第四章 七
大薬師神宮本殿には、一部の者しか知らされていない秘密の部屋がある。
翠塔山山頂の本殿からすれば最下部にあたり、迷宮内にから見れば天井に突き刺さる尖塔にある実験室だ。
常に薄暗く、むせ返るような濃密な薬の幽香は、嗅覚のみならず五感すべてを幻惑し正常である事の贅沢を許さなかった。
壁際には大小の棚が設置され、無数の硝子瓶やカビが生えた書物が並ぶ。
大半は奇妙な形をした植物の葉や木の実だが、中には人に皮膚らしきものや動物の胎児が薬液に浸けられていた。
部屋の一角にはくつくつと煮立つ赤銅色の液体をたたえる鍋が置かれ、時折放り込まれる薬草を次々に飲み込んで行く。
その横には一人の少女が座らされている。
体格に合わない首輪からは極太の鎖が伸び、少女が虜囚である事を印象付けていた。
その眼前には、生命感の無い骨と筋ばかりが目立つ裸体を晒して仁王立つ男が、狂気を宿した目玉で少女を見つめ、小声で何事かを呟いている。
少女の破かれた右袖からは岩蝕の肌がむき出しとなり、チリチリと音を立てながら徐々にその版図を広げていた。
「これじゃない、そうじゃなくてもっと純度が必要だ。七種から九種に増やして……」
にわかにゴボッと泡が昇る音が鳴り、少女が激しく嘔吐した。
辺りには吐瀉物の刺激臭と、薬臭が混じり合った悪臭が流れ漂う
「あまり急ぎすぎると死にますよ」
いつの間にか実験室の中にいた闇蜘蛛ブブキはマスク越しに予想される事態を冷徹に述べる。
「……キミを招待したつもりはないよ。どこから入った」
「ホホ、アタシには入れない所なんてこの本殿に存在しませんわ」
痩身の男、聖薬師ニエベはあからさまに不満顔でブブキを睨むが、ブブキは涼しい顔のまま表情を全く変えなかった。
「死に線は見極めてあるよ。ウーヴァさんで実験したからね」
「アラ?この子……呪いが進行してるのね」
少女の両素足は赤黒く変色し、一部岩と化していた。
「呪い?」
ニエべは、口元を歪めこれを嘲笑する。
「これはれっきとした薬物中毒さ。霊薬を作る際に出る毒素のせいでね」
「じゃあこの娘も……」
「ああ、静かなる闇"没薬〈カスパー〉"を作ったんだ」
ニエべの目線の先には、厳重に固定された壷と白く固まった液体が入った小瓶が見える。
「結局、いまだに"黄金〈メルキオ〉"が何なのかは不明のままですか。せっかくこの娘をおびき寄せるのに成功しましたのに」
「本当にやっかいだよ。死体を解剖しようにも、死と同時に症状は一切消えて無くなるからね」
「それでこの娘を実験台に」
「症状を強制進行させて、病気の中身を解明してやる。なあに手足がグズグズになって崩壊しても切断すれば生きていられるし、症状が脳に達するまでは平気さ」