第311話 母と子
マーガレットは先ぶれだった。
「申し訳ございませんリノア様、お許しいただければ、すぐにこちらへ伺いたいと」
「構いません。どうぞいらしてくださいますようにお伝えくださいませ」
「ありがとう存じます。すぐにお伝えいたします」
ていねいに礼を執り、優雅に見えるうちでの最大限の速さで部屋を出ていく。
「あー、これは早いわね。絶対早くいらっしゃるわ。イリット、メリル、お茶の準備をお願い。茶葉は、そうねえ、アウルミラとトルカリア、リンデンにしましょうか」
「かしこまりました。お茶菓子は先ほどの冷たいお菓子でよろしいでしょうか」
「いいよー。あと、焼き菓子も少し用意しておいてくれる? 何があったかな」
「レノアが、『しょーとぶれっど』と『じんじゃーまんくっきー』があると申しておりましたが……」
ああ、とりのは言いにくそうなメリルに笑いかけた。
「どっちもつい最近作り始めたお菓子なの。どちらも用意しておいてってレノアに伝えてくれる? メリルたちも後で味見してね」
「かしこまりました。ありがとうございます」
「ありがとうございます、リノア様!」
嬉しそうなメリルとイリットがとてもかわいい。
二人がふわふわした感じを出しながらキッチンに戻っていくのを眺める。
すると、小さな声が聞こえた。
「……ねえリノア様」
「なあにテオ君」
「僕、どうしたらいいのかな……」
ソファに座ってうつむいているので、テオドールの顔は良く見えなかった。
「何を?」
「……なんだろう……」
怒られるときってそうなるのわかるー、とりのは内心で頷いた。
どうしたら許してもらえるかな。どうすればよかったのかな。そんな気持ちがごちゃごちゃになって、頭が止まってしまう、あの感じ。
「頭がうまく動かない?」
「うん……どうしよう、なんでだろう」
「そういう時もあるよ」
そんなことある? という疑いの目でテオドールが見上げてきて、りのは今度こそ笑ってしまった。
「あるんだよ。私もそうなるよ。テオ君が病気だとかじゃないから安心して」
そうかな、とテオドールがまたずーんと落ち込み始めた。
この子、こういう落ち込み方するのねえと思いながらパンナコッタを堪能していると、外からざわめきが聞こえた。
念のために「サーチ」をかけると、アラチェリアを中心とした一団がこちらへ向かっている。結構なスピードだ。走ってはいないだろうけど、いやでもチェル様だしな……。
そんなことを考えていると、やがて入り口から涼やかな声。
「聖女リノア様、アラチェリア王妃殿下のご来訪です」
「ありがとう。お通ししてください」
「はっ」
ロゼリアが、いつの間にか戻っていたらしい。
かすかな笑みを浮かべたロゼリアがドアを大きく開き、そこからマカリアを先頭に、アラチェリアがかなりの速さで歩いてきた。
シンプルで美しいラインの、深緑のデイドレスを着ているが、その顔には焦りが強く浮かんでいた。
王宮内では表情をコントロールしていたのだろうが、りのの部屋に入ってからはそれをかなぐり捨てている。
「リノア様、急でごめんなさい、テオは!?」
マナーも何もかもをすっとばしたアラチェリアに、りのはほほ笑んだ。
何も言わずに、向かいのソファに座ってうつむいているテオドールを手のひらでさす。
「テオ……!!」
アラチェリアはすとんとテオドールの隣に座り、その顔を両手で持ち上げて、じいっと見た後にぎゅうっと抱きしめた。
「テオ、もう、テオったら……! 街にいたって聞いて、もう、ほんとに、もう……!!」
言葉になっていないが、相当心配していたらしい。
声に少し涙が混じっている。
テオドールは、困ったような、戸惑ったような顔で抱きしめられるがまま。
「――――王妃殿下、ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした……」
「チェル母様」
「え」
「言ったでしょう、チェル母様って呼んでって。忘れちゃったの?」
「いえ、覚えて、ます。でも、僕、大きくなったし」
