16.初ヒット
あの練習を思い出せよ。決して打てないヤツじゃない。
俺は東征の四番。今までの奴とは格が違うぜ!
2回裏の東征の攻撃、四番バッターの金属バットに鈍い金属音が響いた。
点々と転がる打球は前進守備のサードをかわすように転がり、イヌイの右脇を転がっていった。
ドタドタとマウンドから走り降りたイヌイだが、右の腕が最初からない。
逆シングルの長い左手を目一杯伸ばして素手で掴み、一塁に投げたが、間に合わずにセーフ。
記録は内野安打、ヒットがついた。
地方大会とはいえ、イヌイはこの大会通算で初めてヒットを許したのだ。
四度目の無安打無四球試合の記録も、ここで途切れる。
「…うまいな、あのバッター」
「相変わらず球威に押されたけどな。どこに投げ込まれるか、読みがズバリ当たったな」
「それにしても、内野の守備がザルすぎる」
「あんだけ前進守備してりゃ、バンド以外の打球は正面にこない限り抜けるよな」
「塁間にいる外野を、もっと前に寄せれば?」
「小フライが取れなくなるんじゃないか?」
南洋第一のナインにしてみれば、守備陣のお粗末さは目を覆うばかりである。
「ランナー、当然、走るよな」
「内野のザルさは、実証ずみだからな。送球がそれたりしたら、外野には誰もいないんだ。ホームまで返ってくるぜ」
「アイツ、あの球を投げるかな」
期待しつつ、能口はイヌイを見つめる。
「…さっきの、65キロか?」
「読まれてると、まずいけどな」
しかし、イヌイは次のバッターに65キロは投げなかった。
外角低め一杯に、絶妙に制球されたストレート。
しかし、バッターはまるで待っていたのように強振する。
鈍い金属音と共に、打球が前に転がる。
詰めていた内野手が、体を投げ出してボールを止めた。
必死でボールを掴み、体制を立て直して一塁へ送球。
間一髪、アウト。
だが、初球エンドランのサインですでに走っていた一塁ランナーは、すでに三塁に達していた。
本塁すら伺おうと、塁間の半ばまで達している。
「バックホームだ!」
キャッチャーが叫ぶ。
ファーストは一瞬戸惑った。今、サードに投げれば、ランナーを挟めるのではないか?
「早く!バックホーム!」
再度の掛け声に、ファーストはキャッチャーに球を送り返す。
それを見て、サードランナーは三塁に戻った。
「エンドラン崩れで、ワンアウト三塁か」
「でも、あのイヌイに初球エンドランを仕掛けるなんて、よほどバッティングに自信があるんだな」
「スローボールなら、盗塁は出来るからな」
「それに、3塁ランナーも、クロスプレイ覚悟で突っ込ますかと思ったけど、自重させたしな」
「送球ミスであわよくば一点、ってもくろんだんじゃないの?」
「それもあるけど、海浜のキャッチャーも冷静だったからな」
「東征としては、次にスクイズでも内野安打でも点が取れるから、無理しなかったんだよ」
「俺でも、そうするな」
キャプテンが言った。
「東征のバッターは、とにかく当てるだけなら出来るらしいしな。相当練習したんだろう」
「…でも、俺たちが全く打てなかったボールですよ。それを、こんな短期間の練習で打てますか?」
「現に、打ってるじゃないか」
「じゃあキャプテンなら、練習次第であの球を打てるんですか?」
「…多分、当てるだけなら何とかなるんじゃ、ないか?現に打ってるわけだし…」
キャプテンは、歯切れの悪い言い方をした。
自分の打撃に自信が無いとは言わない。
だが、こんな短期間であのイヌイの球を当てられる自信は、あまりなかった。
自分たちと対戦した時は、イヌイは明らかに本気ではなかった。
ビデオで研究した限り、あの投手はそう簡単に打ち込めるような奴じゃない。
それを、東征の選手がフルスイングして当てているのは、彼らのセンスが自分たちをはるかに超えていることになる。
確か、この前の練習試合で対戦した相手は、東征だったはずだ。
大差で撃ち破ったあの時に比べ、選手が上達したとでもいうのか?
「どっちにしても、次で判りますよ」
能口が、迷いを打ち消すように言った。
「何が、だ」
「俺たちより、東征の打撃が上なのか、それとも…」
「それとも?」
「イヌイが俺たちより、上なのか」
能口の最後の言葉は、まるで祈りのようだった。
自分たちを完璧に負かした奴が、他のチームに負けそうになる。
もどかしく、悔しく、切なく、応援したくなるんです。
そういうもんです。




