第五話 黒いカバンの秘密
クロスランド共和国は、国土の大半が田畑や果樹園の、農業大国だ。シグナス王国やラポール王国、オルバルド帝国などの隣近所の国々は、たくさんの麦や米をクロスランドから輸入している。
クロスランドに王様や皇帝はいない。五十年ほど昔、とある事件で王室の血が途絶えてしまい、それ以来、各地区から集まった総代が話し合って国の方針を決めている。彼ら総代もたいてい農家で、気取りがない関係だった。
クロスランドの首都はミズカ=ミントゥといい、手工業の専門店や劇場などが集まっている。マエストロとフラットはその中の一店、『ロラン・ブランシュのカバン屋』に足を運んだ。
ガラスのショーウィンドウには、大小さまざま、素材も革から帆布、麦の繊維まで幅広いカバンがずらりと並んでいた。マエストロはすぐに、自分がそれまで持っていたものと同じデザインの黒カバンを発見した。
「ごらんフラット、君の友達だよ」
フラットを抱き上げてカバンをみせると、彼はただだまって窓のにおいをかいだ。
「この店で間違いないみたいだね」
メモと看板を見比べ、マエストロはうんうんとうなずいた。そのメモは、普段仲良くしているシグナスのカバン業者からもらったものだ。カバンを新調したいと相談すると、この店を教えてくれた。
店の中に足を踏み入れて、おどろいた。
マエストロたちを出迎えたのは、大勢の黒猫だった。床に、イスに、棚に、カウンターに。思い思いのポーズでくつろぐ黒猫が、にゃーと声をそろえて鳴き、新しい客を歓迎した。
「……ひょっとして、この子たちも元はカバンなのかもしれないね」
足元のフラットにそう言ってみた。フラットは猫たちを警戒し、しっぽをピンとたてている。
「いらっしゃいませ」
エプロンをかけ、手袋をはめた太っちょの男が、奥から出てきて愛想良く笑いかけた。年は、マエストロより少し下に見える。長い髪の毛は、作業の邪魔にならないように、きっちりと頭のてっぺんでまげの形にまとめていた。
マエストロはすぐに用件を言った。
「カバンを作ってほしいんです。丈夫な革製で、色は黒。サイズは……」
男はマエストロの注文をメモに書き取り、最後に言った。
「明日には用意できるでしょう。それまで、街を散歩してきてはいかがですかな」
「ええ、そうさせてもらいましょう」
マエストロはにっこり笑った。クロスランドにも、魔法無し、魔法使いの友人はたくさんいる。彼らに会って、時間があれば楽団の練習にも顔を出そう。
一匹の黒猫が、カバン屋の店主――ロランの肩に飛び乗った。その様子を見て、ふとマエストロは気になった。
「そういえば……」
「はい、なんでしょう?」
マエストロは、フラットをカウンターにのせた。
「この子、自分のカバンに魔法の薬をかけられて、猫になってしまったんです。元に戻るでしょうか?」
フラットがシャーッとうなり、カウンターから飛び降りた。
「ごめんごめん、冗談だよ。フラット、君はもうカバンに戻りたくないんだね」
身をよじるフラットを捕まえ、ロランはその黒い顔とうす緑色の瞳をじっとのぞきこんだ。
「……うーん、自分には、この子には魔法はかかっていないように見えますがねえ」
「あれ、そうなんですか?」
マエストロにフラットを返しながら、ロランは首をひねった。
「自分の見立てではね。まあ、どうしても正確なことが知りたかったら、七番地の魔法管理局に調べてもらうといいですよ。現在や、これまでにかけられた魔法の履歴まで分かるんだから」
お礼を言って、マエストロとフラットは店を出た。その時も、黒猫たちは一斉ににゃあーっとあいさつをしてくれた。
ぶらぶらと歩いていると、美術館が目に止まった。クロスランドには何度も来たことがあるが、美術館に入るのははじめてだ。
「君も入れるかな? フラット」
