第350話 異物感
十五階層への入り口をくぐると、石造りの建物の正面に出た。
白い、というよりは少し薄汚れてグレーになっている石造りの建物だが、神殿というには規模が小さい。
(感覚的には神殿っていうよりは教会かなあ……壁があるしなあ)
向こうの世界の神殿は、柱がいっぱい立っていて吹き抜けの印象があるが、十五階層のこの建物は、壁と屋根があった。
「ラウさん、この建物、壊れたり崩れたりしないんですか?」
「不思議なことにしないんですよね。ここに限らず、ダンジョン内にもともとある建造物は、どんなに魔術をぶち当てようと壊れません」
なるほど、ダンジョンオブジェクトというやつなのだろうか。
足を踏み入れると、しんとした空気が満ちていた。
こちらの神殿は、りのの思う教会に近いところなのかもしれない。
こつこつと、みんなの足音が石造りの建物の中ではねかえり、残響と合わさってふしぎな音になる。
それほど広くない入り口から、奥に向かってまっすぐに歩いていった。がらんとした何もない場所だが、左右はそれほど幅がなく、奥に進むのだと自然に誘導されるような造りになっている。
「八十メートル先、中央に一」
「了解。クロクマですね」
「ここはクロクマしか出ねえからな」
しずしずと隊列を組んで進む。とはいえ、みんなあまり緊張はしていなかった。警戒はしているが、必要以上に体が硬くなったりはしていない。
(みんなすごいな、強者って感じ。かっこいー!)
どきどきしているのはりのだけっぽかった。
「ああ、いましたね」
ラウの声で、りのは小さく「バリア」と唱え、全員に防御の膜を張った。
「リン、まずクロクマを倒してしまいましょう。その後でダンジョン核のところへ行きます」
「わかりました」
ラウたちが立ち止まり、りのはゆっくりと進む。
ブラックブラッドベアは、りのより少し目線が低いくらいの四つ足のクロクマだった。
今までの魔獣と同じく、理性とか知性とかは感じられないし、違和感や異質な感じも変わらない。
(うん、怖いというよりは気持ち悪いなんだよねえ……近寄らないでって思う)
自分がなんでそう感じるのかもよくわからないが、りのは杖をクロクマへ向けた。
敵意が伝わったのか、クロクマが大きな声を上げて立ち上がる。そうすると、りのの倍あるかないかくらいの背の高さになった。三メートルくらいだろうか。
(エアコンがききづらい家の天井高くらい! おっきいー!)
少しずれたことを思いながら、りのは唱えた。
「『パラリシス』!」
があああああーっと叫んでいたクロクマが、ぴしっと固まった。
動かない。
声も出ていない。
何なら息もしづらそうだ。
「…………あれ?」
予想では、少し動きが鈍くなる程度だったはずなのだが。
りのでも動きの予想ができて、避けられるくらいのスピードにして、殴ってみるつもりだった、のだが……。
「えー……どうしよ、これ……」
魔術耐性が高いと聞いていたのでそうしたのだが。
「ガチで効いてるね、これ……」
もう一つ試すことにした。
今度は杖を向けず、指で。
「『スリープ』」
がくんとクマの頭が前に倒れ、そのままばたんと地面に倒れ込んだ。
まだ麻痺がきいているのか、両手を上げたスタイルのまま、ばったりと。
「えー……」
どうしよう。
しかたなく、りのはクマから視線を動かさず、声だけでお伺いを立てた。
「麻痺の上で眠っちゃいましたけど、このまま魔法で倒してもいいですかー?」
「待って待ってリノア様! おれ近くで見たいです!」
声と同時にゼノンがすっ飛んできた。
りのの横を駆け抜けて、クロクマの元へ近寄り、ぺしぺしとその頭を叩き出す。
「ゼノン君気をつけてね、効果がいつまで続くかわからないからね」
「はあーい!」
ラウ達もぞろぞろとりのの横にやってきた。
「リンの魔術は、魔術耐性の高い相手でも効力が減衰しないようですね」
「えー……私のギフトで作ったものだからですかね? 普通の、こちらの世界の魔術だったら減衰するでしょうか?」
