第四章 二十
その場所にいて耳の届くのは、激しく吹きすさぶ風の音だけで、それ以外は何も聞こえなかった。
私が力の限り叫ぶ男の名前も、あっという間に彼方へと連れ去られ、誰もいない虚空へと消えて行く。
寒い、という言葉ではまだ生温く、白い塊を蹴散らす脚先は既に痛みを通り越して感覚が無くなりつつある。
黒い"もり"の襲来を何とか退けた私は、急いでフラウラを村へと連れ帰った。彼女に方は幸いにも大事には至らなかったが、私の怪我の度合いは深刻で、歩くどころか呼吸するのも精一杯の状態だった。しかい、入れ違いでハイドラが本殿へと行ったと聞いてはじっとしていられず、どうしても行くと言い張った結果、フラウラが一つの方法を提案してくれた。
かつてルルディの父親ルドラが、大薬師ウーヴァを鬼装の呪いから救ったものと同様の方法。樹齢千年の生命力"乳香〈バルター〉"と森の民に伝わる神秘の力"黄金〈メルキオ〉"使い、一時的に怪我を回復させるというものだった。
「本当に回復するのとは根本的に異なる方法だ。効果は数刻しか保たない、その後は指一本動かせなくなるが、それでもやるのか?」
ロジエの言葉に私は一も二も無く承諾した。今動ければ明日倒れようとも構わない。今日動けなければ明日は無いのだ。
その効果は絶大で、数日前に負った肩の怪我を完治させても、お釣りが来るほど回復し、すぐさまハイドラの後を追うことができた。
森の民フラウラに案内された山頂本殿への抜け道は、厳寒の山肌を外から登る道だった。
「てっきり空船みたいに宙に浮いて本殿に行くのかと思っていた」
「"もり"なら飛べる。デモ近づけない。あそこはどくが強すぎル」
当然のようについて来ようとしていたフラウラに、何とか残るように説き伏せた私は、役に立つからと暖かい光を放つ"もり"を渡されていた。
これを頼りにハイドラを探せるらしいが、外は薄暗く強烈な風が吹いていたために、ほんの半刻前に歩いて行ったはずのハイドラの足跡は跡形もなく消えていた。
〈ハイドラの居場所ワカル。"もり"が教えてくれル〉
具体的な方策を持っていなかった私には、彼女の言葉を信じる他に手は無かった。
「(本当にこの先にいるのか……この寒さでは四半刻も持たんぞ)」
東の空は黎明の明るさを増し、あと半刻もすれば夜が明ける。とは言え辺りは未だ薄暗く、目指す薬師本殿の影さえ見えない。
このような雪と風の中、軽装で出るのは自殺行為だ。せめて夜が明けるのを待てと止めたらしいのだが、ハイドラはフラウラが心配だから待っていられないと飛び出して行ったそうだ。