第320話 ヘウ街いまむかし
カツオ、これカツオのタタキっぽい……!
日本にいたころの大好物を食べているようで、じんわりと涙がにじんだ。
しっとりとした赤身はまさしく魚の赤身で、ぎゅっとうま味がつまっている。そこに、柑橘と生姜をベースにしたソースがぴったりだ。わずかな生臭さを生姜と柑橘がいい風味へ変えている。表面が炙ってあり、そこから魚の脂が香ばしさを全体に振りまいていて、幾重にも香りとうま味が重なっていた。何とも贅沢な味だ。
何も言えずにひたすらに噛んで味わっていると、ティボーががっはっはと笑った。
「嬢ちゃん幸せそうな顔して食うなぁ、なかなかにいいツラだ」
「おいしいから……」
呻き声でそう返して、我慢できずに急いでもう一切れ。
今度は添えてあった玉ねぎと一緒に口の中へ入れる。ぴりっとした玉ねぎの辛みがソースの酸味と合わさって、今度は魚の身の甘みを感じた。
(ソース、醤油も使ってないのに何のコクなんだろうなこれ。おいしすぎる)
たった二切れの赤身で、胸がいっぱいになった。
「ねえねえ、このキップジャークって、普通にお店で買えるの?」
こっそりと隣のアダンに聞くと、首を横に振られた。
ダンジョンでも、中層から深層の海のフロアやエリアにしかいないうえ、やたらと物理耐性が高いらしい。
しかも水中にいるから捕まえにくいそうだ。冒険者も好き好んで討伐したりしない魔獣の筆頭なのだという。当然価格も高くなる。
(ううむ……でもこれ、醤油とワサビで食べたい……絶対おいしい……)
物理耐性が高いのは特に問題がない。物理の攻撃なんてりのにはできないのだから。魔術と魔法のごり押しスタイルで倒せるならそっちの方がいい。
まず「サーチ」で探して、アディさんがしたっていう、土の鎖、あれを水でやって吊り上げて、そこを「アトラクト」で引き寄せるとか……。
(魔獣退治とかやりたくないけど、でも家でカツオのタタキ食べたい……! 依頼出しても、高いだけならともかく捕まえられないってのはなぁ……でも私にできるのかなぁ)
次に、りのは興味をひかれたロックドレイクの煮込みを取り分けてもらった。
パッと見は、牛タンのシチューだ。赤みがかった茶色のソースにくるまれて、同じ色のお肉の塊がごろりと皿の上に載っている。
フォークを差し込むと、そこからするっと割れた。
(や、やわらか……!)
繊維すらない、何かのムースのような滑らかな断面は、驚くほど白い。よく見るとほんの少し灰色がかった色だ。
少し小さめに切り取って、ソースを絡めて口の中にいれると、
「!!」
と、とけた……!
これが噂の、飲めるお肉ってやつなの!? そんなのあるわけないじゃんって思ってたけど、本当にあったの!?
上等の豚肉の脂身のような甘い肉だ。かといって脂っこいわけではなく、濃厚なソースとぴったりの相性である。赤ワインのソースかなあと思ったが、甘酸っぱい感じが強いので、もしかしたら葡萄から直で作っているかもしれない。
ちらっと目線を上げると、ユーゴがものすごい笑顔でロックドレイクの煮込みを口に運んでいた。
(こっわ……! でも多分人のこと言えないよね私も)
静まり返った食卓は、けれど感嘆のため息で満ちていた。
ティボーの作った料理の数々は、あっという間にみんなのお腹におさまった。
キップジャークの時はそんな頭も回らなかったが、他の料理は一応「鑑定」をこっそりかけたので、どれもヘクシアがたっぷり詰まっていることを把握している。ここまでで使ってきた魔力がぽんと満タンまで回復していて驚いた。
「ティボーの選ぶドロップ品はヘクシアが多いのが特徴でなあ」
食後の紅茶を頂きながら、アドレアンが話し出した。
「昔は野営だろうが街中だろうが、とにかくティボーの飯を食って魔力を回復させて、戦線に戻っておったんじゃ」
「ねえおじいちゃん、なんで、そんなに魔力を回復させなきゃいけなかったの? 忙しかったの?」
カノンがこっそり聞くと、アドレアンは苦笑して、まあ忙しかったのう、と答えた。
「あの当時、この辺は強欲商人に狙われててな」
ティボーがぽつりとつぶやいた。
「ちゃんと俺らが金を払った土地だってえのに、商人どもは貴族を抱き込みやがってよ。嫌がらせしたり脅しに来たりして、この辺に住んでるやつらを追い出そうとしてやがったんだ」
地上げ屋……!