「試してみりゃあいい。――――おいゼノン、ほどほどで戻ってこい!」
「待って、もう少し! あとちょっと! あとちょっとだけでいいから!」
ゼノンは、クロクマの足の辺りに「氷結」の魔術をかけていた。黒く太い脚を氷が覆い、それを砕いてはまたかけなおしている。
少しずつ「氷結」の強度を上げて、魔術のかかりやすさを実験しているらしい。
「おれの魔術は、やはりかかりにくくなってますね! 魔術耐性は高いままです!」
ほがらかな報告が来て、一同は顔を見合わせた。
「たまたま魔術耐性の低いクロクマだったってわけではないようだな」
「ということは、リンの魔術だけがクロクマに通ったということでしょうか。リンの魔力が高いからでしょうか?」
「どうでしょうねえ……ゼノンも魔力は高いはずなのに通じてませんからね。リンだけが特別、ということはありそうです」
「うーん……やっぱり試してみる必要がありそうですね。ゼノンくーん、もういい?」
「はあい!」
ゼノンは一通り試して満足したのか、スキップしながら戻ってきた。
わあ……うきうきでかわいいね……いい年した男のスキップなのに、美しいね……。
「じゃあリノア様、お願いします! 水がいいです! 氷でも可!」
うきうきと戻ってきたゼノンは、やはりうきうきとりのを急かした。
ブラックブラッドベアは、水の魔術に弱い。
「ええと、じゃあ『水刃』」
少し魔力を絞って、クロクマの右腕に水で作った刃を飛ばす。
すぱーん。
「おやおや」
「効いてやがる」
「おれの時とは全く違いますね! リノア様、他の水の魔術もお願いします!」
りのははいはいと苦笑して、次は「水球」を右脚にぶつける。
めこりと右脚がつぶれた。
「麻痺というか、睡眠の魔術がまだ解けないんですね……腕や足を潰されても、起きもしませんし……」
クロクマの目は閉じられたままで、ロゼリアがどことなく気の毒そうにそれを眺めている。
りのもだんだん申し訳ない気持ちになってきた。
ロゼリアにこんなシーンを見せて申し訳ないという気持ちと、早くクロクマをこの世界から解き放ってあげたい、という気持ち。
(――待って)
りのは、そこではっとした。
(何で私、そんな偉そうなこと思ってるの? 殺してるだけなのに、「解き放ってあげたい」って何目線? 私そんなところがあったっけ?)
自分の思考がどこか自分ではなくて気持ち悪い。
隠された一面が、魔獣を殺めることで出てきたのだろうか。それとも。
(昨日からずっと思ってた。ここにいてかわいそうって。助けたいってこと? 殺すことが?)
今までの自分にない思考回路だ。
命を奪うことに対する忌避感が弱い。違和感と異質感、気持ち悪さに押されている。
――――思考が、誘導されている?
思わず自分のステータスを確認したが、精神誘導されている気配はない。
ではなぜ。
冷たい汗が背中を流れ落ちていく。
そこに、、ラウの静かな声が響いた。
「リン、とどめを。これ以上はわかることもないでしょうし」
「あ、――はい、わかりました……」
りのは、小さく「風刃」と唱えて、クロクマの首を飛ばす。
あっさりとクロクマは光に還り、りのは小さなため息をついた。
「リン、ここで少し休憩をしましょう」
ラウがぼんやりとするりのの肩をぽんと叩いた。
まだお昼には早い。けれど、確かに少し体が重かった。
「ひとまず最下層を制覇しましたし、ここからまた一仕事ありますから」
「リン、フラップジャックがまだあったら頂けますか」
ロゼリアの軽やかな一言で、日常が戻ってきた気がした。
「――――まだ少しあるよ。ドライフルーツ……干した果物と、アーディルンもある」
「ああ、アーディルンくれ。お前さんが作ったのは何か他のと味が違ってうまい」
「じゃあお茶をいれましょうか」
アダンとゼノンも穏やかに空気を日常に引き戻そうとしている。
みんなが、様子のおかしいりのをさりげなく思いやってくれているのだ。
りのの肩から力が抜けた。




