第11話 潜入先で彼女ができていました
家々からゴブリンたちが次々と飛び出し、畑で作業をしていた者たちまで道具を放り出して駆け寄ってきた。子供たちも歓声を上げながら集まり、気づけば悠真の周囲はあっという間に人だかりになっていた。
「おおっ、本当にゴブ郎だ! 生きてやがったのか!」
「心配させやがって、この野郎! もう帰ってこねぇかと思ったぞ!」
口々に声を掛けられ、肩を叩かれ、頭をぐしゃぐしゃに撫で回される。中には再会が嬉しいあまり、背中をばんばん叩いてくる者までいた。どうやら本気で歓迎されているらしいが、悠真にとっては喜ぶどころの騒ぎではなかった。
「痛い痛い! ちょっと、力強すぎません!?」
「ははは! なんだ、元気そうじゃねぇか!」
「相変わらずひょろひょろしてんなぁ。ちゃんと飯食ってたのか?」
悪気がないのは分かる。分かるのだが、遠慮というものがまるでない。悠真は引きつった笑みを浮かべながら、どうにか愛想笑いを返した。
(すげぇ……ゴブ郎って、村の人気者だったのか?)
少なくとも嫌われ者ではないらしい。無茶ばかりして周囲に心配をかけるものの、何だかんだで村のみんなから愛されている。どうやら、そういうタイプのゴブリンだったようだ。
そのことに少し安堵したものの、悠真には一つだけ気がかりがあった。
(頼むから、誰もゴブ郎の近況を聞いてこないでくれよ……。俺、こいつが今まで何してたのか、何一つ知らないんだから!)
下手に話を合わせてボロが出れば、せっかくの潜入が台無しだ。何とか適当にごまかそうと考えていた、そのときだった。
ズシン、と足元が揺れた。
まるで重い岩でも落ちてきたかのような振動に、悠真は思わず足元を見た。気のせいかと思った直後、再び地面が大きく震える。
ズシン。ズシン。
規則的に響く重い足音は、明らかにこちらへ近づいてきていた。しかも、音がするたびに地面が揺れるというのは、どう考えても普通のゴブリンの仕業ではない。
(……マンモスでも歩いてんのか? いや、異世界にマンモスがいるのかは知らんけど!)
周囲のゴブリンたちも異変に気づいたらしく、先ほどまでの騒ぎがぴたりと収まった。やがて人だかりが左右に割れ、その奥から現れた人物を見た瞬間、悠真は思考を停止した。
女性のゴブリンだった。ただし、悠真の知っているゴブリンのイメージとは、あまりにもかけ離れていた。
身長は軽く二メートルを超え、肩幅は並の男をはるかに上回る。丸太のような腕には筋肉が盛り上がり、一歩踏み出すたびに地面が揺れるほどの迫力があった。体重も二百キロ近くあるのではないか。少なくとも、悠真にはそう見えた。
(えっ……何あれ? 村長? いや、違うよな? あれ絶対、ラスボス戦の前に立ちはだかる中ボスだろ……!)
あまりの威圧感に身動きも取れずにいると、女性ゴブリンは悠真を見つけた途端、ものすごい勢いでこちらへ向かってきた。近づくにつれ、その顔が涙でぐしゃぐしゃになっているのが分かる。
そして、彼女は腹の底から絞り出すような大声で叫んだ。
「ゴブ郎ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
(えっ、何!? 俺!?)
返事をする間もなかった。巨大な影が猛スピードで迫ってくるのを見て、悠真は反射的に両腕で頭をかばった。
「うわぁぁぁぁ! 待って待って! 俺、何もしてないですからぁぁぁ!」
しかし、飛んできたのは拳でも棍棒でもなかった。彼女は悠真を全力で抱き締め、その勢いのまま地面へ押し倒した。
どぉぉぉん!!
「ぐぇぇぇぇぇ!!」
肺の中の空気が一瞬で押し出された。巨体に押し潰され、悠真は声を上げることすらままならない。まるで大岩を乗せられたような重さに、意識が遠のいていく。
その薄れゆく意識の中で、悠真はなぜか天界の光景を見た気がした。雲の上では、以前会った器の小さいクソジジイが、腹立たしいほど楽しそうな顔で手を振っている。
(お前ぇぇぇぇぇ!! なんでそんな楽しそうなんだよぉぉぉ!!)
