第312話 もうひとりの母
ロゼリアが護衛となってテオドールがりのの部屋から帰っていくのを見送って、アラチェリアはほうっと深いため息をついた。
それから、姿勢を正してりのに向き直り、深く、深く頭を下げた。
「聖女リノア様、あの子を保護して頂いたこと、心よりお礼申し上げます。他の貴族家では大変なことになっていました。リノア様で、本当に良かったと思っております」
「どういたしまして。ああ、チェル様、お話の前に、お茶をしましょう」
何かを話しかけていたアラチェリアは、さらっとしたりのの言葉に口をつぐんだ。
「メアリさん、マーガレットさん、チェル様のこれからのご予定は? お茶を飲む時間はありますか?」
「ございます」
「メアリ」
「チェル様、根を詰めるのはよくありませんから、お話の前に少し休憩をいれましょう。新しいお菓子もありますよ」
「リノア様……」
アラチェリアがどこか安堵したように表情を崩す。そうすると、疲れや緊張が表に出てきた。よほどテオドールの脱走がこたえたのだろう。
マーガレットが、そんなアラチェリアにそっと声をかけた。
「チェル様、本日のご予定は今調整中でございます。今日、チェル様がどうしてもされなければならないのは、ご家族での夕食のみでございます」
「マーガレット……」
「陛下、ローラン殿下、ティアーヌ殿下には先ほど使いを出しました。マイルズにも知らせてございます。少しの間、ゆっくりなさってくださいませ」
うやうやしく礼を執りながらそう言う腹心たちに、アラチェリアの緊張が目に見えて緩んだ。
そのタイミングを逃さず、メリルが茶葉の並んだプレートを捧げ持ち、アラチェリアの好みを問う。
「――――そうね、では、ルルメロを」
「かしこまりました」
メリルがお茶を淹れるためにひいたら、次はイリットがパンナコッタをサーブしてくれた。
「まぁ、これはこの間陛下たちが頂いたというお菓子かしら」
「あちらはババロアというまた別のお菓子ですね。これはパンナコッタと言います。あちらよりもあっさりとした味のものです」
上にかかっているのはオレンジソースですよ、と言うと、アラチェリアはさっそくスプーンをとって口に運んだ。
最近では「浄化」のことを気にかけもしないので、りのも苦笑しながら受け入れている。
ぷるんぷるんのパンナコッタをすくって口に運び、アラチェリアはうっとりとした。
「おいしいわあ……冷たくて甘くて、つるんって喉を通っていくのがなんともすてきね……」
疲れもとれるようだわ、となおうっとりしている。
この間のジェラートもだけれど、アラチェリアは冷たいお菓子が好きなようだ。
(今度バニラアイスクリーム作ろうかなあ)
メリルのいれてくれたルルメロティーの、レモンに少し似た爽やかな香りもして、りののこわばりもほぐれてくる。
そうやって、二人でわずかな時間、リラックスする時間を作った。
アラチェリアの顔から焦りや緊張、疲れが落ちていくのを待つ。
更年期障害も自律神経失調も、ストレスは大敵だ。アラチェリアの立場上、ストレスがかからないというのは無理なので、せめてこまめに落としてあげたい。
そうしているうちに、アラチェリアが背を伸ばした。
少し気が落ち着いたのか、表情に生気が戻ってきていた。
「――リノア様」
「はい、なんでしょう」
無詠唱で「バリア」を張った。部屋の中はアラチェリアの腹心とりの側の者たちだけなので、部屋の外に音が漏れないように防音を強く意識して。
マカリアが片方の眉を跳ね上げていたので小さく頷くと、にかっと笑いかけられた。ひゅーかっこいー!