美術館の入り口で財布を取り出しながら言うと、フラットはふんと鼻を鳴らし、飛んでいるちょうちょを追いかけていってしまった。マエストロは笑いながら入場券を買う。フラットは絵や像に興味がないらしい。
彼が迷子になる心配はしていなかった。フラットはなかなか賢く、どこかに遊びに行っても、最後は必ずマエストロのところへ戻ってくる。もしかして、もともとは人間で、それからカバンになって、最後に黒猫になったのかもしれない。
そうしてマエストロは、一人で美術館をのんびりと巡った。クロスランドは芸術大国でもあり、今も昔もたくさんの芸術家が作品を残している。
たとえば、田植えをする人々を空から見た様子。収穫前の金色の稲穂の前で、黒猫を抱いて笑う少女。堂々と立つ昔の王と、その足元に丸まって眠る黒猫。黒猫が、チーズをかじるネズミを狙っているユーモラスな絵。子猫たちに乳をやる母黒猫。
「……こうして見ると、黒猫ばっかりだな」
マエストロはつぶやいた。クロスランドには黒猫が多いのか、それとも、自分が黒猫を連れて歩くようになったせいで、彼と似た猫に敏感になったのか。
美術館を出ると、やっぱりフラットは出口の前で待っていた。何人かの子どもが、フラットをなでたり、パンのかけらをやっている。
「お待たせ」
マエストロが声をかけると、フラットは返事をした。歩くのに疲れたのか、マエストロのコートをよじ登り、肩に落ち着いた。
「さて。これからさ、吹奏楽団の練習を見に行くよ」
「にゃあ」
「美術館にさ、君そっくりの黒猫の絵がたくさんあったよ。今度、だれかに絵を描いてもらおうか。自分と君が写ってる絵をさ」
「にゃあ」
黒猫と会話しているマエストロに、子どもがくすくす笑っていた。
吹奏楽団の人々は、マエストロの来訪を喜んでくれた。
「せっかくやから、合奏をしようまいけ。マエストロ、指揮お願いします」
「ええ、もちろん」
にぎやかな舞曲が始まった。指揮をしながら、ふとマエストロがかたわらを見ると、フラットが後ろ足で立ち上がり、ゆらゆらとおどっている。
「フラット!」
思わずマエストロが指揮を止めてさけぶと、楽団員が笑った。
「クロスランドの黒猫を見るのははじめてながけ、マエストロ?」
「はじめて? いいえ。この子と一緒に旅をしてきましたよ」
曲は止まっても、打楽器奏者が、軽やかにコンガをたたいた。フラットはくるりと回ったり、足でひょこひょことリズムを刻んでいた。
団長のマシューが、教えてくれた。
「マエストロ。クロスランドの黒猫は、音楽に合わせておどるんやちゃ。昔から、そう。きっと音楽とおどりが好きながですね」
それなら、とマエストロは曲を再開した。陽気な曲調のサンバにポップ音楽。途中から、若い子たちも楽器を置いておどり始め、気がつくと公民館は大騒ぎだった。
練習終わり、マエストロはフラットを連れて魔法管理局に向かった。独り言をつぶやきながら。
「急行「蜃気楼」号にいたあの男の子は、クロスランドの子ではなかったはず……」
マシューたちによると、おどりをおどる猫など、他のどの国にもいないという。とすれば、フラットはクロスランドの猫なのだ。
フラットに変身したカバンを買ったのは、シグナス王国。フラットに変身する薬を持っていた少年は、ラポール人。それなのに、フラットだけは、クロスランドの出身? 少し、不思議な気がした。
それに、ロランが言っていた、「魔法はかかっていない」という言葉も、引っかかっていた。
閉局時刻ギリギリに魔法管理局に飛び込み、いやそうな顔をする受付の女の子を拝みたおし、フラットにかけられた魔法の履歴を調べてもらった。分厚い眼鏡をかけた年配の女が出てきて、フラットの写真をとったり、杖で毛皮をなでたりした。
十数分後、彼女は一枚の紙をマエストロに差し出した。
「履歴は、この通りです。この子にかけられた魔法は、今まで二つだけ。生き物をカバンに変身させる魔法と……それを解除する、薬による魔法ですね」
「そうですか……」
