第334話 クルト・ヴィドナーの決意
少し長くなりました。
お時間のある時にでもよろしくお願いします。
冒険者ギルド、ラハラン支部の有名な副支部長の後を追って、その女性が去っていく姿を、クルトの主であり恩人であるトルベン・ベームは息を荒げながらにらむように見つめていた。
「――クルト、」
やっと女性にかけられたらしい「威圧」の恐怖が薄れてきたクルトは、はぃ、と小さく返事をした。
「おれは、えらそう、だったか?」
クルトは息を飲んだ。まさかこんな質問が、トルベンの口から出てくるとは思わなかったから。
「どうなんだ、クルト」
「――――はぃ、トルベンさま。――――おそらく、平民には、とてもこわく、……えらそうに聞こえると、思います」
それだけ言うにも、クルトの声は震えた。今までクルトが自分の意見をトルベンに言ったことはほとんどない。望まれていなかったからだ。はい、といい、その望みのまま動くだけだったからだ。
だが、さっきの女性に言われたのだ。
あんたの命、こいつにかかってるんだから、生き残りたかったらもう少し躾しなよ。
身分関係なく、あんたがこの子をなんとかしないと。パーティー勧誘さえこの調子じゃダンジョン潜れないでしょ。
自分の命がトルベンにかかっているだけではない。
それすなわち、トルベンの命もクルトにかかっているということだ。
トルベンを死なせたくない。
その一心で、クルトはトルベンにはじめて、自分の考えを言った。
「そう、か……」
トルベンはがっくりとうなだれた。
その指がぎゅっと握りしめられるのを、クルトは黙って見つめていた。
クルトがトルベンと初めて会ったのは、アトラロ中央学園の隅の建物の裏手だった。
クルトは中立派に属する地方の男爵家の次男だ。気が弱く、やわらかな淡い桃色の髪に新緑の目のクルトは見かけも優しげで、いじめの格好のターゲットになっていた。
自分の命を守るために、なけなしの魔力で「身体強化」をこっそりと行って防御していたのだが、それがいじめっ子たちには壊れにくいおもちゃとして映っていたのだろう。いじめはおさまるところを知らず、エスカレートするばかりだった。
いつものように殴られ蹴られしているところに、少し高めの、横柄な声が響いた。
「おまえら、何をしている」
それが、トルベン・ベームだった。
ベーム家は、シャルニエ伯爵家の分家の伯爵家に当たる。シャルニエ伯爵領の中に自家の領地を賜っていて、クルトもふくめいじめっ子たちの中では一番爵位が高かった。貴族派のいじめっ子たちにとっては絶対に怒らせてはならない家だったらしい。トルベンは、そのベーム家の次男だった。
あわあわと言い訳をするいじめっ子たちをぎろりと睨んで、トルベンは一言、
「抵抗しないものを殴って蹴って、強くなれるわけがなかろう。お前たちは馬鹿なんだな。覚えておこう」
尊大にそう言い放ち、さっさと去っていく。
いじめっ子たちは真っ青になって、慌ててその背を追う。
クルトは全員が視界から外れるのを待って、ふうとため息をついた。
起き上がって、小さく「光の慈愛」と唱えて自分の怪我を怪しまれない程度に治す。
そして、こそこそと教室に戻った。
次の日、移動教室の時にトルベンと廊下ですれ違ったのは、偶然以外の何ものでもなかった。
トルベンは偉そうに歩いていたが、ちらりとクルトを見て、唐突に、来いと命令してきた。
(また殴られるのかな……)
トルベンの後をついて空き教室に入りながら、ひっそりと「身体強化」を自分にかけると、ぐりんとトルベンが振り返った。
ばたんとドアの閉まる音が耳を刺す。
何をされるかと身を固くするクルトに、トルベンは歯をむき出して笑った。
「お前、魔術を使って防御しているな? しかも光の治癒魔術も使えるな? その怪我、おれ様が治してもらった時の怪我の後とよく似ている」
クルトは息を飲んだ。
親にも言ってないことなのに、バレた!
