第12話 奪われた俺のファーストキス
(なんで恋人までセットなんだよぉぉぉぉ!!)
そんな悠真の心の叫びは、村人たちの賑やかな笑い声と宴の喧騒にかき消され、夜空へと消えていった。
***
悠真の絶望など知る由もなく、村ではゴブ郎の帰還を祝う宴の準備が着々と進められていた。あちこちから酒樽が運び込まれ、広場では大人たちが焚き火を組み、子供たちは待ちきれない様子で走り回っている。やがて広場の中央に巨大な炎が立ち上ると、肉の焼ける香ばしい匂いと酒の甘い香りが村中に広がり、あっという間にお祭り騒ぎが始まった。
そして、気づけばその騒ぎのど真ん中に引っ張り込まれていた悠真の前にも、山盛りの料理と酒が並べられていた。食事にありつけるのはありがたい。潜入中の身としても、村人たちとの交流は大切だろう。問題は――当然のように隣へ座り、肩が触れるどころか体の半分がくっついているのではないかと思うほど密着してくるゴブ美だった。
「ゴブ郎、ほら、もっと食べて。森で何をしてたのか知らないけど、ずいぶん痩せちゃったじゃない」
「そ、そうですかね……?」
「そうだよ。ちゃんと食べてるのか心配だったんだから。ほら、このお肉も食べて!」
ゴブ美が大きな肉の塊を皿に載せてくる。断る理由も見つからず、悠真は引きつった笑顔でそれを受け取った。
「ありがとうございます……」
「もう、私がそばにいないと、ほんとに駄目なんだから」
「……そうかもしれませんね」
適当に相槌を打つたび、周囲のゴブリンたちがニヤニヤと意味ありげな笑みを交わしている。どうやら、二人のやり取りは村人たちにとって相当微笑ましいものらしい。
(やめてくれ。その生温かい目で俺を見るな。俺だって、できることなら今すぐこの状況から逃げ出したいんだよ……!)
とはいえ、ここで不自然な態度を取るわけにもいかない。悠真はひたすら料理を口に運び、ゴブ美の質問には曖昧に頷きながら、どうにかこの場をやり過ごそうとしていた。
ところが、そんなささやかな努力をぶち壊すように、一人の若いゴブリンが酒瓶を片手に立ち上がった。顔は真っ赤で、足元も少々怪しい。どう見ても酔っ払っているが、その目にはろくでもないことを思いついた者特有の輝きがあった。
「おいおい、せっかくゴブ郎が帰ってきたんだ! ここは一つ、恋人同士の仲のよさを見せてもらおうじゃねぇか!」
「おおおおおおっ!!」
途端に広場が沸き立った。誰かが机を叩いて手拍子を始めると、それに合わせて周囲のゴブリンたちも声を上げ、あっという間に大合唱が始まる。
「「「キース! キース! キース! キース!」」」
酒瓶を振り回す者、膝を叩いて盛り上がる者、面白がって口笛を吹く者。焚き火の炎まで騒ぎに便乗しているように見えるほど、広場は異様な熱気に包まれていた。
その中心で、悠真は笑顔を貼り付けたまま固まっていた。
(落ち着け、俺。これは潜入任務だ。ここで拒否したら、ゴブ郎らしくないって疑われるかもしれない。だからといって、素直に応じるわけにもいかない。何か……何かうまい逃げ道はないのか!?)
酔ったふりをするには、まだ酒をほとんど飲んでいない。急病を装えば心配されて余計に付きまとわれるだろうし、ここで逃げ出したら、それこそ怪しさ満点だ。
(くそっ、どの選択肢を選んでも地獄じゃねぇか! 俺の潜入任務、なんでこんな恋愛イベントに発展してるんだよ!)
助けを求めるように隣へ目を向けると、ゴブ美は大きな体をもじもじと揺らしながら、頬を赤く染めていた。先ほどまで俺を抱き潰しかけていた相手とは思えないほど、恥ずかしそうに俯いている。
(……やめろ。その図体で乙女みたいな反応をするな。こっちの罪悪感が変な方向に刺激されるだろ!)
「ゴ、ゴブ郎……みんな、見てるよぉ」
ゴブ美がちらりとこちらを見上げた。その表情は期待と恥じらいでいっぱいで、周囲のゴブリンたちも「早くしろ」と言わんばかりに声を張り上げている。
(無理無理無理! 相手はほぼボストロールじゃねぇか! いや、見た目で判断するのはよくない。よくないけど、俺を片手で持ち上げられそうな相手とキスしろって、どう考えても難易度がおかしいだろ! そもそも俺はゴブ郎じゃないんだよぉぉぉ!!)
