15.65キロ
勝負所。一点取れば勝ち。
気合入ります。俺が、決める!
東征の三番打者は、自分の右手に出来た血豆をぎゅっと握ると、バッターボックスに立った。
こいつを打ち込むために、どれだけの練習をしてきたのか、その手が良く知っているはずだ。
「さあ来い!」
掛け声を挙げて、バットを構える。
「リー、リー、リー、リー!」
サードのランナーも、プレッシャーをかけようと、盛んに声を上げる。
ピッチャーの挙動をじっと観察しつつ、リードを大きく取った。
隙あらばホームを陥れようという、気迫に満ちていた。
イヌイは、バッターをじっと睨みつけた。
ランナーの方は、見向きもしなかった。
ゆったりとしたモーションから、一気に投げ降ろす。
バッターは、練習してきた通り、投げるタイミングに合わせて前足を踏みならす。
そうすることで、投げる瞬間を目ではなくリズムで取ろうという作戦だった。
よし、ドンピシャ!
スイングに入ったが、ボールが今までと違ってはっきりと見えた。
「スローボール!」
目で追えない速球に合わせてバットを振っていたので、とても止められない…
完全にバットを振り切り、一回転してしりもちをついた。
パァァァン…
今までとは明らかに違う、軽快な音を立ててキャッチャーミットにボールが納まった。
今までの練習で、上から投げ降ろされる球を打つ練習はしてきた。
最後まで目で追って打つ事は、確かに難しい。
が、縦に大きく割れるカーブや、真っ直ぐな軌道から一気に減速して消えるように落ちるフォークとは違う。
一直線の軌道しか持たないストレートである故に、どのコースに来るのかさえ判れば、予測してバットを振ることは可能である。
あとは、リズムを合わせて、球威に負けないようにフルスイングすること…
だが、それはあくまで「機械の投げる」速さを想定した練習だった。
キャッチャーが、サードに向かって走り出した。
スイングと同時にランナーが走り出していたが、球があまりにも遅いためにベース付近まで来ていたのだ。
気づいた時には、すでに全速力で走ってきたキャッチャーが目の前に迫っている。
塁に戻るまもなく、タッチアウト。
「よっしゃあ!2アウト2アウト!」
キャッチャーの掛け声で、ようやく球場全体に意識と時間が戻ってきた。
その球が投げ込まれた瞬間から、誰もが呆然としていたのである。
三番バッターは次のボールを振ることなく三振で終わった。
完全に飲まれている、といったようだった。
「…なんだ、今のは」
ようやく、意識が戻ったように、キャプテンが呟く。
能口は、バックネットに陣取っているスカウトの人たちをみた。
以前に声をかけて貰った顔見知りを探す。
いた。
「ちょっとバックネット裏に行ってくる」
そう言い残し、狭い通路をできる限り急いで歩いた。
2回の海浜の攻撃が終わった頃、スカウトに話をしにいった能口が戻ってきた。
「どうだった?」
「65キロ」
「はぁ?!」
「計り間違いかも知れないとは言っていたけど…」
南洋第一のナインは、互いに顔を見合わせた。
実際、能口自身、最初聞いた時には信じられなかった。
イヌイの、普段投げてる球の速さは、150~155キロ位だ。
試合後半だと、160キロ台も投げてくるらしいが。
「とんでもない高さから投げ降ろす上に、これだけ緩急を付けられたら、とてもタイミングだけじゃ打てねえな」
「機械相手の練習じゃ、限界があるってことか」
改めて、自分たちが対戦した時は、イヌイはまだ本気で投げていなかった事を痛感させられていた。
「なあ、ピッチャーって、そんな球本当に投げられるものなのか?」
キャッチャーが、自分の腕と能口の腕を見比べながら尋ねた。
遅い球を投げると言うだけなら、小学生でもできる。
だが、全く同じフォームで投げない限り、それは意味をなさない。
当然、読まれたら狙い撃ちされるからだ。
腕が長ければ、投げられるのだろうか、と言いたいらしい。
「…もしかしたら、な」
「なんだよ、一人で納得して。やっぱりあの腕の長さなら、出来るのか?」
「いや、腕の長さは関係ないよ。…やっぱり、練習の成果だろうな」
能口は、自分に言い聞かせるようにして、球場を見つめる。
「もう一度、投げあいたいな、アイツと。今度は、お互い本気で…」
ここでスローボールかよ…読まれてたらどうするんだよ。
読めなかったよ、見たことない球だったよ。
ランナー走っちゃって、刺されちゃったよ。
勝てねぇ、桁違いの化け物だコイツ…




