼリアの肩に担がれて、矢のようにりのの体とロゼリアは移動陣へ向かっていく。
りのはしっかりと口を閉じ、しっかりと目を見開いた。
何があっても見ておかなければならない。
後ろには、ぱらぱらと天井の石が落ちてきているあの謎の空間、そこから飛び出てくるラウ。
アダンとゼノンが魔術や剣戟を宙に放っているのも見えた。
りのが放った「クリーン」の最後の欠片が消えると同時に、辺り一帯が崩壊を始める。天井が落ち、壁が崩れ、土砂に埋まっていく。
そしてりのの視界が暗くなった。
ひゅん、と体が浮くような感覚。
(移動陣……!)
どうかみんな間に合って。
暗くなる視界の中で祈った。
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