クルトの実家は弱小の男爵家で、貴族として生き残るのに必死で、子どもたちはすべてその道具と思っている家だ。希少魔術である光の治癒魔術を使えると知られれば、一生を飼い殺しにされる。
それが怖くて、クルトはひたすら黙って生活していたのだ。
真っ青になるクルトを満足そうにみて、トルベンは横柄に胸を張った。
「お前、おれ様の従者にしてやる」
それは、命令だった。
その一方で、唐突に差し出された別の未来でもあった。
クルトは流されて、その言葉にうなずいた。
トルベンは横柄で偉そうだったが、理不尽な暴力を振るったりはしなかった。腹黒いところも陰険なところもない。
側に控えるうちに、トルベンの人に対する接し方が、トルベンの生活では当たり前のことなのだと知った。そういう教育を受け、それが当然だと思って生きてきたことが、なんとなくわかった。
(思ったより心根のひどい人じゃないんだ……)
彼の側は他のどこよりも息がしやすくて、しかもトルベンの従者になったことで、あれほどしつこかったいじめも止んだ。
トルベンは、クルトが光の治癒魔術を使えることをなぜか誰にも言わなかったので、面倒なことにもならなかった。
(この人と一緒にいるのも、悪くないかもしれない)
少しだけ未来に明るさを感じながら、クルトはトルベンの側で、従者として学園生活を乗り切った。
そうしていた卒業する年の、ある日。
「くそっ……! なんでだよっ!!」
トルベンは、学園の空き教室で思い切り荒れていた。
希望していた第一騎士団の予備試験に落ちたのだ。
「おれ様は、おれは、父上の言う通り、体力も魔力もあげたのに……!」
先日、王家から衝撃的な布告が降りた。
近衛騎士団、第一騎士団ともに、国が定めた体力と魔力の基準に大幅に足りない騎士が混ざっていた。その者たちは再教育の後、再試験し、落ちれば解雇とする。
国軍の柱となる近衛、第一がそんなことになっていたというのも驚きだったが、その騎士たちのほとんどが貴族派の家の出だということも衝撃だった。
「ベーム家は誇り高き騎士の家だと! そう言ったのに! 実際は、能力をごまかして、ずるをして騎士団に入っていただけではないか!」
その騎士たちの中に、シャルニエ伯爵家、ベーム伯爵家出のものがいたらしい。
父にここまで体力と魔力を上げておけば入れると示されていた数値は、ズルをして入る基準で、本来必要とされる数値はもっと高かったのだ。
つまり、貴族派は共謀して数値をごまかし、力のない騎士を送り込んだのであり、その中にベーム家もいたということだ。
ぼろぼろとトルベンの目から涙がこぼれる。
ひとに対する姿勢に問題があっても、トルベン自身は強く気高い騎士になることを目指して生きてきたのだ。
「最低だ……!」
次男であるトルベンは、騎士団に入って自ら爵位を得ないと貴族で居続けることが難しい。もちろんクルトもそうだが、クルトには貴族でいることに対する執着はなかった。
それに、
(貴族派への風当たりが恐ろしく強い今、騎士団に入ったら、トルベンさまは壊されちゃうかもしれない……)
貴族派が行ってきたいじめの苛烈さをクルトは身をもって知っている。騎士団に入れば、おそらくそれがそのまま返ってくるだろう。
育った環境から横柄ではあるものの、根はすなおなトルベンが耐えきれるとは思えない。
すなわち、従者であるクルトも行き場をなくすということだ。
(僕の体力が今、850、魔力が1500……もう少し頑張ったら、たぶん魔術師団に入れる……。でも、そしたらトルベンさまが……)
クルトは、学園生活を庇護してくれたトルベンを見捨てることができなかった。
「クルト」
「はぃ、トルベンさま」
ぼろぼろあふれる涙を乱暴にぬぐって、トルベンは言った。
