第四章 十六
私は幼き頃より道場で剣の修行にあけくれ、何百回となく立合いを経験してきた。その相手は、当然のように剣を持った人間で、我が中条螺子捲流もまた対人の剣である。それ故この迷宮に来るまで、人以外を相手に戦った事はなかった。
正直なところ私の剣はまやかしの技を使い、半ば見世物と化していた事もあり、人ならざるモノに通用するか不安があった。
しかし幸運にも私は弟子を得ることが出来た。この事が剣を振る基本を思い出し、戦う心構えを呼び起こし、修行をする喜びを復活させた。
相手をよく見て、冷静な判断をし、自分を信じて剣を振るえ。なんのことはない弟子に教えながらも自分に教えられていたのだ。
迷宮内では未知の相手と戦うことが多く、より慎重な戦い方が求められる。だが基本どおりに戦えば、さしたる苦戦を強いられることは無いと考えていた。
しかし今の私の精神は冷静とはほど遠く、焦りと不安に支配されていた。
早鐘のごとく鳴り続ける心臓。せばまる視野。痛いほど呼吸を繰り返す肺。刀を握る両手は震え、唇からは血がしたたり落ちる。
四半刻でもいい、早くハイドラの顔を見たいのに、声を聞きたいのに、肌に触れたいのに。私のすぐ背後で倒れている少女は無事なのか、すぐさま駆け寄って確かめたいのに。
私は視線を前の〈それ〉から外すことが出来なかった。
構える剣の数間先には、一丈はあろうかという黒く毛だらけの球体が浮かび、低くうなっていた。
村への帰路を急ぐなか、突然現れた黒い"もり"は、我々二人をふき飛ばしなおも襲いかかろうとしている。
かろうじて攻撃を防げた私に対してフラウラはまともに食らったらしく、鈍い音とともに派手に空中に舞い、道端のやぶに落下した。
「フラウラ!おいっ!」
呼びかけに反応はなく、強烈な不安が思考を硬直させる。
「(死んではいない、気を失っているだけだ。そうにきまっている……)」