「よかったぁぁぁ! もう会えないかと思ったよぉぉ! 本当に心配したんだからねぇぇ!」
女性ゴブリン――ゴブ美は、涙も鼻水もお構いなしに俺をぎゅうぎゅうと抱き締めてくる。おかげで顔はべちゃべちゃ、胸は押し潰され、息をするのもままならない。俺も必死に腕を突っ張って抵抗したが、びくともしないどころか、ゴブ美は離れていた時間を埋めようとするかのように、ますます力を込めてきた。
「ちょっ……待っ……苦しい! 嬉しいのは分かったから、いったん離してくれ! このままだと再会を喜ぶ前に俺が死ぬぅぅぅ!!」
(誰だこの人ぉぉぉぉ!?)
周囲に助けを求めようと目を向けると、ゴブリンたちは腹を抱えて大笑いしていた。誰一人として助けに入る気配はなく、むしろ微笑ましいものでも見るように、俺とゴブ美の様子を眺めている。
「ははは! 何やってんだよ、お前ら! ゴブ郎が帰ってきて嬉しいのは分かるけど、いくらなんでも抱き締めすぎだろ!」
「そうだそうだ! ゴブ郎、お前も照れてないで、たまにはゴブ美を安心させてやれよ!」
笑いながら好き勝手なことを言うゴブリンたち。そのうちの一匹が、ふと思い出したように俺を指差した。
「そりゃそうだろ! 何しろお前の恋人なんだからな!」
「…………は?」
その言葉を理解した瞬間、俺の思考は完全に停止した。周囲の笑い声が遠のき、頭の中が真っ白になっていく。
(今、恋人って言ったか……? いや、待て。誰の恋人だ? 俺の? この人が?)
現実を受け入れられずにいる俺の手を、ゴブ美がそっと握り直した。先ほどまでの力任せな抱擁とは打って変わって、その手つきは驚くほど優しい。涙で潤んだ瞳には、心からの安堵と喜びが浮かんでいた。
「ゴブ郎……本当に無事でよかったぁ。もう二度と帰ってこないんじゃないかって、私……」
ゴブ美は再び目に涙を浮かべ、俺の手をぎゅっと握る。
「もう勝手に森へ行っちゃだめだからね? 今度こんなことがあったら、私、心配でどうにかなっちゃうよ……」
「えっ、あ……うん」
あまりにも真剣な表情で見つめられ、俺はつい反射的に頷いてしまった。
その瞬間、周囲のゴブリンたちが待っていましたと言わんばかりに歓声を上げた。
「おおおおお! 相変わらず仲がいいな、お前ら!」
「そりゃ毎日あんだけゴブ郎のことを心配してたんだ! 帰ってきたら離したくもなくなるだろ!」
「ははは! 結婚する前に未亡人になるところだったな!」
「ちょっと! 縁起でもないこと言わないでよ!」
ゴブ美が顔を真っ赤にして抗議すると、周囲はますます大笑いした。どうやら、この二人の関係は村でも有名らしい。恋人同士が久しぶりに再会したとなれば、からかわれるのも当然なのだろう。
……問題は、俺がその片割れではないということだ。
俺は引きつった笑みを浮かべながら、目の前のゴブ美をそっと見上げた。丸太のような腕に、岩のような肩。そして、俺を軽々と抱き潰しかねない圧倒的な筋力。先ほどの抱擁を思い出すだけで、全身が痛くなる。
(待て待て待て……! 潜入先の身分があるのはありがたい。村の連中に受け入れられてるのも、願ってもない展開だ。だけどさ……)
俺はもう一度、ゴブ美の顔を見た。彼女は俺の手を握ったまま、幸せそうに微笑んでいる。その姿からは、俺を疑う気配など微塵も感じられなかった。
(なんで恋人までセットなんだよぉぉぉぉ!!)
潜入先で身分を得られたのはいい。村人たちにも歓迎されているし、今のところ怪しまれる気配もない。作戦としては、これ以上ないほど順調だ。
……ただし、俺の命が明日まで無事だとは限らない。
ゴブ美に握られたままの手を見下ろし、悠真は遠い目をした。こうして、魔族領への潜入初日が幕を開けたのだった。




