第四章 六
眼が座っていて、口調が平坦なのが余計に怖い
刀の鯉口を切ろうとしているけど、まさか本当に抜いたりはしないだろう。
僕がフラウラさんに離れているように促すと、彼女はとまどいの表情を見せながら、一歩二歩と下がり、やがて背を向けてどこかへ去ってしまった。
僕としてはキチンと事情を話したうえで、直接オルヒアさんが会話をすれば何の問題も無いと思うが、とりあえず落ち着いてもらわないと話も出来ない。
「とにかく落ち着いて下さい。フラウラさんに触られていると気持ちが良く伝わって来ますから」
「触られると気持ちいいとか何を口走っているんだ破廉恥な!私はお前のために言ってるんだ! 鼻の下を伸ばして喜んでいる場合ではない!」
「よっ喜んでなんかいません! オルヒアさんこそ、どうしてこんな小さい事でいちいち怒ったりするんですか⁉ おかしいですよ!」
「言うに事欠いて、私がおかしいだと⁉ お前はいったいどっちの味方なんだ‼ 」
!
「どっちのって……」
僕は絶句してしまった。
オルヒアさんは、迷宮内をずっと一緒に旅をして来た仲間で、僕の剣の師匠でもある。刀の持ち方から戦いに臨む精神まで、何も知らなかった僕に一から丁寧に指導してくれと事をとても感謝している。
その思いに報いようと、料理も洗濯も世話も僕が出来ることは精一杯やったつもりだ。
嬉しい時は共に喜び、楽しい時は共に笑い、危険な時を共に乗り越え、互いの時間を共に過ごして来た。
僕にもし家族がいたら、こんな感じなのだろうかと錯覚して、この幸せがずっと続けばいいのにと願っていた。
フラウラさんはきっと僕個人ではなく、人間すべてに興味があるのだと思う。
友好的にもかかわらず、交流が少ないと言うより"もり"の意思を尊重しての事だろう。"もり"が受け入れるなら助力するし、忌避するなら拒絶する。
迷宮内において弱い立場にある僕らにとって、一時的にでもその協力が得られるのは、とてもありがたい事だ。
家族とも言うべき師と、迷宮の守護者一族
どちらが敵でどちらが味方かなんてあるわけがない。
「……どっちの味方なんてありませんよ。でも、あえて言うなら間違っているのはオルヒアさんです。ろくに話も聞かないで、剣を抜こうとするなんて、まともな剣士のすることじゃありません」
「……聞き捨てならん言葉だ。弟子が師に指図するのか」
「僕の師はいつも正しくて尊敬できる人です!しかし今のあなたは正直訳がわかりません。なんの意味があって怒るのか、僕にどうしろ言うのか。考えても全くわかりませんよ!」
「私はお前のために言っていると言っているんだ!ナゼそれがわからない!」
「僕のためと言うならボクのコトは放っておいて下さい!子供じゃないんですよ僕は!」
ちがう。そういう事を言いたいんじゃない
少しだけ、ほんの少しだけ行いを改めてもらいたいだけなんだ
オルヒアさんに代われる人などいない
僕の大事な大事な人なのに。
「……そうか。ではこれからは一人で行くがいい。もう師でも弟子でもない」
「……分かりました。ここでお別れです」
「さらばだ」
短くそう言い放つと、背を向けて去ろうとする。
……
ーー 今ならまだ間に合う。走って行って謝ればきっと許してくれる。
……
歩調に躊躇は感じられない。どんどん、どんどんと背中が小さくなって行く。
……
ーー大声を出して名前を呼べばいい。多少時間は必要かもしれないが、真摯に向き合う時間も持たないまま別れていい訳がない。
ついに一度も振り返る事なく、オルヒアさんは僕の視界から消えてしまった。
「おうぃ二人とも、"黄金〈メルキオ〉"のことなんだが……ん?どうかしたか? 」
「……いえ、なんでもありません」
僕はその場に背を向けて、彼女が消え去った道と逆の道へと歩を進めて行った。
この後に及んでも、僕はいざとなればオルヒアさんがきっと駆けつけてくれるのではと、淡い期待を持っていた。
それはどこかで〈自分は間違っていない。間違っているのは相手の方だ〉と、お互いに決めつけていて、いずれ考えを改めるだろうという勝手な思い込みに他ならない。
オルヒアさんと僕の二人共がそれに至る考えの道筋の中に重要な要素が抜け落ちている事に気がついていなかった。
そしてこの後、二人が再び師と弟子の関係に戻ることは決して無かった。




