第352話 確信
見た目は、美しい深い紺色をした円柱。
けれど、りのにはとてもおぞましいものに見えた。
あの黒い湖に、悪意と敵意と殺意を混ぜて固めたような。
――――そう、固めたような。
ぐらりと視界が揺れた。
足元がもつれて、膝がかくりと折れる。
「リノア!?」
隣にいたアダンがとっさに支えてくれたので、無様に倒れずにはすんだ、が。
「ごめ、……」
「喋るな。あの核か?」
小さく頷く。
「リン、自分の周りに『防壁』を張ってみなさい。あなたの作った、『バリア』でしたっけ、それでもかまいません。この円柱の気配を遠ざけなさい」
ラウの声が耳に届いて、りのは詠唱することなく「バリア」を展開した。
自分の周りに、攻撃も悪意も届かない、強くしなやかな壁を張る。
おぞましい円柱の気配を断つ。
ばん、と支えてくれていたアダンの腕と体が離れたのも感じたが、目をやる余裕がなかった。
気持ち悪い。怖い。
そのまま地面にぺたりと座り、両手を前について息を整えた。
落ち着け、落ち着け。
四つ吸って、四つ止めて、八つで吐く。
何度も繰り返してきた深呼吸で心を落ち着けた。
(なんだろ、息苦しい……深呼吸してたはずなのに……)
何度も呼吸を繰り返し、やっと恐怖と気持ち悪さが落ち着いてきたころに、空気が薄くなっていることに気がついて、慌てて「バリア」を音と空気を通すように張りなおした。
分厚いゴムの壁が、薄いラップになったようなイメージ。空気と音は通す。
知らずに溢れた涙を手で乱暴にぬぐって、辺りを見回した。
すぐ左横で、アダンが。反対側ではロゼリアが、心配そうにのぞき込んでいて。
「――ごめんなさい、もう、大丈夫」
「リン、お水飲めますか」
ロゼリアが魔術で水を出してくれたので、遠慮なく飲み、顔も洗った。
すぐにロゼリアが「乾燥」をかけてくれて、やっと平常心を取り戻す。
「立てるか」
アダンが手を差しのべてくれて、りのはその手を借りて立ち上がった。
少しふらふらしたが、歩けそうだ。
「すみません、ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です」
「リン、何を感じましたか」
ラウがりのの側にやってきて、直截に切り込んだ。
「――気持ち悪いです、その核。黒い湖は異物感とか違和感とかでしたけど、その核は、殺意とか敵意とか、悪意とかが混ざってる感じがします。今考えれば、魔獣もそうでした。その円柱は、異物感と悪意を混ぜて濃くして固めたみたいで、とても気持ち悪いです」
指で円柱を指し示しながら、把握したことを話すと、ラウは小さく頷いた。
「壊しましょう」
「ラウ、いいのか」
「構いません。トリスールは、核を破壊しても五年から十年でなぜか復活します。壊しても特に問題はありませんから」
ラウは、りのに一枚の魔術陣が刻まれた紙を見せてくれた。
「これ、は、」
「ダンジョン核の制御の魔道具です」
「魔道具……?」
どう見ても、紙に魔術陣が刻んであるだけだが。
「魔道具という言い方をしていますが、実際は魔術陣を刻んだ紙なんですよね。まあどちらも特別製で、作るのはとても大変らしいですが」
「誰が作ってるんですか……?」
「冒険者ギルド専属の魔道具師ですね」
「たしか……ミルトニアが召喚した聖女が作ったと聞きましたが……」
ラウは良く知ってますねとりのの頭を撫でた。
「そういうことになっています。ちょっとつじつまの合わないところもありますが。その聖女様から冒険者ギルドに作り方が授けられ、冒険者ギルドで制作と管理をしています。見てみます?」
手渡された魔術陣は、おそろしく細かかった。
(ミルトニアの言葉なのかなあ……魔術が細かい、っていうか、……なにこれ、浄化……っぽい? エイコさんの魔術陣の発展形……? いや違うな、返す、戻す、……きれいにする?)
今まで見たことのない詠唱が、やたらと整った図形のように並べられてとても読みにくい。
うーんわからん……と思いながら隅っこを見て、
(異世界人、聖女、るこる……?)
サインのように、魔術陣の端っこに小さく忍ばされた名前。
誰がこの魔術陣を作ったんですか、と呟いたりのに、ラウがさらりと、聖女ルコルという方ですよ、と教えてくれた。
(やっぱり制作者か……聖女ルコル……どこかで聞いたな……ううん、見たんだっけ……? どこで……?)
ルコル。ルコル。
はっ。
(ラリュー孤児院で見た資料! 王家の史料には載ってなかった聖女だ!! 大工で、ゼフィネ王国からネクス連邦へ亡命した聖女!!)
ミルトニア王国が召喚したはずの聖女が、実はウェルゲアから亡命した聖女だったとか……。
大工なのに、ダンジョン核の制御装置を作ったとか……。
情報過多にもほどがある……。
キャパの少ない私はもうお腹いっぱいなのですが……。
りのは、魔術陣の書かれた紙をラウに返した。
(でも確かに、この魔術陣、直線とかがいっぱいで建築する人っぽいと言えばそうかも。どちらかというとモダン建築っぽいな。フランスやイギリスのお城は趣味じゃなさそうな魔術陣だ)
現実逃避のように思って、空笑いがこぼれた。
「使い方は簡単です。この魔術陣を、あの円柱に貼ると、なぜか魔術陣が起動して、あの核が弱まります。今のままでは剣も魔術も通さないのですが、なぜかこの魔術陣を張ると攻撃が通るようになります」
なぜか、ということは、あの魔術陣は誰にも解読できていないということか……。
やってみましょう、とラウは無造作に円柱に近寄って、べしっと魔術陣の紙を押し付けた。
すると、きらっと円柱自体が光って、深い紺色だったそれが、ぐるぐると色を変え始めた。
薄い青から黒に近い紺色まで、円柱の表面をぐるぐると動き回っていて、それがとても気持ち悪い。
おぞましい。
ラウが戻ってきて、見ていなさい、と言って、はじめて杖を取り出した。
「『光の矢』」
ラウの中にたゆたっていた濃い魔力が杖にぐっと集中し、真っ白な矢がその先に生まれて。
すさまじい速さで光線銃のように飛んでいき、円柱にぶち当たった。
ぱ り ん。
妙に澄んだ音を残して、円柱が光に飲まれ、さらさらと崩れていく。
「はい、終わりです」
「えっ」
「あっけないものでしょう?」
ラウは杖をホルダーに収めて飄々と笑った。
「これで、このダンジョンは潰れます。そうですね、この規模だと、あと一時間ほどで下の階層から崩れ、最終的には入り口が土に埋まります。大型のダンジョンだと、ダンジョン自体が中にいる人間を弾くこともありますが、トリスールは小さいので自力で脱出しなければなりません」
まあ移動陣に乗って帰ればすぐなのですがね。
そう言うと、りのをじいっと見下ろしてきた。
背の高いラウとりのでは、頭一個分以上の差がある。その高さから見下ろされると、威圧感も半端ない。
「――リン、もしかして、まだ気持ち悪いですか?」
りのは小さく頷いた。
「あのかたまりが消えて、少し、軽くはなりました。でも、まだ気持ち悪いです。異物感があります」
ラウだけではなく、アダンもゼノンも、ロゼリアも、途端に難しい顔になる。
あの円柱以外にも、このダンジョンにはあの気持ち悪い、異物感を発する何かがある。
りのは、確信を告げた。
「たぶん、まだ終わってないです、このダンジョン」




