第348話 朝食の風景
ぱかっとフライパンのふたを開けて、りのは満足げに頷き、後ろを振り返った。
「できたー! ゼノン君起こしてきてほしいでーす!」
「わかりました」
ロゼリアに言ったはずの台詞に答えたのはラウだった。
ゲルのドアを開け、ゼノン、十数えるうちに起きないと朝食抜きですよ、とにこやかに声をかけた。
ゼノンの声は返らない。
「リン、ゼノンは朝食はいらないそうです」
「ダメですよラウさん、ちゃんと起こしてください。ゼノン君が起きてこなくてもこっちの食べる領は増えませんよ、ゼノン君の分はよけておきますから」
「おや、そうなんですか……」
確信犯なエルフさんは残念そうに、ゲルの中に向かって指を振った。
途端に中からひゃああ! とひっくり返ったような悲鳴がして、よれよれとゼノンが出てきた。
「ふくしぶちょう、ひどいです……」
いやひどいのは君の格好ですけど!?
中身はアレだが、ゼノンの外見は中性的でこの世の美の粋なのだ。柔らかそうな桃色の髪はゆるく乱れて小さな顔をとりまいており、その髪の隙間から潤んだ大きなネオンブルーの目がのぞくのである。服も乱れているし、これはヤバい。迫真のヤバさ。
「おはようゼノン君早く顔洗ってきて朝ごはん冷めちゃうから!」
「はあい!」
朝ごはんの一言でとたんにしゃきっとし、ゼノンはセーフエリアの隅の水場に行く……ことなく、「水球」と詠唱して目の前に水球を出し、そこに頭ごとずぼっと突っ込んで、ぶるぶる首を振っている。
「魔術師って本当に生活面はずぼらでだめなのが多いんですよねー」
ラウがのんびり呟いている。
りのの横で、同じくフライパンでピザを焼いていたアダンはちらりとそっちを見はしたが、関わりたくなさそうにフライパンに向き直っていた。
ゼノンは水球を消すと、今度は「乾燥」と呟いて、顔と体を一気に乾かした。
手櫛で髪を撫でつけつつ、ラウの横にすべり込む。
(わ、わんこ……!)
ご飯の前に、顔いっぱいにわくわくを浮かべて待ち構えていた友人の所のラブラドールを思い出してしまった。
「犬だなあいつは」
隣でぼそりとアダンが呟くのがまたおかしい。
りのは笑いをこらえつつテーブルに歩み寄って、フライパンを鍋敷きと一緒に置いた。それからマジックバッグからブラウンシチューの鍋をとりだし、温めてこっちもどんとテーブルに置く。
「リノア、ちょっと見てくれ。これでいいのか?」
ちょっと不安そうにフライパンを差し出されて、りのは蓋をあけて中身を確認した。
「うん、ちゃんと焼けてる。気になるときはこうやってー」
指先に小さな火球を生み出して、それでピザの表面をこんがり炙る。
チーズに焦げ目がついてとろりと溶けて、食欲を煽る匂いが漂った。
おお、とゼノンが感嘆の声を上げている。
「少し炙ってあげると、よりおいしそうになるし、火も通るからやってみてね」
それからカットしたバゲットもついでに炙って、お皿にどんどんと積み上げた。
カット野菜も生で食べられるものを出し、バターと蜂蜜を添えてできあがりだ。
「すごい! かったい黒パンじゃない朝ごはん! 豪華だ!」
「たしかに、ダンジョンの中へ持ち込む食糧でおいしいものなんてほとんどありませんからね……」
ゼノンがはしゃぎ、ラウが遠い目をしている。
アダンの持ってきたフライパンも置いて、ロゼも座った。
「はい、今日の朝ごはんはセルフ……えーと、好きなものを自分でとって食べてください。このフライパンに入ってるのはピザっていう簡易パンに具をのせて焼いたものです。これはあと三枚分くらいは作れるから、おかわりが必要だったら言ってください。ではどうぞ!」
四本の手が同時にピザに伸びた。
あっという間にフライパンが空になり、りのはあっけにとられる。
(朝から食欲旺盛~~!)
慌てて、追加で用意していたピザ生地を空っぽになったフライパンに放り込み、「火球」を出してその上にかけた。
片手に「身体強化」をかけてフライパンを支え、もう片方の手でフルーツを食べる。行儀は悪いが許してほしい。
「リン、これを」
「あ、ロゼありがとう」
ロゼリアがりののカップにシチューをいれ、バゲットに野菜を添えて出してくれた。
カップに口を寄せると、クリームシチューよりさらっとした、スープのようなシチューが喉を落ちる。
りのの虚弱な胃に、朝からピザは重すぎるので、スープとパンとサラダくらいがおいしい。ロゼリアはそれをよくわかってくれていて嬉しかった。
「あ、焼けたかな。はい、追加どうぞ―」
焼きたてのピザをテーブルへ、開いたフライパンを回収して、もう一度ピザ生地を入れる。
さて焼こうかと思った時、アダンがりのの手からフライパンを取り上げた。
「練習がてら俺が焼くから、お前さんも食事をとれ」
アダンは、実は光以外の五属性持ちだ。対魔獣のエキスパートである第三騎士団の副団長を張っているのはダテではない。
りのは素直にフライパンを預けて、今度は落ち着いてスープとパンを口にする。
バゲットにバターを塗って野菜をのせ、簡単オープンサンドにして食べる。合間にシチュー。
(ボリュームを考えてシチューにしたけど、スープの方でもよかったなあ。次はどっちも作っておこう)
そうこうしているうちにピザが焼けて、アダンがテーブルにそれを置く。
開いた方のフライパンは、今度はゼノンが焼いてくれるらしい。生地を置いたフライパンを渡す。
「ゼノン、俺の『火球』の最小で五分から六分だ。お前はもう一段落とした方がいい」
「ありがとうございます! 『火球』」
真面目な顔で、ピザの焼き加減の情報をやりとりしているのが微笑ましくてかわいい。
結局、ブラウンシチューと五枚のピザはあっという間に皆のお腹におさまり、野菜類やバゲットもきれいになくなったのだった。
食事が終わって片付けが済むと、ラウはテントを片付けた。
テントに手を触れて少し魔力を流すと、ぼふっという音と共にテントが手のひらサイズの小さな包みに戻る。
「こういうアーティファクトは、使用者登録をしておくと登録した者の魔力にだけ反応するようになるんですよ。そういう付与をする魔道具があるのです。このテント類は私が登録してますから、私にしか扱えないということですね」
「魔道具! 便利ですねえ! 登録しておけば盗難の心配も大分減りそうです」
「まさにそのためのものです。リンも登録したいものがあれば冒険者ギルドにおいでなさい。商業ギルドにも魔道具はありますが、冒険者ギルドではかなりの割引がききます。リンは冒険者ですからね」
冒険者として行動している時、ラウは徹底してりのを冒険者として扱う。呼ぶ名も接する態度も。
それがとても楽だった。「聖女」という肩書きを考えずにすむので。
(もちろん冒険者としてふるまうことは大切なんだけど、まだ素の私に近いからなあ)
そういう意味で、一番楽なのはファブリカ・アウロラだ。あそこでは、りのは単なるきれいなもの、きれいな布が好きなオタクでいられる。
そしてここでは、新人冒険者。
「さあ、準備はできましたか、リン」
りののウッドランクからの昇格のための新人研修はいよいよ……いや、いよいよというほど苦労したわけでも、何かがあったわけでもないが、終盤にさしかかっていた。




