第325話 夜が明けない2
アドレアンは、医師をこっそりと連れてきてくれた。ヘウ街の医師らしい。
この国では、怪我は治癒魔術師に、病は医師に診てもらうことが多い。ただ、治癒魔術は希少魔術で使える者が多くないため非常に高額で、医師はあまり役に立たないというのが一般認識だ。医師はそもそも当たり外れが多かった。
それでも、今縋れるのは医師だけで。
「――――これはひでえ」
なんでダリュラをこんなに摂取しとるんじゃこやつは!
そう怒鳴りながら、何かの薬をノヴァリスへ飲ませる老医師とその弟子に、ララは飲んだんじゃない、飲まされたんだ、と叫んだ。
はあ!? と医師は目線をノヴァリスに固定したまま、なんじゃ、ツラの眩しさに横恋慕でもされたんか、と叫び返す。
薬の影響か、ノヴァリスがげえっと嘔吐し、弟子が桶でそれを受け止めた。
「王城に行って横恋慕なんざあるわけないだろう!」
「――――王城?」
ぴたりと医師の手が止まり、苦々し気にアドレアンを見上げた。
「――――そういうことか?」
「わからぬ。目撃者がいない」
「ハッ、口をつぐませたか消すかしたんだろうさ、あの狂女がよ!!」
口汚く罵る。
「ビガス、お前、」
「こいつの兄は王城勤めの医師だ。俺も基礎を叩き込んだ。あいつぁ俺らを巻き込まねえように何も言わねえが、察することくらいはできるんじゃぞ!」
メルセル、乾燥させたヴァンの花を集めてこい! あればリンデンもじゃ!
怒号に、メルセルと呼ばれた弟子が弾かれたように走り出した。
「――解毒ポーションを飲ませている」
「何級だ!?」
「特級」
「は? アディ様、そりゃあヤバいんじゃあねえのか。ポーション類は王城も足りてねえだろ、ましてや特級なんて」
「知らぬ。コンラッドが……弟が心配するなと言っていたから問題はない」
「チッ、危ない橋ばかり渡りおってからに、これだからティレルは!」
「褒めているか?」
「半分はな! あんた、水を汲んできてくれ!」
「み、水なら、あたしが出せる、」
「魔術か! できれば冷たく!」
水差しに、ララは冷たい水をいっぱいに満たした。
魔力は多くないが、染めや織りの作業で水、風、火の魔術はよく使う。
「よし、どんどん飲ませて吐かせろ!」
医師とその弟子、アドレアンは全力でノヴァラスの治療に当たってくれた。
しかし、日が沈むころになっても、ノヴァラスを蝕んでいる媚薬はなかなか抜けてくれなかった。
のたうち回りながら奥歯をかみしめ、滝のような汗を流しながら苦しんでいる。
「……ここまでじゃな」
医師は、最後の薬を飲ませて、浅く息をついた。
「奥方、今夜がヤマじゃ」
「や、ま、」
「ダリュラは、性的な興奮を異様に高める分、頭と心と体の働きを分離させてしまうんじゃ。――もし毒に打ち勝てたとしても、体は動かせなくなるやもしれん」
ララは涙をあふれさせながら、それでもいいです、と訴えた。
「生きていてくれれば、いいです、あたし、ヴァルが生きてれば、それで、だから、先生、どうしたら、」
医師は静かに首を振った。
「出せるだけの毒は体の外に出した。あとは、吸収されてしまった分に体が勝てるか、頭が勝てるかになるじゃろう」
それが、限りなく希望が薄いということなのだとララにはわかった。
わかってしまった。
「――もし、ノヴァリスの意識が戻ったら、これを飲ませてやれ」
アドレアンは、一本のポーションをララに差し出した。
「体力ポーションだ。俺の私物だから気にせずともよい」
そのまま、アドレアンは立ち上がって、ノヴァリスの頬をそっと撫でた。
「ノヴァリス、生きろ。――――守ってやれなくて、すまぬ」
アドレアンと医師たちが去り、真っ暗になった部屋。
ララは戸締りをし、水差しに水を溢れるほど入れた。
吸収されてしまった毒を、どれだけ外に出せるか。
欲を吐き出せばおさまることもある。
二人の言葉がぐるぐると脳裏をかけめぐっていた。
そして、なんとなく、ノヴァリスに降りかかった災難もわかった気がした。
綺麗に整った顔、媚薬。そして、狂女。
王子を生んだからもう子はなさないと言い放ったという、色狂いの女、王妃エーファ。
