第7話 勘違いは加速する
その日の夕方、悠真は連合国軍本部に併設された来賓用宿舎へ案内されていた。
部屋に足を踏み入れた瞬間、俺は思わず立ち尽くした。床にはふかふかの絨毯が敷かれ、重厚な家具が並び、大きな窓の向こうには城下町の景色が広がっている。部屋の隅には立派な調度品まで置かれており、どこを見ても高級感が漂っていた。
……いや、待て。ここ、本当に俺が使っていい部屋なのか?
つい数時間前まで奴隷小屋で暮らしていた人間に与える部屋としては、明らかに豪華すぎる。あの薄暗い小屋と比べることさえ失礼に思えてくるほどだ。
俺はしばらく呆然と部屋を眺めていたが、やがて視線が中央に置かれた大きなベッドへ吸い寄せられた。気づけば足が勝手に動いている。そして、そのまま勢いよくベッドへ飛び込んだ。
「ふっかぁぁぁぁぁ!!」
全身がふわりと沈み込み、柔らかな感触が身体を包み込む。藁を敷いただけの寝床や硬い床とは比べものにならない。まるで雲の上に寝転がっているような心地よさに、俺はベッドへ頬を押しつけた。
「これだよ……。人間はこうやって寝るべきなんだよ……!」
ああ、最高だ。もう一生ここから動きたくない。魔族の機嫌を取るために愛想笑いを浮かべる必要もなければ、いつ殺されるかと怯えながら眠る必要もない。柔らかいベッドに身を預けているだけで、これまでの苦労が報われた気がした。
そんな至福の時間を満喫していると、扉が控えめにノックされた。
「失礼いたします。夕食をお持ちしました」
入ってきたのは若いメイドだった。彼女が押してきたワゴンには、焼きたてのパンに香草を添えた分厚いステーキ、新鮮な野菜のサラダ、湯気の立つスープ、さらには食後の果物まで並んでいる。
料理がテーブルへ運ばれるにつれて、俺の目はどんどん大きくなっていった。特にステーキ。こんがりと焼かれた表面から香ばしい匂いが漂い、肉汁がじゅわりと染み出している。見ているだけで腹が鳴りそうだ。
「……これ、全部ですか?」
「はい。悠真様のお食事です」
「俺一人で?」
「もちろんです」
「うほっ……!」
思わず妙な声が漏れた。目の前には焼きたてのパンに分厚いステーキ、サラダにスープと、夢のようなご馳走が並んでいる。しかも、誰かに取り分ける必要もなく、全部俺一人で食べていいらしい。
(マジか……これ、全部食っていいのか? 夢じゃないよな?)
奴隷生活で飢えに苦しんだ身としては、これだけでも涙が出そうだった。もう遠慮なんてしていられない。
「いただきまぁぁぁぁす!!」
俺はさっそくステーキへ豪快にかぶりついた。噛んだ瞬間、熱々の肉汁が口いっぱいに広がり、香ばしさと濃厚な旨味が一気に押し寄せてくる。
「うまっ!! 何これ、うますぎるだろ!」
思わず声が裏返った。肉を頬張り、パンをちぎって口へ運び、合間にスープを流し込む。フォークを動かす手が止まらない。
「これだ……これが肉だ……!」
昨日までパンの欠片で命をつないでいたとは思えない勢いで、俺は次々と料理を口へ運んだ。肉を頬張り、パンで肉汁を拭うようにして食べ、スープで流し込む。こんな贅沢ができる日が来るなんて、奴隷だった頃の俺に教えてやっても絶対に信じないだろう。
(そうか……人類は、この味にたどり着くために文明を発展させてきたんだな……!)
いや、そんなわけはない。もっとこう、農業だの技術革新だの、立派な理由があるはずだ。けれど、少なくとも今の俺にとっては、この食事こそが文明の結晶だった。
「生き返るぅぅぅ……!」
心の底からそう叫びながら、最後の一口を飲み込む。胃袋が満たされていくにつれ、身体の奥から幸福感が込み上げてきた。生きていてよかった。本当にそう思う。
そんな俺の食べっぷりを、メイドは微笑ましそうに眺めていた。
「ふふっ。英雄様でも、お腹は空くのですね」
「ぶふっ!」
危うくスープを吹き出しかけた。
「だから英雄じゃないですって!」
「あら、またご謙遜を」
「謙遜じゃなくて、本当に違うんですよ!」
俺が必死に訴えても、メイドは困ったように笑うばかりだった。どうやら、俺の言葉をまともに取り合う気はないらしい。
「でも、皆様も同じことをおっしゃっていましたよ。大佐様も、元帥様も、城門で出迎えた兵士の方々も、悠真様は素晴らしい英雄だと」
「何その一致団結した勘違い……怖すぎるんですけど」
まさか、国のお偉いさんからメイドに至るまで、全員が同じ勘違いをしているとは思わなかった。ここまでくると、俺がいくら否定しても無駄だろう。むしろ下手に否定し続けたら、謙虚な英雄だとか言われて、さらに話がややこしくなりそうだ。
俺は頭を抱えた。せっかく豪華な部屋とご馳走にありつけたというのに、英雄なんて肩書きがついたせいで、どうにも落ち着かない。
……いや、待てよ。
衣食住は保証されているし、金貨五百枚ももらえる予定だ。英雄扱いされるのは面倒だが、少なくとも今すぐ困ることはない。だったら、わざわざ自分から面倒ごとを招き寄せる必要もないのでは?
