第四章 八
軽い口調で恐ろしい内容を口にするニエベの声は、囚われの少女に届いているはずだったが、虚ろな瞳で窓の外を見つめる表情に何ら変化は見られなかった。
「ウーヴァさんは娘のためにこの薬事辞典を作ったのだと言って、ボクには見せてくれなかったからね、そのツケを娘に払ってもらうのさ」
ニエベはルルディの持っていた薬事辞典を大げさに持ち上げ、さながら舞台上の役者の如く、芝居じみた台詞を高らかに朗読する。
そして机上にあったガラス瓶を引っ掴むと、いきなり壁に叩きつけた。
「ボクは死ねない! 必ず呪いを克服してもっともっと知識を飲み込んでやる! 見ていろ必ずだ‼ 」
岩蝕を伴った右腕を振りかざし、運命に抗う事を宣誓するかのように怒りの声をあげ、男は大股で実験室から出て行ってしまった。
その様子を無言で眺めていたブブキは、ニエベが去って行った実験室の扉を見ながら恍惚の表情を浮かべていた。
「純粋……ホントに真っ直ぐだわ……早くカレから知を取り上げて壊してみたい。早くその瞬間を見たいわ。ケド……ダメよ。今は我慢しなさい。その時が、最高の瞬間が訪れるまでは、全てが揃うまでは……」
自らの言葉で冷静さを取り戻したブブキはその場でぴしりと指を鳴らし、自分の手足にごとく働く小蜘蛛衆を呼び出した。
小さな暗がりから音もなく現れた小柄な男は、ブブキの足元に進み出て、うやうやしく膝をついた。
「荷の搬入は済んでいるわね」
「手筈通りに」
「本殿に近づくモノは何であれ撃ち落としなさい。あの子達は必ず来るわ、外の警戒を厳重にするのよ」
親グモは小グモを伴って音もなく柱の影へと進み、忽然と姿を消してしまった。
そこには親グモブブキはもちろんのこと、子グモ衆の小柄な男が隠れられるような空間は存在していなかった。
一人残された囚われの少女ルルディは、力なくだらりと手足を下げた姿勢のまま、虚ろな瞳で煮え立つ鍋の火をみつめていた。
これから彼女の身に起きる惨劇を思ってか、それとも初めて知った母の思いか、踊る炎が映る眼には涙があふれ、岩蝕の進行する腕に一つ二つとしみを落とした。