そんな悠真の葛藤を知るはずもなく、酒を飲んでいた年配のゴブリンが豪快に笑い声を上げた。
「何を今さら照れてんだ! 昔はゴブ美に毎日のようにちゅーしてたじゃねぇか!」
「そうそう! 今さら恥ずかしがるような仲じゃねぇだろ!」
別のゴブリンまで便乗し、酒瓶を掲げながら口を挟む。
「二人で森の裏に消えてったことだって何度もあったしな! あの頃は本当に熱々だったもんなぁ!」
「おい、余計なことまで言うんじゃねぇ!」
誰かが慌てて止めたものの、時すでに遅し。広場は爆笑の渦に包まれた。
(そんな過去まであるのかよぉぉぉ!!)
悠真は思わず頭を抱えた。どうやらゴブ郎は、ただの村の人気者というだけではなかったらしい。恋人がいて、毎日のようにキスをして、二人きりで森へ出かけるほど親密な関係だったとは。自分が知らないゴブ郎の過去が、周囲の口から次々と明かされていく。
(待て待て待て。俺は今、行方不明になっていたゴブ郎として戻ってきたんだぞ? なんで初対面の恋人との交際歴まで引き継がなきゃいけないんだ!)
しかも、周囲を見回せば逃げ出す隙すらない。広場には三百人近いゴブリンが集まり、子供たちは目を輝かせ、大人たちは酒を片手に今か今かと二人の様子を見守っている。ここで逃げたら、村中に「ゴブ郎がゴブ美を振った」などと広まるに違いない。
「「「キース! キース! キース! キース!」」」
コールはますます大きくなり、机を叩く音や口笛まで加わって、広場全体が揺れているかのようだった。
「ほら、ゴブ郎! 男を見せろ!」
「ゴブ美を泣かせるんじゃねぇぞー!」
好き勝手に囃し立てる村人たちを前に、悠真はついに観念したように肩を落とした。
(……少しだけだ。ほんの一瞬、軽く触れるだけ。それでみんなが満足するなら、必要経費だと思うしかない。そうだ、金貨五百枚のためだ。俺は金貨五百枚のために、ここまで来たんだ……!)
自分にそう言い聞かせ、悠真は覚悟を決めようとした。だが、いざゴブ美の顔を見れば、現実の厳しさが容赦なく襲いかかってくる。
(違う。これは想像力の問題だ。目を閉じて、相手を可愛い美少女だと思えばいい。銀髪で、スタイル抜群で、優しくて……そう、絶世の美少女だ!)
悠真はそっと目を細め、現実から意識を逸らそうとした。
|ω・`)ちらり。
(いや、現実ぅぅぅぅ!!)
どう頑張っても目の前にいるのは、筋骨隆々の巨大なゴブリンである。脳内でどれほど美少女に変換しようとしても、丸太のような腕と岩のような肩が邪魔をしてくる。
それでも、もう後には引けない。悠真はぎこちない笑みを浮かべながら、ゆっくりとゴブ美へ顔を近づけていった。周囲の歓声が一段と大きくなり、ゴブ美も恥ずかしそうに目を閉じる。
(よし……軽く当てて、すぐ終わりだ。絶対に余計なことは考えるな。これは任務、任務なんだ……!)
そう覚悟を決めた、その瞬間だった。ゴブ美は恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、突然、両手で俺の頭をがっしりと掴んだ。
「えっ?」
何が起きたのか理解する間もなく、ゴブ美が勢いよく顔を近づけてくる。
「ゴブ郎ぉぉぉぉ!!」
「ちょっ、待っ――」
抵抗する暇もなかった。次の瞬間、盛大な音とともに唇を塞がれた。
ぶちゅぅぅぅぅぅぅぅっ!!
ほんの数秒の出来事だったはずなのに、悠真には永遠にも思えるほど長く感じられた。ようやく解放されたときには、すでに目の焦点が合っていなかった。
「おおおおおおおおお!!」
「やったぁぁぁ! さすがゴブ郎、男を見せたな!」
「愛の力ってやつか! やっぱりこの二人は最高だぜ!」
広場を揺るがすほどの歓声が上がる。中には感動のあまり涙を拭っている者までいたが、当の本人は魂を抜かれたように立ち尽くしていた。
「…………」
(神様……あんた、俺に何か恨みでもあるのか?)