これである程度は安心して話ができるだろう。
りのも姿勢を正した。
「わたくし、テオだけ、粗略に扱ってしまっていたのかしら」
アラチェリアらしくもない、静かで弱さを感じる声がした。
「今日の今日まで、あの子があんなに無謀なことをしていたなんて、思いもしなかったの。賢い子だし、聞き分けのいい、よくわかってる子だと思っていたわ。――でも、違った。王族としてもだけれど、あんなに自分を粗末にしていたなんて」
ああなるほど、テオ君が王城から抜けだしたことを知って、テオ君の話を聞いて、そう気づいたって感じか。
「せいいっぱい、自分の子と同じように扱ってきたつもりよ。でも、足りなかったのかしら。ちゃんと子どもとして接することができていなかったのかしら……」
「どうなんでしょうねえ……でも、テオ君、チェル様のこと大好きですよね」
連れて帰ってくるときも、お父さんお母さんに迷惑をかけるかもしれないって言うのが、一番つらかったみたいですし。
そう言うと、アラチェリアは泣き出す寸前のような笑みを浮かべた。
「あの子はね、わたくしがヴィーに託された子なの。その時から、大切な自分の子だと思って接してきたつもりよ。あの子がわたくしを母と思ってくれているなら嬉しいわ」
「ヴィー……?」
ああ、そういえばその辺りのことを話したことはなかったわね、とアラチェリアはルルメロのお茶で唇をしめらせた。
「テオを生んだのは、第二妃、ヴィット―リア・エーヴ・ウェルゲア妃なの。私たちはみんな、ヴィーと呼んでいたわ」
「お親しかったのですか?」
「そうね。私よりも五つ年下だったから、寵を争う側妃というよりは、妹のような子だったの。ガズメンディ家からむりやりに嫁がされて、結婚式の日、私のところに来てごめんなさい、ごめんなさいって泣くような子だったわ。フィンの前に、私が抱きしめて泣き止むまで慰めたのよ」
さっきのテオを見てたら思いだしちゃったわ、と切なくほほ笑む。
ヴィット―リア妃は、ガズメンディ公爵家の末娘だったそうだ。
年の離れた姉と、双子の姉がいて、二人がたいそう気の強いしっかり者だったのに比べ、ヴィット―リアは気が弱く、二人にくっついて動くような子だったらしい。体が強くなく、自己主張もほとんどしないタイプだったようだ。
「当時からガズメンディ公爵は領地をなんとか復興させることしか考えていなくて、妻も娘たち……ヴィーの姉たちも猛反対したのに、王家からの援助がほしくて嫁がされたの。エーファ王太后はあの当時、熱心にわたくしたちに嫌がらせやいろいろな妨害をしていて、両者の利益が一致してしまったのね。あの時はまだわたくしたちもあまり力が強くなかったから、拒めなかったの」
ほんっっっとに害悪だなばーさん……。
「ヴィーに婚約者はいなかったけれど、わたくしとは仲が良くて。だから、断り切れずにごめんなさい、チェル姉様を苦しめることになってごめんなさいって」
「ごめんなさい、ですか……」
りのがそう呟くと、アラチェリアは少し笑った。
言葉だけ聞くと嫌味っぽいけれど、あの子はそういうことができる子じゃなくて、本心から謝っていたの、と言う。
「優しくて、あまり貴族や国政に向かない子だったけれど、姉様の執務の手伝いだけでもと言ってくれて。――あの子とも、よくお茶を飲んだわ。側にいると穏やかでほっとするような子でね」
言葉尻から、アラチェリアがヴィット―リアを慈しんでいたことが伝わってきた。
(私の感覚からすると、正妃が側妃をかわいがるってなんかすごいなって思うんだけどねえ……)
「ヴィーは体が弱かったけれど、授かった命だから産むと言って、テオが生まれたの。でも、お産の後に回復しなくて、そのまま光に還ったわ。その前に、ヴィーはわたくしの手を握って言ったの、チェル姉様、この子をよろしくお願いします、って。どうかチェル姉様の手で育ててください、図々しいお願いでごめんなさい、でもチェル姉様にしか頼めないからって」
あの子は、さっきのテオみたいに、謝ってばかりだったわ。
アラチェリアは静かにカップを口に運んだ。




