07 ラリオ先輩に話す 後
リンジュ・フィオーレは矜持の高い人である。
嫁がせられたのは望んでの事ではないのだし、嫁ぎ先に迎合したわけでもない。よく知った仲であるラリオ先輩と戦場で再会した時に、投降してしまえばよかったのだ。
でも、彼女の矜持がそれを良しとしなかった。
フィオーレ先輩にも引けない事情があった。
ノトス唯一の魔法使い、と言う事は唯一の戦力と言う意味でもある。
もともとノトスの族長は本音としては中央派だったけど、周囲の土地はトラモント派が多く四面楚歌となるのを恐れて中立の立場でやり過ごそうとしていた。他の地方部族から参戦を強要され、苦心の末、女だらけのノトスには戦力となる者は唯一の魔法使いである娘しかいないと、フィオーレ先輩を差し出す決断を下した。
正式な同盟ではなく、あくまでも嫁いだだけ。たまたま戦時中になってしまっただけ。たまたま相手がトラモント派だっただけ。
それで押し通したのがわろたさんの言う、族長の強かなところなのだろう。
フィオーレ先輩を送り出した後、ノトスは戦力不保持の宣言を出しどちらの勢力からもフェードアウトする事に成功した。
フィオーレ先輩は自分1人でノトスが守られるのなら易いもの、寧ろ栄誉だと族長の…お母さんの決断を受け入れた。
自身と、フィオーレ先輩を慕ってノトスに移住していた音楽クラブの後輩1人を伴って、他の地方部族へと嫁いだ。
そこはわろたさんが可能性の一つとして挙げた、ノトスとは逆の男性優位の土地だった。
本当の経緯はどうあれ、本心はどうあれ、嫁いでノトスとの関係が切られた状態になった以上、フィオーレ先輩にはノトスに戻る選択肢はない。
戻ってしまえば、せっかくの戦力不保持の宣言が無駄になる。
更にラリオ先輩がフィオーレ先輩の所へ辿り着いた時、ノトスからついて来た後輩が既に命を落としていた。
投降し自分だけが生き永らえる選択は、フィオーレ先輩の矜持が許さなかった。
フィオーレ先輩は全ての事情をラリオ先輩に語った訳ではない。
だけどラリオ先輩は察したらしく、フィオーレ先輩の矜持を正面から受け入れた。
つまり、互いに一切の手加減なしで、本気で戦ったのである。
結果は……相打ちと言っておく。
2人共命を落とした事に違いはないのだから。
「君も分からない子だなー。ここで私と闘っても意味ないだろう」
「煩い! リンジュの意思を一切無視した縁談なんぞ認められるか! 今すぐ撤回しろ!」
わろたさんが払い落した槍が地面に突き刺さる。それを軸にしてラリオ先輩が蹴りを繰り出すが、やはりわろたさんは寸前で避けてしまう。
「既にトラモントから知らせと使者を送った後だ。知らせの方はもうノトスに届いているはず。使者が到着するまでにノトスは返答を考えなくてはならない」
「いくらリンジュが疎まれていても、母君がリンジュの意思確認もせず勝手に返答なぞするか!」
「その為の使者だよ。ラリオくんが言う通り、ノトスの族長ならすぐに返答はしないだろうね。トラモントとしても本人への確認なしに返事は望まない。しかし使者とて手ぶらでとんぼ返りするわけにもいかない。断られるのなら、納得できる理由がなくてはね。だから暫く、明確な返答を得るまで、ノトスに滞在させてもらう事になるだろう」
ラリオ先輩の拳をわろたさんが受け止め、2人が近距離で向かい合う形になった。
透鏡はラリオ先輩の表情を大きく、正面に映し出す。
「閉鎖的なノトスでトラモントの使者はさぞかし目立つだろうね。交渉役を担うのだから使者は話し上手な者が就く。ノトスの女性達を退屈させないよう沢山お話をするだろう、ノトスに滞在している理由も含めて」
サッとラリオ先輩の顔色が青に変わる。
「どこまでも卑怯な!」
「抜け目ないと言って欲しいね。この程度の事は奸計とすら言わない。君の実直さは個人的に好ましいが、自分がそうだからと相手まで実直であるべしと思うのはただの幼稚だ。抜け目があっては特に情報戦はやっていけないよ、後衛クラブの部長さん」
「煩い!」
「ノトスの婚姻について調べたところ、未婚女性の婚姻に関して族長は強い決定権を持っているそうだ。閉鎖的に暮らす一族が絶えないように管理する為だろう。つまり扇動だろうが圧力だろうが、族長を説得さえできればフィオーレくんの意思は関係ない。理解できたかい?」
