第14話 華麗なる逃走劇の後で
(こいつ、どう見ても幹部クラスだ。)
ゴブリン村から命懸けで逃げ出した先で、まさかこんな大物と鉢合わせするとは思わなかった。せめて少しは休ませてくれ。そう願ったところで、この世界が聞き入れてくれるはずもない。
***
魔族の男は、鋭い赤い瞳で悠真を見下ろしていた。身長は二メートルを優に超え、鍛え上げられた巨体からは、近くに立っているだけで押し潰されそうな威圧感が漂っている。正直、目を合わせているだけでも足が震えそうだった。
「質問している。貴様、何者だ」
低い声が森の静寂に響き、悠真は思わず息を呑んだ。
(こ、殺される……。)
そう確信しかけた瞬間、悠真の頭に別の考えが浮かんだ。
(……いや、待てよ。これ、逆にチャンスじゃないか?)
ここで怪しまれれば、間違いなく終わりだ。だが、うまく取り入ることができれば、魔王軍の中枢に近づく絶好の機会になるかもしれない。問題は、目の前の男がこちらの話を聞いてくれるかどうかだが……。
「俺は魔王軍将軍ライガスだ。答え次第では、この場で斬る」
(将軍ぉぉぉぉぉ!?)
まさかの最高クラスが出てきた。幹部どころの話ではない。いきなり大当たりを引いたらしいが、景品が金貨でも何でもなく、命の危機というのはどういうことだ。
(どうする俺!? ここで変なことを言ったら即終了だぞ!)
とはいえ、黙り込んでいても怪しまれるだけだ。悠真は一瞬で覚悟を決めると、その場に膝をつき、深々と頭を下げた。
「お、お助けください……!」
情けない声を絞り出すと、ライガスは意外な反応に戸惑ったのか、片眉を上げた。
「……何だ?」
「俺の村は……人間どもに襲われたんです……」
悠真は顔を伏せたまま、声を震わせて語り始めた。ライガスが黙っているのを確認し、さらに悲壮感を込めて続ける。
「家は燃やされて、父ちゃんも母ちゃんも……じいちゃんも、みんな殺されました。俺だけ、どうにか逃げ延びたんです……」
もちろん、全部作り話である。
しかし、営業時代に培った演技力は伊達ではない。悠真は今にも泣き崩れそうな顔を作り、声を詰まらせながら話を続けた。
「それからは村を転々として、食べ物を恵んでもらいながら、何とか生きてきました……。でも、どこへ行っても、家族のことが忘れられなくて……」
ライガスは腕を組んだまま、黙って聞いていた。表情からは何も読み取れず、信じているのか、それとも嘘を見抜こうとしているのかさえ分からない。
(駄目か……?)
背中にじわりと汗がにじむ。だが、ここまで話してしまった以上、今さら引き返すわけにもいかない。悠真は震える拳を握り締め、ゆっくりと顔を上げた。
「俺は……人間が許せません。いつか必ず復讐してやる。それだけを支えに、今まで生きてきたんです」
長年、憎しみを抱えてきた者のように目に力を込めると、ライガスの表情がわずかに動いた。
「……ほう。それで?」
「だから、魔王軍に入りたいんです!」
ここまで来たら後には引けない。悠真は勢いに乗じて、さらに話を盛ることにした。
「魔王軍に入るために各地を探し回っていたんですが、途中で森に迷い込んでしまって……。気づいたら知らない場所に出ていて、どうしたらいいか分からず途方に暮れていたところなんです」
自分で言うのも何だが、なかなか筋の通った話になった気がする。家族を殺された悲劇の生き残りが、復讐のために魔王軍を志願する。動機としては十分だろう。少なくとも、適当に道に迷ったと言うよりは、ずっと説得力がある。
問題は、相手が信じてくれるかどうかだ。
話し終えても、ライガスはすぐには答えなかった。鋭い視線を向けられたまま、悠真は次の言葉を待つ。沈黙が長引くほど、背中を伝う汗の量も増えていった。
(頼む……信じてくれ……。営業時代の経験値を総動員してるんだ。ここで失敗したら、俺の人生どころか来世まで終わる……!)