問題は、来月の魔王軍討伐作戦だ。英雄と呼ばれている以上、まさか「俺、戦えません」と言って逃げるわけにもいかない。いや、そもそも俺は英雄でも何でもないんだけど。
(……まあ、そのときはそのとき考えよう)
先のことを考えたところで、今すぐ名案が浮かぶわけでもない。俺はひとまず厄介な問題を頭の隅に追いやり、残っていたパンを口へ放り込んだ。
今はとにかく、飯がうまい。それだけは間違いなかった。
***
その頃、連合国軍本部の地下にある会議室では、元帥と数人の将軍たちが円卓を囲み、先ほどの作戦について話し合っていた。重厚な鉄扉が閉ざされた室内には、張り詰めた空気が漂っている。
「ラインハルト、改めて確認したい。あの青年は、本当に隊長級魔族を毒殺したのだな?」
グレゴール元帥の問いに、ロイドは迷いなく頷いた。
「はい。私の《審議眼》は、彼の証言に嘘の反応を示しませんでした」
「だが、妙だな……。隊長級の魔族を倒したとなれば、相応の戦闘能力があってもおかしくない。ところが、報告では彼から能力者特有の気配すら感じられなかったというではないか」
将軍の一人が腕を組み、納得のいかない様子で唸った。すると、ロイドは真剣な表情で答えた。
「私も最初は疑いました。しかし、彼の話に嘘はなかった。魔族に従っていたのも、生き延びるためだったそうです。おそらく彼は、あえて魔族の懐に入り込んで信用を得たうえで、隊長級を暗殺したのでしょう」
「能力も持たずに、そこまでやったというのか?」
「少なくとも、私の《審議眼》は彼が嘘をついているとは判断しませんでした」
将軍たちは顔を見合わせた。能力も持たない人間が魔族の支配下で生き延び、敵の幹部を暗殺したなど、普通なら信じられる話ではない。だが、嘘を見抜くロイドの能力が証言を裏づけている以上、頭ごなしに否定するわけにもいかなかった。
やがて、別の将軍が感心したように口を開く。
「隊長級魔族に接触し、信用を得たうえで暗殺まで成功させたのか。潜入能力は相当なものだな。下手をすれば、我が軍の諜報員より優秀かもしれん」
「それだけではありません。尋問の際も、彼は《審議眼》を前にして一切動じませんでした。自ら犯行を認めたときも、まるで迷いがなかった」
実際には、勢いで名乗り出た挙げ句、自分でも何が起きているのか分からなくなっていただけなのだが、そんな事情を知る者はこの場にいない。
「なるほど……。単に腕が立つというだけではないわけか」
グレゴール元帥は腕を組み、しばらく考え込んだ。
「正面から戦わせるより、諜報や暗殺に向いている人材なのかもしれんな」
「私もそう考えます。戦闘能力については未知数ですが、潜入任務に限れば、連合国でも最高峰の人材になり得るでしょう」
ロイドの言葉に、会議室の空気が変わった。将軍たちは互いに顔を見合わせ、やがて一人が低い声で呟く。
「つまり、我々はとんでもない逸材を手に入れたということか」
「そういうことになりますな」
別の将軍も頷き、円卓を囲む者たちの間に静かな興奮が広がっていく。敵地の奥深くへ潜り込み、魔族の警戒をかいくぐって幹部を仕留める。そんな芸当ができる人材は、連合国軍にもそうそういない。
そして、その能力を人類の勝利のために使わない手はなかった。
「決まりだな」
グレゴール元帥は椅子から立ち上がると、壁に掛けられた地図へ歩み寄った。指先が示したのは、広大な魔王領だった。
「彼には魔王軍への潜入任務を任せよう」
将軍たちは一瞬だけ顔を見合わせたが、すぐに異論はないとばかりに頷いた。
「成功すれば、戦局を大きく動かせます」
「彼以上の適任者は見当たりませんな」
もちろん、魔王領への潜入は極めて危険な任務だ。敵地で正体が露見すれば、待っているのは死。生きて帰れる保証など、どこにもない。
それでも、この場にいる者たちに迷いはなかった。
「魔族は人類の敵です」
将軍の一人が地図を睨みつけながら、憎しみを滲ませた声で言った。
「奴らに家族を奪われた者も、故郷を焼かれた者も大勢いる。これ以上、命や土地を奪わせるわけにはいきません。魔王も、その配下も、必ず滅ぼさなければならないのです」
誰も反論しなかった。この場にいる者たちの多くが、魔族との戦争で大切なものを失っているからだ。グレゴール元帥も重々しく頷いた。
「その通りだ。我々の使命は、人類を守り、この戦争を終わらせることにある。そのためにも、彼の力を借りたい」
こうして、本人の知らないところで悠真の処遇が決まった。
隊長級魔族を暗殺した謎の青年。その潜入能力を買われ、魔王軍への潜入任務を任されることになったのだ。
……もっとも、本人は自分がそんな大層な人材だと思われていることすら知らないのだが。
***
「おかわりくださーい」
一方その頃、当の悠真は四杯目のスープを飲み干し、満面の笑みを浮かべていた。
「かしこまりました。すぐにお持ちしますね」
メイドが空になった器を受け取り、新しいスープを注いでくれる。俺は礼を言いながら器を受け取り、湯気の立つスープをひと口啜った。
「はぁ……幸せ……」
温かい部屋に、柔らかなベッド。おまけに、腹いっぱい食べてもまだおかわりができる豪華な食事まである。数日前まで奴隷として扱われていたことを思えば、まるで別人の人生を歩んでいるようだった。
(異世界最高だな……。やっぱり人生、何が起こるか分からないもんだ)
俺はそんなことを考えながら、再びスープを口へ運んだ。
自分が今、人類の命運を左右しかねない極秘任務の候補者に選ばれ、近いうちに魔王軍のど真ん中へ送り込まれようとしていることなど、夢にも思わずに。
――このときの俺は、明日もおいしい飯が食べられるかどうか。それだけを考えていた。




