第3話 俺は何もしてないのに勝手に死んだぞ?
翌朝。
「起きろ!」
奴隷小屋の扉がガンッと蹴り開けられ、その音で俺は飛び起きた。昨日もらった酒がまだ少し残っているらしく、頭がずきずきと痛む。くそっ、調子に乗って飲みすぎたか……。そんな後悔をしている暇もなく、目の前には不機嫌そうな魔族兵が立っていた。
「は、はい! おはようございました!」
口をついて出た挨拶に、魔族兵は怪訝そうに眉をひそめる。
「……何を言ってるんだ、お前は」
(しまった! 会社員時代の癖で、つい挨拶しちまった!)
「い、いえ! 何でもありません! おはようございます!」
「朝から騒がしい奴だな……。お前、今日からノール様の世話係だったよな? だったら、こんなところで寝ぼけてないでさっさと行け!」
「はいっ、ただいま!」
俺は慌てて飛び起き、小屋を飛び出した。頭は痛いし、寝起きで体も重い。それでも、畑仕事をしていた昨日までとは違い、今日は魔族の屋敷で働けるのだ。少なくとも、朝から晩まで鍬を振り回すよりはマシだろう。
もちろん、昨夜、奴隷たちが俺の知らないところで何を企んでいたのかなど、知る由もなかった。懐に忍ばされた黒い小瓶にも気づかないまま、俺は意気揚々とノールの屋敷へ向かっていた。自分の身に何が起きようとしているのか、考えもしないままに。
◇
ノールの屋敷に着くと、厨房ではすでに朝食の準備が整っていた。焼いた肉に硬そうなパン、野菜のスープに酒まで添えられている。朝からずいぶん豪勢な食事だ。奴隷小屋で出される食事とは大違いで、思わず自分の腹が鳴りそうになった。
(いいなぁ……。俺もいつか、こういう飯を好きなだけ食える身分になりたいもんだ)
そんなことを考えながら盆を持ち、ノールの部屋の前で軽く扉を叩く。
「ノール様、朝食をお持ちしました!」
「入れ!」
部屋に入ると、ノールは椅子に腰掛け、新聞のような紙を広げていた。俺は机の上に料理を並べながら、いつもの営業スマイルを浮かべる。
「おはようございます、ノール様。今日もお角の艶が素晴らしいですね。朝の光を受けて、いつも以上に黒く輝いております。まるで職人が丹精込めて磨き上げた宝石のようです!」
我ながら、朝っぱらからよくこんな言葉が出てくるものだ。だが、相手の機嫌を取るのも世話係の大事な仕事。ここで手を抜くわけにはいかない。
ノールは紙面から顔を上げると、照れくさそうに自分の角を撫でた。
「そ、そうか? まあ、毎日手入れはしてるからな。分かる奴には分かるもんだ」
「ええ、もちろんです! これほど見事なお角なら、手入れにも相当こだわっていらっしゃるのでしょうね。いやあ、さすがノール様です!」
「がはは! お前は本当に見る目があるな!」
(ちょろい……!)
もちろん、そんな本音を口にするほど命知らずではない。俺は最後まで笑顔を崩さず、机の上に食器を並べ終えた。
「それでは、ごゆっくりお召し上がりください。何かありましたら、いつでもお呼びください!」
「おう。……そうだ、あとでまた角の手入れについても話してやろう。お前なら、俺のこだわりも分かるだろうからな!」
「ぜひお願いします!」
(危ねぇ! 角の手入れ講座が始まるところだった……!)
心の中で冷や汗を流しつつ、俺は一礼して部屋を出ようとした。そのとき、背後からコンコンと扉を叩く音が響き、一人の魔族兵が入ってきた。ノールより一回り大きな体格で、身につけた鎧も一般兵のものとは明らかに違う。見るからに偉そうな男だった。
「ノール様、ゴードン隊長がお呼びです。すぐに来ていただきたいとのことです」
ノールは手にしていた紙を置き、面倒そうに息を吐いた。
「ゴードン隊長が? 朝っぱらから何の用だ……。分かった、すぐ行くと伝えておけ」
「承知しました」
魔族兵が部屋を出ると、ノールは立ち上がり、机に並べられた朝食へ目を向けた。
「せっかくの飯だが、どうやらゆっくり食ってる暇はなさそうだな。悪いが、戻るまでそのままにしておいてくれ」
「かしこまりました。お帰りになる頃には、すぐに召し上がれるようにしておきます」
「おう、頼んだぞ!」
ノールは満足げにうなずくと、そのまま部屋を出ていった。俺は二人の足音が遠ざかるのを聞いてから、机の上に残された朝食を眺め、小さく肩をすくめた。
「冷めちゃうな……まあ、温め直せばいいか」
そう呟いて皿に手を伸ばしかけた、その時だった。廊下の向こうから、ドン、ドン、と地面を揺らすような重い足音が近づいてくる。さっきの兵士が言っていたゴードン隊長だろうか。そう思った直後、扉が勢いよく開いた。
「ノールはまだ戻っておらんのか?」
現れたのは、ノールよりさらに一回り大きな巨体を持つ魔族だった。岩のように盛り上がった筋肉に、額から伸びる巨大な角。立っているだけで威圧感があり、なるほど、隊長という肩書きにも納得がいく。
「先ほど呼び出しを受けて、部屋を出られました。すれ違いになったようですね」
「むう、入れ違いか。急ぎの用だったのだがな……」
ゴードン隊長は不満げに鼻を鳴らし、室内を見回した。やがて机の上に並んだ朝食に目を留めると、少しばかり表情を緩めた。
「ほう、朝食か。まだ手を付けておらんようだな」
「はい。ノール様は戻られてから召し上がるとおっしゃっていました」
「そうか……しかし、朝から訓練場を見回っていたせいで腹が減ってかなわん。少しくらいもらっても構わんだろう」
「えっ、ですが、これはノール様の……」
俺が言いよどむと、ゴードン隊長は豪快に笑った。
「はっはっは! 心配するな。あいつとは長い付き合いだぞ。飯の一つや二つで文句を言うような奴ではない。それに、せっかくの料理を冷ましてしまう方がもったいないだろう?」
「は、はあ……」
いや、そういう問題なのだろうか。世話係になったばかりの俺には判断がつかない。何しろ相手は隊長で、ノールとも親しいらしい。ここで余計な口を挟んで機嫌を損ねるわけにもいかず、結局、俺は黙って見守ることにした。
ゴードン隊長は椅子にどっかりと腰を下ろすと、焼いた肉に豪快にかぶりついた。パンを頬張り、スープを飲み干し、最後には酒まで一気にあおる。その食べっぷりは見事なもので、あっという間に机の上の料理が片付いていった。
「ふう、やはり飯はこうでなくてはな! ノールの奴、なかなかいいものを食っておるではないか」
満足そうに腹をさすった隊長が立ち上がろうとした、その直後だった。
ガシャンッ!!