「あなたはまだ子どもです!」
ああ、チェル様の教育方針はそこなんだ。よかった。
りのは内心でほっとする。
アラチェリアが彼を子どもではなく第二王子として、大人としてしか見ないのであれば、少しやり方を変えなければならないと思っていたのだが、その必要はなさそうだ。
「かあ、さま……?」
「テオ、なあに」
「チェルかあさま、」
「ここにいるわ」
「ごめんなさい……勝手に、城の外に出て、ごめんなさい……っ」
「もう! 悪い子! 心配かけさせないで頂戴、心臓が止まるかと思ったのよ、もう!」
ぷりぷりと怒りながら、それでもぎゅうっとテオを抱きしめたまま離さない。
その腕の中で、テオは大きな声で泣き始めた。
たぶんそれは、安堵の涙だったのだろう。
その間、アラチェリアはもう、テオったら、と言いながら、ずっと抱きしめていた。
テオドールが泣き止んでから、アラチェリアはテオドールからどういう経緯で街へ出ることになったのかを聞いた。
最後までその話を聞き、深いため息をつく。それにテオドールがわずかに体を緊張させた。
「テオ」
「はい、……チェル母様」
呼ばれて満足そうに頷いて、今度は少し厳しい調子で、テオドールの顔を覗き込む。
「あなたがしたことは、王族としてあってはならぬことです」
「はい……」
「わたくしたちは、その一挙手一投足に多くの人の思いと責任を負っている。それを忘れないようにすることが大切です」
「はい」
「でも、わたくしが体を悪くしてしまって、あなたやティアーヌにそのことを十分教えてあげられなかったの。だから、あなたがそれを知らないことはわたくしの責で、あなたが悪いのではないのよ」
「……えっ」
ごめんなさいね、とアラチェリアはテオドールの頭を撫でた。ティアーヌにしたのと同じ仕草で。
「そこは、これからわたくしがきちんと教えます」
「チェル母様、お体が、」
「大丈夫! 大分元気になって来たでしょう? リノア様やカノン様のおかげなのよ」
「カノン様、も?」
「そうよ。あの方がストレッチや筋トレという、体を動かして病を遠ざける方法を詳しく教えてくださっているの。わたくしのために特別なストレッチの計画表を作ってくださって。それをカノン様にお願いしてくださって、体を内側から整えるようなやりかたや頭痛を抑える方法を教えてくださったのがリノア様なのよ」
だから体は大丈夫、とアラチェリアは笑う。
「それから、魔術や他の教師、護衛騎士に関しては、きちんと選出します。わかりましたね、これからは簡単に抜け出られるような時間も隙も減らしますからね!」
「はい……」
「それから! このことは、あなたのお兄様にもお父様にもきちんと報告します」
「え゛」
テオドールの口から、アヒルみたいな声が出て、りのは必死で笑いをこらえた。
「当然でしょう、お父様からもお兄様からも叱られていらっしゃい」
「それは、でも、」
「でも、何?」
「僕のために……お忙しいから……」
これなんだよなー、とりのは首をひねった。
あんなにお兄ちゃんのことが大好きなのに、なぜか接触しようとしない。話したり遊んだりしたいだろうに。
そもそもローランってそんなに忙しいの?
「大丈夫よ」
アラチェリアが、妙な凄みのある笑みを浮かべた。
端から見ていたりのでもぞくっとするくらい、迫力と悪辣さを感じる笑み。
そんな笑顔、テオドールも初めて見たのだろう、硬直している。
「お父様はお忙しいけれど、可愛い息子を叱る時間くらいいくらでも取りますとも。それに、お兄様ももう忙しいのは終わりますからね」
わーお意味深……。
「今日は、家族で夕食をとりましょうね」
「ほんとに……!?」
「本当よ。あらテオったら、叱られるのにそんな嬉しそうな顔をして、まあ」
くすくすとアラチェリアが笑って、テオドールの頬をそっと撫でる。
どこから見ても、仲の良い母子の姿だった。
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