第3話 俺は何もしてないのに勝手に死んだぞ?
翌朝。
「起きろ!」
ガンッ、と奴隷小屋の扉が乱暴に蹴り開けられ、俺は飛び起きた。昨日飲んだ酒が少しだけ残っているせいで頭がずきずきと痛む。
「は、はい! おはようございました!」
魔族兵は怪訝そうに眉をひそめた。
「……何を言ってる?」
(条件反射で朝の挨拶が出ちまった……!)
「お前、今日からノール様の世話係だったな。」
「そ、そうです!」
「ならさっさと行け!」
「はい!」
俺は慌てて小屋を飛び出した。
もちろん昨夜、奴隷たちが俺の眠っている間に何を企んでいたのかなど知る由もない。それどころか懐へ忍ばされた黒い小瓶の存在にすら気付かず、そのまま持ち歩いていた。
これから自分に降りかかる災厄など想像もせずに。
◇
ノールの屋敷へ着くと、厨房ではすでに朝食の準備が終わっていた。焼いた肉に硬いパン、野菜のスープ、そして酒。いかにも魔族らしい豪快な献立である。
「よし。」
盆を持って部屋の前まで行き、軽く扉を叩く。
「ノール様、朝食をお持ちしました!」
「入れ。」
部屋へ入ると、ノールは椅子に腰掛け、新聞のような紙を広げて何やら読んでいた。俺は机へ料理を並べながら、いつものように営業スマイルを浮かべる。
「今日も角の艶が素晴らしいですね。こうして近くで見るたびに思いますが、本当に見事です。光の当たり方で綺麗に輝いていて、まるで職人が磨き上げた宝石みたいですよ。」
ノールは照れくさそうに角へ触れた。
「……そ、そうか?」
「はい! まるで磨き上げた黒曜石のような美しさです。ここまで綺麗な角を持っている方なんて、そうそういないと思います。」
「ふん。」
鼻を鳴らしながらも、その口元はわずかに緩んでいた。
「お前は本当に見る目があるな。」
(ちょろい。)
もちろん、そんな本音を口にするほど命知らずではない。
「では、ごゆっくり。」
俺が部屋を出ようとした、その時だった。
コンコン、と扉が叩かれ、一人の魔族兵が入ってくる。ノールより一回り大きな体格をした男で、その鎧も一般兵とは比べ物にならないほど立派だった。
「ノール様! ゴードン隊長がお呼びです!」
ノールはすぐに立ち上がった。
「ああ、分かった。」
机へ並んだ朝食に一瞬だけ視線を落とし、ノールは苦笑する。
「悪いな。戻ってから食う。」
「承知しました。」
二人はそのまま部屋を出て行った。
俺は机の上に残された料理を見て小さく肩をすくめる。
「冷めちゃうな……まあ、温め直せばいいか。」
そう思って皿へ手を伸ばしかけた、その時だった。
――ドン、ドン、と廊下を揺らすような重い足音が近づいてくる。
「おっ。」
次の瞬間、扉が勢いよく開いた。
そこに立っていたのは、先ほど兵士が口にしていたゴードン隊長その人だった。
ノールよりさらに一回り大きな巨体に、岩のように盛り上がった筋肉。額から伸びる巨大な角は天井へ届きそうなほど長く、その場に立っているだけで空気が重く感じられる。
「ノールはまだか?」
「先ほど呼び出しを受けて部屋を出られました。」
「む、入れ違いになったか。」
ゴードン隊長は室内を見回し、やがて机の上の朝食へ目を向けた。
「なるほど。まだ手を付けておらんようだな。」
「はい。戻られてから召し上がると。」
「そうか。」
ゴードン隊長は当然のように部屋へ入り、椅子を軋ませながら腰を下ろした。
「しかし腹が減ったな。朝から訓練場を見回っておったせいで、もう限界だ。」
「え?」
嫌な予感がした。
ゴードン隊長は肉料理を見つめながら、さも当然のように言い放つ。
「ノールの飯を少しもらうぞ。」
「え、あの……よろしいのでしょうか?」
俺が恐る恐る尋ねると、ゴードン隊長は豪快に笑った。
「はっはっは! 何を心配している。あいつとは長い付き合いだ。今さら飯の一つや二つで文句は言わん。むしろ残しておく方がもったいない。戻ったらまた作らせればよかろう。」
「それはさすがに……。」
「構わん構わん。」
そう言うと、隊長は遠慮なく肉へかぶりついた。
(勝手に食べていいのか?)
