物語仕掛けの『怪物』
――――はっきり言って、死んだかと思った。
というか、その人物が助けてくれなければ死んでいたことだろう。
だが、今こうして思考できている時点で生きている証明になっている。
「――――――全く⋯⋯最近のガキは物騒が過ぎるね、そんなに殺し合いがしたいのかい、えぇ?」
しゃがれた老声だが、しっかりと芯のある女性の声が聞こえた。
恐る恐るゆっくりと目を開くと、あたり一面は焼け焦げておらず、死体も転がっていない。
あるのは、マキナを包み込むように捕えている、不定形の赤黒い霧だけだ。
「■■⋯⋯」
包みこまれている彼女を嘲るように、軽い足音と共に総合運動場に入ってくる人物がいた。
「まぁお前さんみたいなガキは毎年いるがね?珍しくもなんともない」
その人は、呆けている僕を横切って前に出た。
魔女のような大きな帽子にクラシカルな衣服、片手に古めかしいを開きながら杖を突く、ニタニタと嘲るような笑みをした、老骨であるが老獪である老女。
僕はそのオヴィスを知っていて、大学時代にも見たことがあった。
怪物を引き連れ戦場を練り歩いた傑物にして怪物遣いにして、かつて列強大戦で一つの戦線を一人で維持したとされる群に匹敵する個。
――――――伝承学派代表『ドロシー・フランク・ボーム』
呆けていると、ドロシー代表に背中を叩かれ現実に引き戻された。
「ほら!シャンとしな橘!お前が今やることは生徒の保護だ!観客席の奴らは全員が逃げ帰っちまったからね、そこら辺で転がってるガキを安全な場所まで運びな!」
「え、あ、はい」
「なるべく早く終わらせちまいな、あれに暴れられたら巻き込まれちまうからね⋯⋯!」
そこで、ドロシー代表は少し間をおいてから
「⋯⋯なにより、巻き込むようなガキ共がいたらアタシが暴れられないだろう?」
悪戯に引っかかるのを楽しみにしている子供のように、遊びを楽しみにしている子供のように、ドロシー代表はその年齢と反するような笑みを浮かべた。
それはさておき、五大学派の代表という、少し軸が違うとはいえ上司であることには変わりない人物に指示を出されたのならば、それをやるのは当然だ。
即座に駆け出して、マキナが発動した魔術に当てられ気絶したカリスタとアンナ、それにその取り巻きを担いで総合運動室の外に放り投げる。
なんか『ぐえっ』とか聞こえたけど大丈夫だろ多分。
さて、現在進行形でマキナは暴走しているとはいえ、自身の担当している教室の生徒だ。それに仕事の完了を報告しなければ、ドロシー代表も動けないだろう。
そのような思考をした瞬間、轟くような炸裂音が聞こえた。腹に響き渡るほどの、全身を震わせるほどの破裂音。
なぜ総合運動室の壁を破壊していないのか、不思議に思うほどの衝撃と音量。
聞こえたのは運動室内部で、マキナ鎮圧の要となるドロシー代表が残っている一室。
駆け足で総合運動室の中に戻り、ドロシー代表の安否を確認しつつ大きく声を出す。
「ドロシー代表!大丈⋯⋯夫⋯⋯で⋯⋯⋯⋯」
「くく、そんな状態だってのに抵抗するだなんて、普段の大人しさはどこへ行ったんだい?」
悠然としながらと、おもちゃを見るような視線でドロシー代表は立っていた。
マキナが発したはずの衝撃波の痕跡は微塵もなく、彼女を捕らえて離さない赤黒い霧は健在であった。
少し呆然としたが、今はやるべきことをやるべきだろう。
「⋯⋯避難終わりました!援護は必要ですか!」
「いらん!指を咥えて眺めてなぁ!」
そう高らかに、楽しそうに叫び、杖の先端で地面を叩き鳴らす。
「■■■■――――――!」
瞬間、マキナを捕らえていた赤黒い霧は脈動する。
先程まで生命らしからぬ形状だった赤黒い霧は大蛇のごとき姿を型取り、周囲の土壁を壊しながら進んだ。
一枚、二枚、三枚の壁を轟音と共に叩き壊して、暴走している彼女を総合運動室の壁に叩きつけた。
「おいたはいけないなぁマキナ・マクスウェル⋯⋯ま、お前さんがあの過去最高で史上最悪のクソガキが育てた子供と聞いていたから、あまり驚かないがね」
むしろ納得しかない、と語ってから、にたりとシニカルな笑みを浮かべた。
「まぁそいつはさておき、お前には灸を据えてやろうじゃないか。度が過ぎたいたずらには、仕置が必要というものだ」
「■■■■■⋯⋯!」