「おれ様は、冒険者になる。すぐに登録をしてランクを上げて、卒業したら本格的に冒険者として活動する」
トルベンの言葉を、クルトは黙って聞いていた。
「お前知ってるか、第三騎士団副団長のアダン・ヴァロは、『蒼雷』という有名な冒険者で、それが陛下の目にとまって男爵位をもらったそうだ。おれ様もそうする。ベーム家の名前でずるをするんじゃない、自力で、己の強さで貴族籍をとる」
だから、とトルベンは振り返った。その目が、不安と興奮でぐらぐら燃えている。
「おまえも来い!」
クルトはためらわなかった。
見捨てられなかったことも、必要とされたことも嬉しかった。
「はぃ、トルベンさま」
不安がなかったわけではない。
冒険者は平民が主体であり、貴族は浮きがちだ。実家が没落寸前の男爵家で、クルトはほぼ平民と同じような生活をしていたから、トルベンのような偉そうな貴族がいかに嫌われているか知っている。
案の定、トルベンは冒険者ギルドの新人研修で、前の席に座っていた女性の魔術師にからんだ。
いや、トルベンからすれば、完全な善意だったのだ。
ダークブロンドに濃い青の目、顔立ちの整ったその女性は所作が美しく、どう見ても貴族の係累だと思えた。そんな女性が一人で冒険者をするのは難しい。だからトルベンは、自分が守ってやろうと思ったのだ、クルトにしてくれたみたいに。
けれど、その意図が伝わるわけもなく、あっさりと、しかも容赦なく、申し出は跳ねのけられた。当たり前なのだけれど。
しかし、そのきれいな女性は、それだけの人ではなかった。
「オレサマ君、生き残りたかったら、多くを学ぶといい。学ばなければ空っぽのままだ。そのためには謙虚でいることが大事だよ。偉そうな奴に教えてくれる人なんていないんだからね」
恐ろしく緻密な制御で「威圧」をかけてきた彼女は、クルトがうっすら思っていても言えなかったことを、過不足なくトルベンに伝えてくれた。
トルベンが憧れ目標としている「蒼雷」にも認められている彼女は、クルトにも助言めいた言葉を残してくれて、副支部長の声で軽やかに去っていった。
「トルベン、さま、」
うなだれるトルベンの側に膝をつき、クルトはおそるおそる、その握りしめられた拳に自分の手を重ねた。
強く握りすぎて、爪がてのひらに刺さっているのだろう。赤い血がしたたり落ちている。
「冒険者登録、しましょう」
「クルト」
「『光の慈愛』」
ふわりと金色の光が拳に染みわたって、トルベンと周囲の新人から息を飲む音がした。
もう隠さない。この人と生き残るために、使えるものはすべて使う。
これはクルトの決意表明。
「トルベンさま、僕、お教えします、いろんなことを。教えてもらえるような、話し方とか。いままで、トルベンさまが、僕を守ってくれたから、今度は、僕も、お返ししたいです」
「クルト……」
トルベンの目に涙がにじむ。
クルトは、この不器用で素直な人が自分の夢をつかめるように、せいいっぱい支えようと心に誓った。
その後のこと。
トルベンの横柄な態度は、嫌になるほどのトラブルを引き起こすこととなった。
しかしそのたびに、登録時にぎっちぎちに叱ってきたアルカや、ウッドランクを抜けても気にかけ続けてくれたボニーに支えられて、何とか乗り切っていくことになる。
そうして、何かを振り切ったかのように腹黒さと口の悪さを隠さなくなったクルトと、ちょっと偉そうだけど素直で優しいトルベンのパーティーは、ラハラン支部の有名パーティーへと駆け上がっていく。
その始まりに、トルベンの鼻とクルトの気弱さを叩き折った女性魔術師がいたことは、ボニーやあの場にいた冒険者たちによって語られ、多くの冒険者が知ることになり。
その話をされる度に、トルベンは己の黒歴史に身もだえし、クルトは悠然とほほ笑んだという。




