第10話 誰だよゴブ郎
三匹のゴブリンは俺を指差したまま、信じられないものを見たように固まっていた。やがて、そのうちの一匹が震える手で俺を指し、興奮した声を上げる。
「お、おい! 見ろよ、あれ!」
「あいつ……まさか!」
「間違いねぇ!」
嫌な汗が背中を伝った。心臓はうるさいほど激しく脈打ち、頭の中では警報が鳴り響いている。
(終わった。絶対バレた! やっぱり角がないからか!? それとも人間臭さが隠し切れてなかったのか!? いや、どっちにしても殺されるぅぅぅぅ!!)
俺は冷や汗を流しながら、じりじりと後ずさった。今ならまだ逃げられるかもしれない。そう考えて身構えた、その瞬間だった。
一匹のゴブリンが、目に涙を浮かべて叫んだ。
「ゴブ郎じゃねぇかぁぁぁぁ!!」
「…………は?」
あまりにも予想外の名前に、俺の思考が一瞬停止した。何か聞き間違えたのかと思っているうちに、ゴブリンは手にしていた槍を放り投げ、満面の笑みでこちらへ駆け寄ってくる。
「おいぃぃぃ! 今までどこ行ってたんだよ! みんな心配してたんだぞ!」
「うわっ、ちょっ……!」
勢いよく抱きつかれ、俺はそのまま地面に押し倒された。
「ぐえっ!」
肺から空気が抜け、まともに息もできない。そこへ今度は別のゴブリンまで飛び込んできた。
「生きてたのか! よかったぁ……! お袋さんなんて毎日泣いてたし、村のみんなもお前は死んだと思ってたんだぞ! 本当に心配したんだからな!」
「えっ……?」
俺は目をぱちくりさせた。
(ゴブ郎って誰だよ!?)
当然ながら、そんな名前にはまったく聞き覚えがない。そもそも俺は佐伯悠真であって、ゴブ郎なんて名前ではない。なのに、目の前のゴブリンたちは旧友との再会を喜ぶように、俺の身体を揺さぶりながら大騒ぎしていた。
さらに三匹目まで目元をこすり、呆れたように笑う。
「まったく、お前は昔っから無茶ばっかりするからな! 森の奥に入って迷子になるわ、崖から落ちかけるわ……」
「今回は一週間も帰ってこなかったんだぞ! 魔獣に食われたんじゃねぇかって、みんなで森を探し回ったんだからな!」
「村長も心配してたし、親父さんなんて朝から晩まで森を歩き回ってたんだぞ! そのくせ、帰ってきたら絶対ぶん殴ってやるって息巻いてたけどな!」
「……いや、待って」
俺はどうにか二匹の腕を押しのけ、ようやく口を挟んだ。
「そのゴブ郎って、誰のこと?」
三匹のゴブリンはぴたりと動きを止め、揃って不思議そうに首を傾げた。
「誰って……お前のことだろ?」
「いや、俺は……」
危うく「佐伯悠真です」と答えそうになり、慌てて口を閉じる。ここで本名を名乗っても、状況がややこしくなるだけだ。
三匹は俺の戸惑いなど気にも留めず、久しぶりに帰ってきた友人を囲むように話し続けている。その様子から察するに、ゴブ郎という奴は相当な問題児だったらしい。森で迷子になるのは日常茶飯事、崖から落ちかけるのも珍しくない。おまけに一週間も行方不明になって、村中を大騒ぎさせたというのだから、なかなかの大物である。
「は、はは……そ、そうなんだ……」
俺は引きつった笑みを浮かべながら、必死に頭を働かせた。
(待て待て待て。何なんだ、この状況は。俺は佐伯悠真だぞ? どうして知らないゴブリンの幼馴染みたいな扱いを受けてるんだ?)
三匹の態度に嘘をついている様子はない。むしろ、俺をゴブ郎本人だと信じ切っているようだった。初対面の相手にここまで親しげに接する理由など、一つしか思い当たらない。
そこで俺の脳裏に、出発前の研究者の言葉が蘇った。
『君にはゴブリン族として潜入してもらう』
『試作型の変身薬だ』
嫌な予感がした。まさかと思いながら、自分の緑色の手を見つめる。
(……まさか、あの変身薬って、適当なゴブリンに変身する薬だったのか? いや、そんなことある!?)
肌の色を変えるだけでも十分ひどいと思っていたのに、まさか外見だけでなく、特定の個体そのものに変身していたとは。あの研究者、肝心なことを何一つ説明していなかったじゃないか!