やがて、ライガスが小さく鼻を鳴らした。
「……ふん。人間に家族を殺された、か」
「はい!」
悠真は弾かれたように頷いた。ここで少しでも迷いを見せたら怪しまれる。勢いが大事だと自分に言い聞かせ、畳みかけるように言葉を続けた。
「魔王様のためなら、この命だって惜しくありません!」
ライガスは何も答えず、悠真の全身をじっくりと眺めた。
「名は?」
「ゆ、ユウ……ユウゴです!」
危うく本名を口にしかけ、悠真は慌てて言い直した。心臓が跳ね上がり、嫌な汗がまた噴き出す。
(危なっ! 今のは危なかった! もうちょっとで全部台無しになるところだったぞ……!)
「ユウゴ、か」
(頼む、そこは流してくれ。今、考えた名前なんだ……!)
ライガスは名前を口の中で確かめるように呟くと、今度は悠真の顔から身体へと視線を移した。
「見たところ、お前はゴブリン族のようだな。角も生えていないし、体格も貧弱だ」
(体格は関係ないだろ! いや、確かに貧弱だけど!)
心の中で反論しつつも、悠真は表情を引き締めた。ここで言い返しても何の得にもならない。むしろ、弱そうな見た目を逆手に取るくらいの気持ちでいくべきだ。
「た、確かに俺は弱いです。でも、人間への憎しみだけは誰にも負けません! あいつらを一人残らずぶっ殺してやりたいくらいです!」
もちろん、適当である。
そもそも悠真は、人間を皆殺しにしたいなどと思ったこともない。今だって、できることなら人間だろうが魔族だろうが関わらず、平穏に暮らしたいくらいだ。しかし、目の前の将軍にそんな本音を話せるはずもなかった。
ライガスは顎に手を当て、しばらく悠真を見下ろしていた。森を吹き抜ける風が木々を揺らす中、悠真は内心で必死に祈る。
(やばい……。ちょっと盛りすぎたか? 復讐したいって言っただけでよかったんじゃないか? 皆殺しはさすがに過激すぎたか……?)
ところが、そんな悠真の心配をよそに、ライガスの口元がわずかに緩んだ。
「面白い」
「……え?」
「その目だ。少なくとも、俺には嘘をついているようには見えんな」
(危ねぇぇぇぇぇ……!)
悠真は心の中で盛大に安堵した。営業マン時代に鍛えた愛想と演技力が、まさか異世界で役立つとは思わなかったが、どうやら今回はうまく乗り切れたらしい。もっとも、相手は魔王軍の将軍だ。ここで信用されたからといって、安心できる状況ではない。
そんな悠真の内心など知る由もなく、ライガスは静かに背を向けた。
「ついて来い」
「……えっ、どこへ?」
「魔王軍に入りたいのだろう。ならば、志願する場所まで案内してやる」
(マジで!? そんな簡単に話が進むのか!?)
悠真は驚きつつも、慌ててライガスの後を追った。まさか将軍本人が案内してくれるとは思わなかったが、これなら魔王軍の本拠地に近づくという目的も果たせそうだ。
ただし、ライガスは歩きながら釘を刺すように言った。
「勘違いするなよ。魔王軍は実力主義だ。志願したところで入れる保証はない。使い物にならなければ、その場で追い返される」
「はい! 承知しました!」
(追い返されるだけなら全然いい! 殺されないなら万々歳だ!)
むしろ、こちらとしては不採用になってくれたほうが都合がいいくらいだった。情報さえ集められれば、魔王軍に正式加入する必要などないのだから。
悠真はライガスの後ろを歩きながら、こっそりと口元を緩めた。ゴブ郎騒動では散々な目に遭ったものの、何とか逃げ切り、さらには魔王軍の将軍と接触することにも成功した。結果だけ見れば、潜入任務は順調そのものだ。
(よし……魔王軍の本拠地に潜入成功だ!)
あとは内部で情報を集め、連合国へ持ち帰れば任務完了。報酬の金貨五百枚を受け取ったら、あとは二度と危険な仕事などせず、夢のニート生活を満喫するだけである。
(待ってろよ、金貨五百枚! 俺の悠々自適な生活まで、あと少しだ!)
すっかり先の生活に思いを馳せる悠真だったが、この時はまだ、自分の計画がこれから盛大に狂い始めるとは夢にも思っていなかった。