まあ、偉い人同士ならそんなものなのだろう。俺は何も言えず、その様子を見守る。
隊長は肉を平らげ、パンを頬張り、最後には酒まで一気に飲み干した。
「ふぅ。やはり飯はこうでなくてはな。」
満足そうに息を吐いた、その直後だった。
ガシャンッ!!
突然、手から皿が滑り落ちる。隊長は胸を押さえながら苦しそうによろめき、その場に膝をついた。
「ぐっ……! な……なんだ……これは……!」
「え?」
喉を掻きむしるようにもがき始めた隊長の口から、どろりと黒い血があふれ出る。
「う、うそだろ……。」
やがて巨体は床へ倒れ込み、全身を激しく痙攣させたかと思うと、そのまま完全に動かなくなった。
一瞬にして部屋は静まり返る。しかし、その沈黙は廊下から響く慌ただしい足音によって破られた。
「た、隊長ッ!!」
騒ぎを聞きつけた魔族兵たちが次々と部屋へ駆け込んでくる。
「隊長! しっかりしてください!」
兵士の一人が倒れた隊長を調べた瞬間、その顔色がみるみる変わった。
「毒だ……!」
「誰だ! 誰が毒を盛った!」
怒号が飛び交う中、俺だけが何が起きたのか理解できず立ち尽くしていた。
「し、知らない! 本当に何も知らない!」
だが、一人の兵士が鋭い目で俺を睨みつける。
「こいつを調べろ!」
「はっ!」
数人の兵士が一斉に飛びかかり、俺を床へ押さえつけた。
「待ってくれ! 本当に俺じゃ――!」
抵抗する暇もなく服や荷物を調べられ、その最中、一人の兵士が何かを見つけたように動きを止めた。
「……ありました。」
兵士の手に握られていたのは、小さな黒い瓶だった。
それを見た瞬間、俺の背筋が凍りつく。
「毒薬です。」
その一言が落ちた途端、部屋の空気が一変した。周囲の視線が一斉に俺へ突き刺さり、まるで最初から犯人だと決めつけるかのような殺気が向けられる。
「ち、違う!!」
俺は必死に首を振った。
「そんな物、見たこともない! 誰かが入れたんだ!」
「ふざけるな!」
魔族兵は怒鳴りながら剣を抜き、その切っ先を俺の喉元へ突きつける。
「毒を盛った直後に証拠まで出てきたんだ! 言い逃れできると思うな!」
「だから違うってぇぇぇぇ!!」
必死に叫ぶが、誰一人として耳を貸そうとはしない。床には変わり果てたゴードン隊長の亡骸が転がり、その傍らでは兵士たちが憎しみのこもった目で俺を睨んでいた。
「やはり人間は信用ならんな。」
一人の魔族兵が吐き捨てるように言う。
「恩を与えれば裏切り、情けをかければ牙を剥く。だから人間は嫌いなんだ。」
「ゴードン隊長を殺しやがって……!」
「こんな奴などその場で首を刎ねろ!」
怒声が次々に飛び交う中、俺は必死に首を振る。
「違う! 本当に俺じゃない! 誰かが――」
だが、その言葉が最後まで続くことはなかった。
誰の目にも、俺は現行犯の毒殺犯にしか見えていなかったからだ。
床には毒殺されたゴードン隊長の亡骸。そして俺の懐からは決定的な証拠である毒瓶が見つかっている。
周囲の魔族たちは皆、憎しみの目を向けており、必死に無実を訴えても誰一人として耳を貸そうとはしなかった。
この状況を前にして、ようやく俺は理解する。
――俺は完全に犯人へ仕立て上げられていた。