マエストロは、フラットの背をなでた。猫は少し震えていた。
「君は、もともとが黒猫だったんだね」
だとしたら、今があるべき姿なのだ。どこかほっとしている自分に気がつき、マエストロは苦笑した。カバンの中に入れていた指揮棒や楽譜が惜しくないと言えばうそになるけれど、もう一度フラットがカバンに戻ったら寂しいと思うほど、情が移っていた。
「ちなみに……」
魔法調査士は、紙を見ながら言った。
「カバンになる魔法をかけられたのは、百年前やね。1800年の12月7日」
「ひゃ……百年!?」
印刷された文字を指さし、彼女はうなずいた。
「で、解除されたのが、数ヶ月前。場所も分かんがですけど、解除されたのがラポールの首都あたり、魔法をかけられたのはここ、クロスランドのミズカ=ミントゥ」
マエストロは息をつめ、尋ねた。
「ひょっとして……魔法をかけた人も……分かります?」
「かけた方は、まあ。薬の方はちょっと難しいですが」
「教えてください。フラットに魔法をかけたのは?」
魔法調査士は、目をぱちぱちさせて答えた。
「レオン・ブランシュ。どんな人かまでは、ちょっと……」
マエストロは首を振った。
「いえ、十分です。ありがとう」
それから手数料を払い、マエストロは黙って外に出た。
次に向かったのは、ロランのカバン屋だった。
先ほどと同じように、黒猫たちがたくさんいる。彼らを見回し、瞳の色がフラットとそっくりであることに今さら気がついた。
「にゃあ」
フラットが、マエストロの胸元で鳴いた。彼の耳の後ろをかいてやりながら、マエストロは店主が出てくるのを待った。
「いらっしゃいませ……あれ、お客さん。カバンはまだ出来とらんがですけど……」
「ええ、分かっています。ちょっとお聞きしたいことがありまして」
マエストロは、何故か声を低めた。
「レオン・ブランシュという人物を、ご存じですか?」
ロランは、あっさりとうなずいた。
「ええ。僕の祖父です」
「そうですか……やっぱり」
名字が同じだから、親戚ではないかと思っていたのだ。
「その人の日記のような物はありませんか? もしあれば、ちょっとみせていただきたいのですが……」
ロランは困ったような顔をした。
「日記……? どうして?」
マエストロは、手短に事情を説明した。ロランは浮かない顔のまま、黙って奥に引っ込み、それから一冊の古い本を持ってきた。
「ありがとう」
カウンターの上でページをめくる。百年前。それに、日付も管理局で教えてくれた。フラットに魔法をかけた人物が、その時のことを記してくれていれば……。
「それを知ってどうするがですか? お客様」
ロランの声が、上から降ってきた。
「どうするって……」
マエストロは日付を探すのに夢中になりながら、上の空で返事をした。
「ただ、気になっただけというか……」
フラットが鳴いた。顔を上げると、ロランも本をのぞきこんでいた。目が合ったのでマエストロは笑みを浮かべ、またページをめくる。
ところが、目的の日付のページは、切り取られていた。
がっかりして、マエストロは息を吐いた。ロランも首を振り、日記を回収する。
「明日の朝、また来てください。そのころには完成しとると思います」
「ええ。ありがとう」
マエストロはフラットを連れて店を出た。ふと振り向くと、黒猫たちの目が妖しく光っていた。
夜、楽団員と飲みに行く約束だった。指定の酒場を探し当て、扉を開ける。
「マエストロ!」
先に飲み始めていたらしいマシューたちが、大きく手招きした。楽団員数人と、知り合いの総代も何人か同席していた。フラットを胸元に入れたまま、マエストロは彼らのテーブルに近づいた。
「猫を連れてても大丈夫でしょうか?」
「ええがんない、なじみの店やし。店の人もそんなにうるさくは言わんちゃ」
しかし、麦酒を運んできた店のおかみさんは、フラットを見るなり顔をしかめた。
