fin.ロンギヌス
ラストエピソード。
当時、無我夢中で書いた作品を、こうして読み返すのは、感慨深いですね。
お楽しみ頂けたのでしたら、望外の幸福でございます。
病院の玄関を出た能口は、見覚えのある、というより忘れようとしても忘れられない男が、片腕に花束を一杯に抱えて近づいて来るのを見つけた。
「イヌイ…」
「あ、どうも…」
相変わらずの、なにも考えていないようなバカみたいな微笑み。
巨漢の、ゆっくりとしているような動作がなぜか滑らかに動くように思える錯覚。
散々マスコミや高野連に突っ付かれたはずだが、あまりショックを受けているようには思えない。
「もしかして、尾形のお見舞いか?」
もう能口の中には、震えながら憧れながら握手した感覚はない。
今、目の前にいる男は、負けのレッテルを張られた、同じ立場の人間だ。
自分と同じ“負けた”男にすぎない。
「ええ。それと、『甲子園出場おめでとう』って言おうと思って」
「まったく、お前本当にバカだな」
「え?」
チームメイトならともかく、赤の他人にそんな事言われるとは思っていなかったのだろう。イヌイはきょとんとして能口を見返している。
「どこの世界に、優勝しておきながら出場辞退になった野球部のピッチャーから花束貰って喜ぶエースピッチャーがいるんだよ」
「そ、そうなんですか?」
「もしも逆の立場だったら、お前そんな花束貰って嬉しいか?俺があの試合でお前に投げ勝っておきながら出場辞退して、入院しているお前の所にお見舞いにきたら、怒らないか?」
「…??」
想像できないようで、イヌイは困っている。
「ったく、とことん鈍いやつだな。もういいよ、勝手にしろ」
「そ、そんな…」
脇をすり抜けてそのまま帰ろうとした能口は、イヌイに呼び止められる。
「俺、そういうのよく判らないです。だから、教えてくださいよ」
2メートル以上ある片腕の大男が、花束を片手で抱いて大きく頭を下げているのは傍目から見てもとても滑稽だ。
能口も、視線のやり場に困る。
「判ったよ。まあ座れよ」
病院の待合室に座らせて、事情を問いただした。
「お前、地区大会で優勝しながら、甲子園には行けないって高野連に言われたんだぞ、判ってんのか?」
「ああ、キャプテンに、そう言われたよ」
「言われたじゃないだろ。尾形は、あれだけ一生懸命投げて、お前に負けて、その上甲子園を譲られたんだぞ」
「俺は、別に譲ったつもりはないし」
「お前の考えなんて聞いてない。尾形はそう思うって言ってるんだ。そのアイツの気持ちに塩を刷り込むような真似をするのかと言ってるんだ」
イヌイは、意外なことにニヤリと笑って見せた。
「そのつもりだよ」
「お、お前…」
「あのグラウンドで、俺たちは体を張って闘った。だから、勝ち負けはもうつけたんだ。あとは、結果がどうなろうと関係ないから」
「勝ち負けを、つけた…」
イヌイ、お前の負けだろう?
野球以外の所で、結局勝負はついたじゃないか…?
「俺の、勝ちだ。だから、もう後の事は、どうでもいいじゃないか」
「…俺には、よく判らない」
判らない、といいつつ、能口には判っていたのだ。
甲子園なんか、関係ないし。
高野連がどうこう言おうと、関係ない。
二人の野球バカが、どっちが強いのか、とことんまで闘っただけの話で。
片腕の化け物と、狂った怪物が、仲間を巻き込んで死闘を繰り広げただけの話だ。
…そうか。今まで羨ましく思っていたのは、このことだったのか。
「分かった、行って来いよ。呼び止めて、悪かったよ」
イヌイは、ニカッと笑うと、巨体をゆさゆさと震わせて、尾形の病室に歩いていった。
~ ・ ~
尾形は、甲子園一回戦で1-0と負けている八回裏にマウンドに上がった。
八、九回を完璧に抑えたが、結局昭和高校は一回戦で破れた。
能口は、去年最下位だったチームのプロテストになんとか合格し、二軍で投げ続けている。
キャプテンは野球を止めて、遠洋漁業の船に乗り込むべく、専門学校に通っている。(南洋第一は、水産高校である。ただし、野球部は強く、名門として知られてもいる)
そして、イヌイは…
日本プロ野球のスカウトは、一切こなかった。
プロテストを受ける素振りも無かった。
二年たったある日、新聞のスポーツ欄に、日本人同士の対決と、でかでかと記事が乗せられていた。
優勝街道を突っ走る名門「マリンズ」と、二年前に創立されたの新鋭弱小チーム「ロンギヌス」の試合で、九回裏から登場した抑えのヒウマ・イヌイは、打率トップの“イチロ”にセンター前にヒットを打たれた。
二、三番を抑えたものの、四番の主力打者に場外にサヨナラホームランを打たれて逆転負けを食らって敗戦投手となった。
隻腕のこの男は、右腕の付け根に嵌めたグローブを掴んで叩きつけ、悔しがっていたと伝えられていた。
そのあとで、大きく高笑いしていたことまでは、伝えられていなかったが。
(おわり)
当時の野球のヒーローは、なんといってもイチローさんです。
なんたって、カッコよかったんですよ。いやホント。
同時期に、隻腕ピッチャーにアボットという選手がいました。彼を元に書いたわけではないのですが、リアルで、隻腕ピッチャーがいるんだ、と感動したのを覚えています。
そうか、このボクちんの球をまともに打ち返すヤツが、この大陸にはゴロゴロいるんだ!
イヌイの最後の高笑いは、そういう意味です。
ま、ここまでお読みくださった皆様でしたら、解説不要でしたね。