「ヴァル、あんたばかだねえ、王妃に命じられたなら、嫌でも我慢して抱いちまえばよかったんだよ、媚薬なんて飲まされる前にさ」
抵抗したんだろう。嫌だと言ったんだろう。だから、媚薬を飲まされて。
こんなに、体も心も削られるまで、飲まされて。
「あたし、怒らなかったよ。王妃相手じゃ仕方ないよ。何、意地張ったのさ、――ばかだねえ、ヴァル、でも好き、ヴァル」
一枚ずつ身につけていた服を脱いで、愛する男を戒めている紐に手をかけた。
怖くはなかった。
ただ助けたいだけだった。
紐をほどいたとたん、強くひかれた体に抗うことなく、ララは嵐に身を任せた。
ふっと意識が浮上して、最初に感じたのは痛みだった。
全身が、あらぬところも含めてすさまじく痛い。
そして、自分の上に何か重いものが乗っていることにも、気づいた。
「…………ァル、」
声はほとんど出なかった。かすれて、息だけで呼んだ。
「……ヴァル、おねがい、へんじして」
動かない腕を無理やり動かして、上に乗ったノヴァリスの背中を抱きしめる。ひやりと冷たい感覚に、みぞおちがぎゅうっとした。
「………ラ、ラ、」
ララは目を見開いた。
声がした!
どこから出てきたのかわからないくらいの力で、上に乗ったノヴァリスを横へひっくり返し、急いでベッドサイドのテーブルにのった体力ポーションに手を伸ばす。
手首が折れているような気がするが構うもんか。
ポーションをなんとかつかみ、蓋を開けて、ノヴァリスの上にぶちまける。
すうっと緑の液体がしみこみ、ふわりと光った。
「ヴァル、お願いヴァル、目を開けて、目を、」
ぼろぼろ涙がこぼれる。
泣きながら、そのがっしりした体を仰向けにして、今度は水を飲ませようと水差しに手をやるが、水差しは手から滑り落ちた。
ガシャン、という派手な音と共に、くだけたかけらが床に散らばる。
「ラ、…………ラ、」
「ヴァル、ここにいる、ここにいるよ」
手首からまだ赤い血が滲んでいるその手を握って、自分の頬に当てた。
「わり、……しくじ、った、」
「ほんとだよ、ばかだね、王妃だろ、言われた通り、抱いちまえばよかったんだよ、あたし怒らなかったよ」
「ばか、いえ、あんなん、勃つわけ、ねー、だろ」
握った手からどんどん力が抜けていく。
目が焦点を合わせなく、なっていく。
ノヴァリスは、下あごをかくり、かくりと動かしながら、懸命に息をしていた。
生きるためではなく、言葉を届けるための呼吸。
「いや、嫌だヴァル、おいてかないでよ、ワイン飲もうって、言ったじゃない」
「ごめ、な、」
ノヴァリスの指がかすかに動いて、ララの目元を撫でる。
「ララ、マジックバッグのなかみ、ぜんぶ、かねにしろ。ギルドじゃなくて、ラウさんにたのめ」
「ヴァル」
「しばらく、みをかくせ、あのおんな、なにするか、わからねえ」
「ヴァル!」
死んだ後のような、自分がいなくなるような話をしないで。
おいていかないで。
ノヴァリスは、優しい青緑の目で、ララを見ていた。
狂気を越えた、ただララを愛していると伝えてくる美しい目。
ララの人生のなかで、いっとうきれいなもの。
「いきてくれ、ララ。いっぱい、きれいな布つくって、なっとくいくまで、いきろ。さいこんしても、いい。がき、うんでも、いい。しあわせになれ」
「そんなこと、勝手なこと、言わないで……!」
「おれは、ひかりのかわの、むこうで、まってる。おまえがきたら、またくどくから、ぜったい、また、ほれさせるから、な」
もうララは言葉もなかった。
そのきれいな目の色を心に焼き付けるように、一心に見るしかなかった。
「なぁララ、おれの、ひかりのふくは、あの、きにいりに、してくれ、な」
ノヴァリスは、目を細めて、細く、けれど大きく息を吸った。
「じゃあな、ララ、あいしてるぜ」
急速に失せていく青緑の光。
「あたしも。あたしも愛してるよ、ヴァル、ノヴァリス、愛してる、愛してるよ……!」
言葉は届いたのだろうか。
ノヴァリスは、かすかにほほ笑んで、目を閉じた。
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