「ちょっと、黒猫おるないけ! 勘弁してよ、わたし苦手ながやぜ」
「あ、す、すみません」
「アミちゃん、この前犬連れとるお客さんおったないけ」
「犬はいいが。黒猫だけは苦手なが。不気味やねか」
「怖い?」
マシューにのどをさすられ、フラットはうっとりと目を細めていた。
「こんなに小さい猫やぜ」
「だって、黒猫やもん」
「アミちゃん……黒猫が苦手やったら、クロスランドで生きてくの大変やぜ。どこにでもおるんやから」
アミは、首を何度も振りながら、厨房に戻っていった。マエストロはしょんぼりと眉を下げた。
「出た方がいいでしょうか?」
「なんなん、大丈夫。アミちゃんが勝手に怖がっとるだけやから」
そのうち、アミがまたやってきて、料理をテーブルに置いてくれた。それから彼女は、小さな皿をマエストロに差し出した。
「これ、川魚をほぐしたやつ。猫にやって」
「あ……ありがとうございます」
「ほら! アミはツンデレながやぜ」
アミは首を振った。
「黒猫は嫌い」
「それはまた、どうして?」
楽団員は面白がり、空いていたイスを引いた。
「ほら、アミちゃん。座られ。そっで、なんで黒猫だけ嫌いながか教えて」
「もう……」
アミはまだ顔をしかめながらイスに座り、揚げたてポテトを一つつまんだ。
「……子どもの時、怖い黒猫の話聞いたが」
「ほうほう」
「どんな?」
アミは、魚を食べるフラットと目を合わせないようにしながら、語り出した。
「昔、猫が大嫌いで、猫を見れば石なげたりして散々いじめる男がおったが。ある時、そいつが投げた石が頭にあたって、一匹の黒猫が死んでしまったんやちゃ。お腹が大きい、お母さん猫で」
猫好きの人々が、顔をしかめた。
「でも、死んだそのお母さん猫から、子猫がぞろぞろ生まれて来たそうなが。そして、その生まれたての黒猫は、お母さんを殺した男にまとわりついた。追い払っても追い払っても、そいつのところにもどっていったがやって」
マエストロは、マシューの膝の上にいたフラットを見下ろした。
「怖くなった男は、その子猫たちを、真っ黒なカバンに変えて、遠くに売り飛ばしてしまった。でも、その後も、黒猫がたくさん、男の家に来るようになったが」
アミは、声を低め、怖い顔で言った。
「男が死んだ時、周りをたくさん黒猫が囲んどったがやって……」
沈黙。それから、マシューがアミに話しかける。
「……なんでそんなに怖い顔で話すがけ」
「そりゃ、怖い話するんやから、それなりの雰囲気を出さんなんやろ」
皆笑い出し、その場は明るくなった。
「なるほど、それでアミちゃんは黒猫が苦手ながやね」
「うん。子どものころは、わたしも猫いじめとったことがあったから、余計に」
「でも今は、違いますね」
マエストロは静かに言って、フラットの前足をそっと差し出した。
「フラット、アミさんがごはんをくれたんだよ。お礼して」
「にゃあ」
フラットが鳴くと、アミはちょっとだけ顔を和ませた。そして、指先でちょんとフラットの前足に触れた。
酒場を出る時、アミがささやいた。
「お客さん、さっきの話の続き、聞きたい?」
話したくてうずうずしている様子だったので、マエストロはうなずいた。
「聞かせてください」
「最初に黒猫をカバンに変えてから、その男はカバン屋を始めたんやって。それからずっと、そいつの子孫も、カバンばっかりひたすら作り続けてるそうなが……」
彼女や楽団員と別れ、宿屋に向かいながら、マエストロは足元のフラットに尋ねた。
「さっきの話さ、本当なのかな?」
フラットは返事をせず、ただマエストロの足に頭をこすりつけた。
「わかったわかった、眠たくなったんだね」
苦笑して黒猫を抱き上げ、コートの中に入れてやった。フラットはあくびをして、目をそっと閉じる。
「あたたかいね。君は生きてる。本当に良かったね」
マエストロの独り言のようなつぶやきは、冬の澄んだ夜空に溶けていった。




