第7話 勘違いは加速する
その日の夕方、悠真は連合国軍本部に併設された来賓用宿舎へ案内されていた。
部屋へ足を踏み入れた瞬間、思わず言葉を失う。
床には厚い絨毯が敷かれ、重厚な家具が並び、大きな窓の向こうには城下町の景色が広がっていた。その豪華さは奴隷小屋とは比較することさえ失礼なほどで、同じ世界の建物とは思えない。
「……。」
しばらく呆然と立ち尽くしていた俺だったが、やがて吸い寄せられるようにベッドへ近づくと、その上へ勢いよく飛び込んだ。
「ふっかぁぁぁぁぁ!!」
全身がふわりと沈み込み、藁の寝床や硬い床とは比べものにならない心地よさが身体を包み込む。まるで雲の上へ寝転がったような感触に、俺は思わず頬を緩めた。
「これだよ……。人間はこれで寝るべきなんだよ……。」
この数日間の苦労を思い出し、本気で涙が出そうになる。
そんな至福の時間を味わっていると、扉が控えめにノックされた。
「失礼いたします。」
入ってきたのは若いメイドだった。
彼女が押しているワゴンの上には、焼き立てのパンに香草を添えた分厚いステーキ、新鮮な野菜のサラダ、湯気を立てるスープ、さらには食後の果物まで並んでいる。
料理がテーブルへ運ばれるたび、俺の目はどんどん大きくなっていった。
「夕食をお持ちしました。」
「……全部?」
「はい。」
「俺一人で?」
「もちろんです。」
「うほっ……。」
俺はしばらく無言で料理を見つめた。
目の前にあるのは夢でも幻でもない。本物のご馳走だった。
そして次の瞬間。
「いただきまぁぁぁぁす!!」
ステーキへ豪快にかぶりつく。
噛んだ瞬間、熱々の肉汁が口いっぱいに広がり、香ばしい旨味が一気に押し寄せてきた。
「うまっ!!」
思わず叫びながら何度も肉を頬張る。口へ運ぶたびに旨味が広がり、フォークが止まらない。
「これだ……。」
震える手でフォークを握り締める。
「これが肉だ……!」
昨日までパンの欠片で生き延びていた男とは思えない勢いで皿の上の料理を平らげながら、俺は静かに確信した。
人類は文明を発展させるべきだ。
その理由が今、分かった気がする。
俺は夢中でパンを頬張り、スープを飲み、また肉を口へ運ぶ。食べる手はまったく止まらず、胃袋が歓喜の声を上げているようだった。
「生き返るぅぅぅ……。」
そんな俺を見て、メイドは微笑ましそうに口元を緩めた。
「英雄様でも、お腹は空くのですね。」
「ぶふっ!」
危うくスープを吹き出しかける。
「だから英雄じゃないです!」
「またまた。」
「本当なんですよ!」
俺が真顔で訴えても、メイドはどこか楽しそうな表情のまま首を傾げた。
「ですが皆様も同じことをおっしゃっていましたよ。」
「皆様?」
「はい。城門で出迎えた兵士の方々も、大佐様も、元帥様もです。」
「何それ怖い。」
もはや誰も信じてくれない。
俺は頭を抱えながら、改めて自分がとんでもない勘違いの渦中へ放り込まれていることを実感していた。
***
その頃、本部地下にある会議室では、重厚な鉄扉の奥で元帥と将軍たちが円卓を囲み、先ほどの戦果について話し合っていた。
「ラインハルト。」
「はい。」
「改めて確認する。本当に彼は隊長級魔族を毒殺したのだな?」
元帥の問いに、ロイドは迷うことなく頷く。
「はい。私の《審議眼》は嘘への反応を示しませんでした。」
「しかし彼からは能力者特有の気配を感じなかったが。」
「だからこそです。」
ロイドは真剣な表情で答える。
「能力に頼ることなく隊長級へ接触し、長期間かけて信用を得たうえで暗殺を成功させた。そして尋問の場でも一切取り乱さず、自ら犯行を認めてみせたのです。」
実際は勢いで名乗り出ただけなのだが、そんな事実を彼らが知る由もない。
「なるほど……。確かに普通の人間には真似できんな。」
「隊長級魔族へ接触し、信用を得た上で暗殺まで成功させたのだ。潜入能力は相当なものだろう。下手をすれば、我が軍の諜報員より優秀かもしれん。」
将軍たちは感心したように頷く。
「さらに私の《審議眼》を前にしても平然としていました。あの状況で動揺を見せなかった精神力は特筆に値します。」
実際は混乱しすぎて何が起きているのか分かっていなかっただけなのだが、その事実もまた誰も知らない。
元帥は腕を組んだ。
「確かに恐ろしい男だな。英雄というより、むしろ諜報や暗殺向きの人材と言った方がしっくりくる。」
「ええ。」
ロイドも同意するように頷いた。
「正面戦闘の実力は未知数です。しかし潜入任務に限れば、彼は連合国でも最高峰の人材になり得ます。」
その言葉に、会議室の空気が僅かに引き締まる。
「つまり――」
一人の将軍が低い声で呟く。
「我々は、とんでもない逸材を手に入れたというわけか。」
円卓を囲む者たちは静かに頷いた。
会議室が静寂に包まれる中、やがて元帥が腕を組みながら口を開く。
「決まりだ。彼には特殊任務を任せよう。」
元帥はゆっくりと立ち上がると、壁に掛けられた地図の中の魔王領を指差した。
「魔王軍への潜入だ。」
将軍たちは一瞬だけ顔を見合わせたものの、すぐに力強く頷く。
「異議ありません。彼以上の適任者はいないでしょう。」
「成功すれば戦局を大きく動かせます。」
重い沈黙が流れる。
魔王領への潜入は、成功すれば英雄、失敗すれば確実な死を意味する危険な任務だからだ。
やがて一人の将軍が地図上の魔王領を睨みつけながら低く呟いた。
「魔族は人類の敵です。」
その声には長年の憎しみが滲んでいた。
「魔王も、その配下も滅ぼさなければなりません。これ以上、人類から命や土地を奪わせるわけにはいかないのです。」
誰も反論しなかった。
この場にいる者たちの多くが、家族や友人を魔族との戦争で失っている。
元帥も静かに頷いた。
「その通りだ。魔王軍は必ず滅ぼさなければならない。それが我々の使命だ。」
こうして本人の知らないところで、とんでもない決定が下された。
この決定が後に連合国中を巻き込む大騒動へ発展することを、まだ誰も知らない。
一方その頃――
「おかわりくださーい。」
悠真は四杯目のスープを飲みながら満面の笑みを浮かべていた。
「かしこまりました。」
メイドが追加のスープを注ぐと、俺は嬉しそうにそれを受け取る。
温かい部屋で暮らし、柔らかなベッドで眠り、毎日こんな豪華な食事まで食べられる。数日前まで奴隷として扱われていたことを思えば、まるで別人の人生を歩いているようだった。
(異世界最高だな……。)
そんな呑気なことを考えながらスープを啜る俺は、自分が人類最高機密レベルの危険任務へ選ばれ、近いうちに再び魔王軍のど真ん中へ送り込まれる予定であることなど、夢にも思っていなかった。