手から滑り落ちた皿が床に砕け散った。ゴードン隊長は胸元を押さえ、苦しそうに顔を歪めると、椅子にしがみつくようにして体を支えた。
「ぐっ……なんだ、これは……!」
「た、隊長? どうされました!?」
駆け寄ろうとした俺の目の前で、隊長の巨体が大きくよろめいた。喉を押さえて何かを訴えようとしているが、声にならない。口元からはどす黒い血が溢れ、床にぽたりぽたりと落ちていく。
「う、嘘だろ……!」
次の瞬間、ゴードン隊長は床へと崩れ落ちた。巨体が倒れる衝撃で机が揺れ、残っていた食器が音を立てる。俺は慌てて駆け寄ったものの、どうしていいか分からず、その場に立ち尽くすしかなかった。
「隊長! しっかりしてください、隊長!!」
廊下から慌ただしい足音が響き、騒ぎを聞きつけた魔族兵たちが次々と部屋へ駆け込んできた。彼らは倒れたゴードン隊長を見て顔色を変え、一人が膝をついて容態を確かめる。だが、すぐにその表情が強張った。
「……毒だ! 隊長が毒を盛られたぞ!」
「何だと!?」
一瞬で部屋の空気が変わった。兵士たちは倒れた隊長を囲み、別の者たちは剣に手をかけながら周囲を見回す。そして、その視線が一斉に俺へと向けられた。
「お前、そこで何をしていた?」
「えっ? いや、俺はただ、ノール様の朝食を用意していただけで……」
「その料理を用意したのはお前か?」
「そうですけど、俺は何も――」
「こいつを押さえろ!」
「はっ!」
返事と同時に数人の兵士が飛びかかってきた。抵抗する間もなく床へ押さえつけられ、腕を背中側にねじり上げられる。
「ちょ、ちょっと待て! 俺は何もしてないぞ! そもそも隊長が勝手に朝食を食べただけで――」
「黙れ! 言い訳は後で聞いてやる!」
兵士たちは俺の服や荷物を乱暴に調べ始めた。何が何だか分からず、必死に身をよじっていると、一人の兵士が懐から小さな瓶を取り出した。
「……見つけました」
その手に握られていたのは、黒紫色の液体が入った小瓶だった。
見覚えのある形に、俺の頭が真っ白になる。
(……え? 何だ、それ)
昨日、奴隷小屋で酒をもらって浮かれていた時には、こんなものを持っていた覚えはない。そもそも、こんな不気味な瓶を自分で懐に入れる理由などあるはずがなかった。
だが、兵士は瓶を掲げ、周囲に聞こえる声で告げた。
「毒薬です。こいつの持ち物から見つかりました!」
「何だと……!」
兵士たちの顔が怒りに歪む。俺を見る目には、もはや疑いというより、最初から犯人だと決めつけたような殺気がこもっていた。
「違う! そんなもの、俺は知らない! 誰かが勝手に入れたんだ!」
「ふざけるな! 隊長が毒で倒れ、お前の懐から毒薬が出てきたんだぞ! これでまだ知らないと言い張るつもりか!」
「だから、本当に俺じゃないんだって!」
必死に訴えても、兵士たちは聞く耳を持たない。そのうちの一人が剣を抜き、切っ先を俺の喉元へ突きつけた。
「ゴードン隊長を殺しやがって……! 人間の奴隷だからと情けをかけてやれば、恩を仇で返すとはな!」
「待ってくれ! 俺は隊長を殺してなんか――!」
「黙れ! 人間はどこまでいっても信用ならん。少しでも隙を見せれば、こうして牙を剥く!」
怒声が飛び交う中、俺は床に押さえつけられたまま、必死に首を振ることしかできなかった。目の前には毒殺されたゴードン隊長の亡骸が横たわり、俺の懐からは毒薬まで見つかっている。周囲を取り囲む魔族たちは、誰一人として俺の言葉を信じようとはしなかった。
――まずい。これは、本当にまずい。
ようやく頭が冷えてきた俺は、自分が置かれた状況を改めて理解した。俺は毒を盛っていないし、そもそもゴードン隊長を殺す理由すらない。だが、目の前で隊長が毒殺され、その毒薬が俺の懐から見つかったとなれば、状況証拠だけで犯人扱いされるのも無理はなかった。おそらく誰かが、俺を犯人に仕立て上げるために毒瓶を忍ばせたのだろう。
――俺は完全に、殺人犯に仕立て上げられていた。




