第四章 二十一
フラウラの話では、ここから薬師本殿まで五町(545m)も無いそうだが、この暗さと寒さではハイドラの命が危ない。
私が一緒だったらこんな真似はさせなかったのに、悔やんでも悔やみきれない。
唯一の望みは、ハイドラも持っているはずの光る"もり"の存在だ。
互いの存在を呼び合うこれがあれば、近づくだけで光の拍動が教えてくれるはずだ。
時折、無駄だと思いつつも名を叫ぶ。当然のように返答も残響もなく、ただ強風のみが変わらず徒労を伝え、時間と方向の感覚を鈍らせていく。
夜明けの刻限が遅すぎる
いやまだニ間も進んではいない
私は小さく萎みきった"もり"を確認したが何の変化もない
私の脚も手も鉄のように重量を増し、感覚はほとんど無くなってしまった。
どうする?
ここが私の運命の別れ道なのかも知れない
暗さと寒さ、すでに私にはわずかな余裕さえ残っていない。今なら足跡をたどって元の場所へと帰れる可能性は十分にある。しかしそれではハイドラとの距離が開く一方で、再会はさらに難しくなる。
冷たく重さを増して行く身体。暗く寒い中、行方不明のハイドラ
どうする……どうすればいい……
「うわっ⁉ 」
迷いと疲れから判断力が低下していたのか、雪の中に埋もれた岩に脚を取られ、雪を撒き散らして思い切り転んでしまった。
「⁉ ……っ!」
心臓が一度、大きく跳ね
細く吸った息をこくん、と飲み込む。
今まで何の変化も無かった"もり"が緑の毛を揺らしゆっくりと明滅を繰り返している。
「ハイドラ……か?」
この暗闇の中にあって、一筋の光明に見えた灯火は、同時に強風に晒される風前の灯火でもあった。
地面から震える身体を起こそうとする四肢には、もはやその力は無く、私の意志とは裏腹に惨めに地を掻いているだけだった。
近く、本当に近くに彼がいるはずなのに、見渡せばすぐそこにいるはずなのに、千里のはるかより遠く、万里の彼方へと消えていく。
このまま二度と会えないまま果ててしまうのか、想いを伝えぬまま……このまま……
悔し涙も凍りつき、遠のいていく意識の中でも、私は誰かに何かを言われた気がした。そして両脇を抱えられ引きずられていく。
もしかしてこれが全ての衆生を救う地蔵菩薩の仕業か、あんな穏やかな顔をして存外乱暴者だったのだな。
末期を願う時には、せめて三途の渡りを彼とともに、と願う事にしよう。