使者がトラモントからの見返りをチラつかせてノトスの人を誘導し、フィオーレ先輩を嫁がせる決断を族長にさせるって事ですね。理解しました。
同時に、これが公式チートの為せる技なのか色々な事情と現実を知っている大人なら出来て当たり前なのかは分からないけど、もしかして私はとんでもない人に情報を渡してしまったのかも…とも思いましたよ。
ここからどう収拾つけるつもりなんですか、わろたさん…。
私の気が遠くなるのと同様にわろたさんとラリオ先輩の距離も一旦離れ、そこから再び攻防が始まった。
「だが未婚女性の婚姻に関する決定権はあくまでも、お相手がいない場合のみ。ノトスの女性がこれだと決めたお相手には族長だろうが親族だろうが、誰にも異を唱える事は出来ない。まぁそれだけに、これだと決めて迎えた婿に浮気されたなんて、ノトスの女性にとって許し難い事はないのだが」
「いちいち上から目線で説明するなっ腹立つ!」
「かくも婚姻とはノトスにとって重要なもの。なんとも不思議な土地柄だよね」
「人を無知だと馬鹿にするのもいい加減にしろ! 俺は、ノトス出身のリンジュの同級だぞ! ノトスの風習は貴様より知っている!」
「へー…、知っているんだ」
わろたさんの声が聞こえた瞬間、背中がゾクッときた。一段と低い声に聞こえた。
そしてまた映像がブレたと思ったら、地面に顔面を押し付けられるラリオ先輩の後ろ姿が…。ラリオ先輩の頭を鷲掴みにして押さえ込む大きな手は、わろたさんのだ。
「う…ぐっ」
「飽きてきた。そもそも、君にとやかく言われる筋合いはないよね?」
「俺はリンジュの同級だ! あいつの努力を6年間誰よりも近くで見てきた! それを無下にする卑怯な縁談なんて黙っていられるかっ!」
「誰よりも彼女の想いを無下にしておいて、よく勝手な事が言える」
「あ゛!? 俺がいつリンジュを無下にした!? 貴様こそ勝手な事を言うな!」
「以前見掛けたんだが、君、彼女の髪を梳いた事があるだろ?」
お。
「あ!? それがなんだ!?」
「それが…か。君も罪な男だね。ノトスの女性が髪を梳かせるのは求愛を意味する行為だと言うのに」
「っ………は?」
おお。
「ノトスにとって女性の髪は神聖なもの。実の父親ですら娘が3歳になれば触れる事も出来なくなり、7歳を過ぎれば母親も触れなくなる。髪が綺麗になるように常に自分で手入れし、伸ばし続けた髪は結わずに流す。ノトスの女性の髪に本人以外で触れられるのは、ノトスの女性がこれだと決めたお相手のみ」
おおお。
「髪を梳かせるのは求愛の行為。その求めに応じて髪を梳くのは、求愛を受け入れた行為だ。ラリオくん、君、親友のルシアくんですら触った事がないフィオーレくんの髪に何度触った? 何度求めに応じて髪を梳いてやった?」
おおおお。
「私よりノトスの風習を知っていると言ったんだ。当然これも知っていたよね?」
「…っま、て…」
「なのに君は触るだけ触って、梳いてやるだけ梳いてやって、卒業後は別れる気満々。実に酷い話じゃないか。そのくせ縁談にはケチを付ける」
「そんなこと、あいつは…」
「ノトスの女性は一途だ。髪に触れさせ、これだと決めたお相手1人を永遠に想い続ける」
「リンジュは…いちども、言って」
「自分に向けられる想いに気付かず、行為の意味も知らず、誇りだ努力だと知った気になるなよ、小僧」
おおおおお!
こ、ここに来て、わろたさんが一気に畳み掛けた!
「……っ」
ラリオ先輩の身体から力が抜けたのが見て分かった。
抑え込んでいたわろたさんの手が離れるけど、ラリオ先輩は地面に伏したまま起き上がろうとはしない。大丈夫なんだろうか…。
「トラモントからノトスへ知らせと使者を送ったのは昨日だ。知らせはともかく、使者がノトスに到着し住民を懐柔して族長に決断を迫るまでにどれだけ時間が掛かるか。情報を司る後衛クラブの部長らしく考えてご覧。私と闘うより、君にとっては遥かに意味があるはずだよ」
わろたさんが背を向けたのか、透鏡はラリオ先輩を映さなくなった。
「あぁ、これも勿論知っているんだろうけど、ノトスの女性に髪飾りを贈るのは求婚を意味するそうだね。渡さず仕舞い込んでいても意味はない。まぁ、どうするかは、君次第だけど」
それだけ言って、わろたさんはその場から移動する。
ラリオ先輩が追いかけてくる様子はなく、ザッザッと言う足音だけが透鏡から聞こえていた。