俺が頭を抱えそうになっていると、最初に抱きついてきたゴブリンが、何事もなかったかのように肩を叩いてきた。
「ほら、いつまでもこんなところにいないで帰るぞ! みんな待ってるんだからな。村長なんて、今頃お前をどう説教してやろうか考えてるはずだぞ!」
「えっ、帰るって……どこに?」
「どこって、村に決まってるだろ? まさか一週間も森をさまよって、帰り道まで忘れちまったのか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
思わず言葉に詰まる。すると、三匹は顔を見合わせたあと、なぜか一斉に笑い出した。
「はははっ! 相変わらず抜けてるなぁ、お前は!」
「ま、無事に帰ってきたんだからいいじゃねぇか。今日は宴だな!」
「そうだな! ゴブ郎が帰ってきたんだ。みんなで盛大に祝ってやろうぜ!」
勝手に話が進んでいく。俺はその場に立ち尽くし、三匹の顔を順番に見た。
(……待てよ。これ、もしかして、とんでもなく都合のいい状況なんじゃないか?)
魔族領に潜入する以上、まずは集落を見つけて、どうにかして中に入り込まなければならない。見知らぬゴブリンが突然現れたら警戒されるだろうし、身元を疑われれば、その時点で任務は失敗だ。
ところが、今の俺はどうだ。なぜか知らないゴブリンの姿になっているうえ、目の前の三匹は俺を仲間だと信じ切っている。しかも、頼んでもいないのに村まで案内してくれるというのだから、これ以上ない好条件だった。
(村に入れる! 身元保証付き! しかも向こうから歓迎してくれてる!)
俺は心の中で盛大にガッツポーズを決めた。開始からまだ十分も経っていないというのに、何の努力もせず、作戦らしい作戦すら立てずに潜入の第一関門を突破してしまったのだ。
(すげぇ……! 俺、もしかして潜入の才能あるんじゃねぇの!?)
いや、そんなはずはない。ついさっきまで殺されると怯えていたし、そもそもこの状況だって全部、変身薬のおかげである。それでも、結果がよければすべてよし。少なくとも今のところは、文句のつけようがないほど順調だった。
ロイドたちがこの状況を知ったら、きっと感動して泣くに違いない。本人としては運よく流れに乗れただけなのだが、連合国の期待を一身に背負った潜入任務は、驚くほどあっさりと成功への道を歩み始めていた。
「ほら、いつまでぼーっとしてんだ! 早く帰ろうぜ! 今日は宴だ、ゴブ郎が帰ってきたんだからな!」
「そうだそうだ! 酒も出そうぜ! 肉も焼こう! こいつが帰ってきたんだ、盛大に祝わねぇとな!」
三匹はすっかり浮かれた様子で、俺の腕を引っ張りながら森の奥へ歩き始めた。俺もそれに合わせて笑顔を浮かべる。
(へへへ……金貨五百枚が俺を待ってるぜ)
こうして悠真の潜入任務は、本人の実力とはまったく関係のない幸運によって、信じられないほど順調なスタートを切ったのだった。
しばらく歩くと、木柵に囲まれた小さな集落が見えてきた。粗末な木造家屋が立ち並び、いくつもの煙突からは夕食の支度をしているらしい白い煙が立ち上っている。規模こそ小さいものの、その光景は人間の村とさほど変わらなかった。
村が見えた途端、先頭を歩いていたゴブリンが大きく手を振り、声を張り上げた。
「みんなー! ゴブ郎が帰ってきたぞぉぉぉ!」
その声が響き渡ると、村のあちこちから驚きの声が上がった。家の扉が次々と開き、緑色の顔をしたゴブリンたちが飛び出してくる。
「何だって!? ゴブ郎が帰ってきたのか!?」
「生きてたのか、あいつ! もう魔獣に食われたもんだと思ってたぞ!」
「おい、みんなに知らせろ! ゴブ郎が帰ってきたぞ!」
あっという間に村人たちが集まり、俺を取り囲んだ。驚きと喜びの入り混じった顔で次々と声をかけてくる。その歓迎ぶりは予想以上で、俺は思わず口元を緩めた。
(ふはははは! これはいける! 村に入るどころか、村人全員に歓迎されてるじゃねぇか!)
この調子なら、魔族の情報だって簡単に集められるかもしれない。あとは適当に情報を持ち帰って報酬を受け取り、豪邸を買って毎日だらだら暮らすだけだ。
(待ってろよ、夢のニート生活! 俺はもう二度と働かねぇからなぁぁぁ!)
期待に胸を膨らませながら、悠真は村人たちの歓声に包まれ、集落の中心へと引っ張られていった。
――もちろん、このときの彼はまだ知らなかった。
自分が成り代わっている本物のゴブ郎が、まだ生きていること。そして、その本人が今まさに森を抜け、数日ぶりに故郷へ帰ろうとしていることを。
偽物の帰還に沸き立つ村と、本物のゴブ郎。二人が鉢合わせするまで、あとわずか。
この小さな村を巻き込む大騒動は、もうすぐそこまで迫っていた。。