返事はない。そりゃそうだ。だが、もしあの器の小さいクソジジイが今もどこかで俺を見ているのなら、これだけは言わせてほしい。
(俺のファーストキスが、なんでよりにもよってボストロールみたいなゴブリンなんだよ! せめて美少女にしとけよぉぉぉぉぉ!!)
もちろん、心の中でどれだけ叫ぼうが、周囲に届くはずもない。むしろゴブリンたちは感動の余韻に浸り、二人の再会を祝福するように酒瓶を掲げていた。
「いやぁ、いいもん見せてもらったぜ! やっぱりお似合いの二人だな!」
「こりゃ来年には子供が生まれてるかもしれねぇぞ!」
「がはは! 俺は孫の顔を見るのが楽しみだ!」
好き勝手な未来予想図まで飛び交い始めたところで、悠真の耳がある単語を拾った。
(……子供? 孫?)
聞き間違いであってほしかった。だが、周囲のゴブリンたちはそんな俺の願いなど知る由もなく、「いや、子供は五人くらい欲しいところだな!」「ゴブ郎ならもっといけるだろ!」などと、勝手に家族計画を練り始めている。
(待て待て待て! 誰がそんな予定を立てた!? 俺はゴブリンと一生を添い遂げる気なんて、これっぽっちもないぞ!)
せっかく潜入先で身分を得たと思ったら、恋人ができ、キスをさせられ、挙げ句の果てには子供の人数まで決められそうになっている。いくらなんでも展開が早すぎるだろう。
悠真が頭を抱えかけた、そのときだった。
人混みの奥から、杖をついた年老いたゴブリンがゆっくりと歩いてきた。周囲のゴブリンたちは自然と道を開け、先ほどまでの騒ぎも少しずつ落ち着いていく。どうやら、あの老人が村長らしい。
村長は悠真とゴブ美を交互に見て、満足そうに頷いた。
「うむ、ちょうどよかった。ゴブ郎、お前が帰ってきたなら話は早いな」
「は、はい?」
反射的に返事をしてしまった悠真に、村長は穏やかな笑みを向けた。まるで、明日の天気でも伝えるような気軽さで口を開く。
「お前たちの結婚式は明日の予定だったからな。予定どおり挙げることにしよう」
「…………え?」
あまりにも自然に告げられたせいで、悠真はすぐには意味を理解できなかった。結婚式。明日。予定どおり。
頭の中で言葉を並べ直し、ようやくその意味が繋がった瞬間、全身が凍りついた。
(……えっ、ちょっと待って。結婚式? 明日? 誰の? ……俺の!?)
次の瞬間、広場は爆発したような歓声に包まれた。
「おめでとーーー!!」
「よっしゃあ! 結婚祝いだ、酒を開けろぉぉ!」
「肉が足りねぇぞ! もっと持ってこい! 宴は七日間だぁぁ!!」
村長の一言を合図にしたかのように、ゴブリンたちは一斉に盛り上がり始めた。酒樽が次々と開けられ、焼きたての肉が追加で運び込まれ、あちこちで歌や踊りが始まる。子供たちは歓声を上げながら広場を駆け回り、大人たちは肩を組んで祝いの歌を歌っていた。
誰も彼もが幸せそうだった。行方不明だったゴブ郎が無事に戻り、恋人との結婚式も予定どおり行える。村人たちにとっては、これ以上ないほどめでたい夜なのだろう。
ただ一人、悠真を除いて。
(誰か……誰か助けてくれ……。俺は潜入しに来たんだ。結婚しに来たんじゃないんだよ……!)
夜空を見上げても、神様からの救いの手が差し伸べられる気配はない。むしろ、どこかであのクソジジイが腹を抱えて笑っている姿さえ目に浮かぶ。
連合国から託された極秘潜入任務は、恐ろしいほど順調に進んでいた。敵地に入り、村人たちに受け入れられ、疑われるどころか歓迎までされている。諜報活動の第一歩としては、これ以上ない成果と言えるだろう。
……その代償として、なぜか村への定住と結婚がセットになってしまったが。
(くそっ……金貨五百枚のために命を懸ける覚悟はしてたけど、まさか結婚まで懸けることになるとは思わなかったぞ! このままだと俺、本当にゴブリンと結婚することになるんだけどぉぉぉぉ!!)
こうして、金貨五百枚を目当てに始まった悠真の潜入任務は、開始からわずか一日で人生最大の危機を迎えることとなった。
魔王軍の情報収集よりも先に、明日の結婚式をどうにかしなければならない。
……本当に、どうしてこうなった。