マキナはふらつく手足で立ち上がり、無表情だが焦るような声色で圧縮された詠唱を行い、即座に無数の魔法陣を構築する。
瞬きも許さないほどの速度で、天井を覆い尽くすほどの数で、放たれた光線が目指す先は、大蛇の如き姿でとぐろを巻いて、マキナを睨んで視線を逸らさない赤黒い霧だ。
光線が放たれて役割を終えた後に霧散し、たちまち新しい魔術が構築されて光線をまた放つ。
一切の容赦なく、微塵の油断なく、少しの隙間なく、カリスタが作った壁が破壊され赤熱するほどに打ち込まれ、赤黒い怪物は巻き起こる煙でその姿が消える。
数々の野砲でも打ち込まれたかのような状況で、怪物は嗤った。
「――――■■■■■■」
「■■⋯⋯?!」
大蛇の怪物は、その長い身体をムチのように巧みに動かすことで、加速度的に素早くなった打撃がマキナを捉える。
当然、マキナは魔術で防御するが、ただでさえ大質量を持つ上に、音速を超えてソニックブームを生むその一撃に耐えれるほどの耐久性は、パリンと小気味良い音と共に容易く砕かれた。
吹き飛ばれたマキナを追い詰めるように、赤黒い霧は巨大な狼の姿に変じて俊敏に動き、脆くなっていた壁ごと破壊してマキナを吹き飛ばす。
総合運動室近くの庭園に転がり、起き上がりはすれど立ち上がることすらままならない彼女は、ただ片腕を上げて口を開くだけだった。
「⋯⋯対象認識、条件定義」
その詠唱は、総合運動室を吹き飛ばすに足る威力を持つ魔術だが、どうしてか発動しなかったモノだった。
僕は気配を消しながら駆け出していたが、その光景を見たドロシー代表は、やはり笑った。
「ほっほー、それがお前さんの必殺技かい?かぁっこいいじゃないか!」
「基礎構築、数値入力」
マキナの掲げた片手に魔法陣が展開され、手のひらの先には煌々と光る真っ白な火球が浮かぶ。
それを見てもドロシー代表は、またしても笑った。子供がおもちゃで遊んでいるのを見守る親のように。
「火力勝負かい?いい度胸だ、全力で遊んでやろうじゃないか」
「⋯⋯高速演算」
赤黒い霧怪物が、巨大な狼が大口を開けて疾走する。
「証明――――――」
「食え、怪物」
「――――――完了、?」
無表情な殺戮兵器であったマキナの表情が、かすかにだが困惑を見せた。
マキナの手のひらで白銀に光る火球、ここら一帯の建物を融解させるのに十分な火力を持った、滑り込むように巨大狼の口内に飲み込まれたのだから。
当然だが、魔術師から離れた魔術は制御をなくし、暴走するものである。
ただでさえ膨大な火力を持つ魔術が暴走して行き場をなくしたら、その後どうなるかは自明である。
たとえ召喚物が飲み込んだとしても、暴走した魔術は内側から爆発し、周囲に甚大な被害を齎すことだろう。
ただしそれは、常識の話であり、往々にして群に匹敵する個というのは、常識というものを踏み台にする。
まして、列強大戦を生き抜いている天才ならば。
「――――――■■■■」
酷く間抜けな音と共に、先程までの威圧的な雰囲気を霧散させた巨大狼はマキナの魔術を飲み干してしまった。
鉄面皮であった彼女もこれには流石に驚いたのか、目を見開いて呆然としている。
そのように呆けているのであるならば、後ろから忍び寄るのは実に容易い。
「っ!?」
「⋯⋯っはぁぁぁぁ、流石に、うん、疲れたなぁ」
マキナの後ろから出来る限り音を立てずに近づいて、喉を掴んでから魔術で電撃を流す。
すると膝から崩れ落ちるように倒れたので、思わず抱えた。その際に感じたのは柔らかい肉の体ではなく、骨と皮だけのあまりにも虚弱な肉体だ。
「上手い具合に気絶させたねぇ橘、推薦状に違わない実力だよ」
ゆっくりと歩きながら、ドロシー代表は僕に話しかけた。
その顔は満足そうな表情であり、なにかしらを確信したかのような顔だった。
「えぇ、まぁ⋯⋯とりあえず、医務室に運んできますね」
「なるべく早くお行き、この場の問題はアタシがどうにかしておくからね」
「感謝します、では」
その後、その場はドロシー代表に任せて、僕はマキナの細いというか薄い身体を小脇に抱えながら、医務室の直通ルートを登ったり走ったりした。
存外、学生時代に覚えている近道が役に立った。
『怪物』
怪しく、妖しいもの。
恐れるような巨獣、人に害をなすもの、いずれ倒されるべき試練。
そして何よりも、英雄にしか殺せないもの。




