24.K.O
集中力が切れちゃいましたね。こりゃ、ダメだね。
バッターは手が出ずに三振を取られ、監督に殴られている間、イヌイは自分がそうされているかのように震えていた。
「2アウト2アウト!」
キャッチャーが声を枯らして叫ぶ。
次のバッターは、すでに腰が引けていた。
イヌイの球に、ではない。
三振を取られたあとの、監督に対してである。
その様子が、イヌイにも伝わった。
イヌイは、モーションに入ったまま動かなくなった。
いや、動けなくなったのだろう。
「…ボーク!ランナー一塁」
投球動作を途中で止めたと見なされ、審判がボークを宣告する。
「ラッキー!」
「ピッチャーボロボロだぞ!」
すかさず西智ベンチから野次が飛ぶ。
「よおし、その気迫だ!それでいいんだっ!」
監督も、オーバーな位の調子で大きく手を叩いた。
一塁にいった選手も、心底嬉しそうだった。
これで、殴られなくてすむからだ。
その様子が、イヌイにも伝わった。
朗らかな笑顔で、一塁の方を見ていた。
「…タイム」
キャッチャーがタイムを要求し、マウンドに向かった。
すかさず西智の監督が抗議に出ようとグラウンドを駆けだす。
キャッチャーは足を止め、監督を睨んだ。
監督も、足を止めてキャッチャーを睨む。
そのまましばらく、睨み合いが続いた。
「君…」
審判が声をかけた。
「すいません、すぐ済みますから」
監督を睨んだまま、キャッチャーが応える。
審判は頷くと、監督の方に歩いて行き、何か話しだした。
監督も抗議しているようだが、キャッチャーはそれを無視してマウンドに歩きよる。
仲間のナインも、マウンドに集まってきた。
「…イヌイ」
キャッチャーは自分のミットを見せる。
イヌイの目線が、ランナーからミットにむいた。
「このバカヤロがっ!」
いきなりキャッチャーが、イヌイの頬を殴り飛ばした。
渾身の一撃だったのだろう。
イヌイの巨体が吹っ飛び、ナインを何人か巻き込んでマウンドの下の方まで倒れて転がった。
「な、なにやってんだ?!」
能口も、キャプテンも、他のナインも。
海浜の応援席や、イヌイを見に来た他の観客席も。
猛抗議していた監督も、それをなだめていた審判も。
景気のいい軍歌を演奏していた、西智の応援席でさえも。
静まり返った。
グラウンド内で、キャッチャーがピッチャーを殴り飛ばすなど、言語道断の事件である。
こんな大観衆のなかで…
ヌッ…
そんな音がするような勢いで、イヌイが起き上がった。
その下で、巻き込まれたナインが二、三人、じたばたともがいている。
イヌイの右頬が、みるみる腫れ上がってきた。
「ウガアアァァ!」
イヌイが、吠えた。
静まり返った球場中に、その吠え声が響きわたった。
まるで大型の獣が吠えているような声である。
そのまま、キャッチャーに向かってバカ長い左腕を振り回した。
「うわっ、逃げろよ!」
思わず能口は叫んだ。
まじかでイヌイの左腕を見ていた能口は、その腕の破壊力をよく判っていた。
あんなもので殴られたら、マジで死ぬ。
だが、キャッチャーは逃げなかった。
ミットで、イヌイの拳をがっちり受け止めたのだ。
そのままイヌイの腕を引っ張るようにして、懐に入り込む。
腕を取られ、よろけて屈みこんだイヌイの腹を目掛けて。
強烈なボディブローが入った。
「グエエェェ!」
そのまま、イヌイはべったりとマウンドに屈み込む。
完璧な、K.Oであった。
抑える事も止めることも出来なかったまま、呆然と突っ立っているナインを残してキャッチャーがすたすたと、審判と西智の監督の所に歩いていく。
「すいません、もう済みましたから」
審判に頭を下げ、それから西智の監督の肩を叩いて耳元になにか囁いた。
「…自分のとこのピッチャーK.Oして、どうすんだょ」
ふと我に返った、キャプテンが呟く。
「いや、どうもふっきれたみたいですよ」
週刊野球人生の愛読者である、おやじ部員が感心したように応えた。
「バ、バカヤロッ!あんなやり方があるかっ!」
能口が、憤りで声を震わせながら叫ぶ。
「殴り方も知らねぇのかクソじじい。選手を躾けるなら、もっと徹底的にやれよ」