異世界にも悪質な地上げ屋がいる……!
「特にこの辺は職人連中の多い街で、追い出された連中を貴族や王太后が囲い込んで、王城や自分の領に連れて行って、奴隷みたいに働かせてやがってな。それで、この街を離れる職人がますます多くなって、強欲商人どもの思うつぼみたいになりかけてたんだが、アディ様やカール様が、そういう貴族どもの差し向けた破落戸からこの街を守ってくださってたのさ」
アディ様も、第一騎士団長で、城を守りながらダンジョンを潰してってすげえ忙しかったのによ。
ほんとに、感謝してもしきれねえってもんなんだよ、とティボーは深く頭を下げる。
アドレアンは緩く手を振った。
「その分飯を食わせてもらったから気にするでないよティボー。あの時代の王宮を御しきれんかったのは、儂らのせいでもあるんじゃからの」
「アディ様やカール様のせいなわけねえだろう! あのクソ王太后が……!」
「ティボー」
苦笑交じりに制されて、ティボーはぐっと息を飲みこんだ。
「わっかるー、僕も大っ嫌いだよ、あの女!」
そのかわりに、ユーゴがけろりと同意して、ティボーはは? という顔をした。
「ユウ」
「えー、だってアディさんも思うでしょー? あの女、本当に余計なことしかしなかったんだから」
でも、もう時代は変わったんだ。
明るいユーゴの言葉がふわりと場に広がり、ティボーの怒った顔も緩んだ。
「そうだな……この辺も、少しずつ昔みたいに職人が戻ってきてるしな」
「そうなのか?」
アダンが聞くと、ティボーはニッと笑った。
「今の陛下が即位されてから、貴族どもの横暴が減ってきて、働かされてた連中が戻ってきてんだよ。死んだ奴らも多いが、生き残って子供や孫連れて帰ってきてる連中もいる。全部が全部じゃあねえが、そういう連中の土地が強欲商人どもにとられねえように街の連中で分担して買ってたから、住むところはある。後はこっちで仕事すりゃあいいってんで、ちょこちょこ帰ってきてるのさ」
何十年も住んだからって、連れてかれた先を選ぶ連中もいるし、それでも故郷が恋しいって帰ってくる連中もいる。
そういうティボーに、りのは聖女エイコの手記を思い出した。
こちらで家族を持ち、根を下ろした彼女。それでも最後には帰りたい、と書いていた。
私のふるさとに帰りたい、と。
「――――選べるっていうのは、いいことですよね」
りのは静かに笑った。
「移住先に住むのも、戻ってくるのも、その人の自由で選べる、っていうことが大切だと思います。選べるからこそ、決断ができるんだもの」
「本当にな。戻ってこねえからって薄情だというつもりはねえし、それぞれにあいつらが幸せに暮らしてりゃあいいさ」
「ですよね」
「それに、聖女様がいらしてくださったからよ。溢れかけてたダンジョンも大分落ち着いてきてるから、これからはもうちっと深層にもいけるようになる。そうすりゃあまた深層のドロップ品で飯が作れるってえもんだぜ!」
ティボーの声は明るい。
希望の明るさだった。




