8・――2人VS2万の山狩り軍勢
――蓬莱国を落ち延びた禄と絹。
惨劇の夜から既に月日は半月以上が経っていた。
国を北から北西に抜け隣国|彌勒、そして天武に入ると往来の盛んな整備された街道へ出る。そこは雪深き北方から陸中に位置する大国へ掛けて諸国を結ぶ主要幹線道である東山道だ。
少し市を物色、はしゃぐ絹をたしなめ、日の沈む頃合いに周囲の目を欺く為に街道脇の雑木林から山へと入山した。
「絹、もしかして山歩きは慣れてるのか?」
「はい、ここは何度か通ってます。もう……子供の頃ですけど」
入山してすぐ脹脛に張りが現れる。それに比べて絹の足並みは軽い。しかも山中は闇一色。 途中枝を重ね松明を作り、枯れ枝積もる獣道を掻き分け、木端の匂いで鼻孔を擽られながら進むと既に足元は覚束ない。
登っているのか下っているのか不可思議な感覚に包まれた頃。
開けた場所に辿り着いた。絹が荷物を降ろして振り返った。
「禄様、これ以上は危険です。ここで一晩明かしましょう」
その言葉に相槌打つと、荷物と共に成り行きで携えた布巻きの大太刀を立て懸ける。
風呂敷から塩と粟と竹水筒を取り出し夕餉となっていくのだが、憂慮してた追っ手の気配は未だ無い。足早に移動してきたせいか街道の報せ札に人相書きも出回らず、概ね安穏とした旅だった。夕餉は質素で粟に何か混ざっているのか、独特の噛み心地と仄かな甘み、絶妙な食感が人心地を付かせてくれる。
闇に包まれた山中に焚き火の陽炎が舞踊る。
静謐にも似た情景に、仰げば月光が二人を照らし出していた。
そんな藍と紅の織り成す世界に身を委ねていると――自然と瞳は少女を映す訳で。
気づいたのだろう美味しそうに頬張る少女の口元がゆっくり止まる。
「……あげませんよ」
「いらないよ!?……雰囲気もへったくれも無ぇな」
自称年上の奉公人。危険を顧みずこんな所まで付いてきてくれたのに、今後何かを返せる宛がある訳もない。それどころか罪人と行動を共にすれば同罪にされる。
それは世の常。彼女も解っているだろう――なら、何故ここまでしてくれたのか。問いたい事は多々あれど、
「あのさ、絹は、恋とかってした事あるの?」
衝いた口は最低な、最悪な話題だった。突然吹き出した絹が、咽返るまま七転八倒。慌てて背中を摩れば、あからさまに頬を膨らませ睨んできた。
「と、突然何を!? 全部変な箇所へ入っちゃったじゃないですかッ!!」
「ご、御免。いや絹は綺麗だし、奉公人の男衆に人気あったんじゃないかって……何となく」
「まだいいますかこの子は! ありませんッ!!」
絹は仁王のような形相で、禄の胸倉掴んで言い切った。
「そもそもそんな者がいるなら、今ここにこうして一緒にいる訳ないでしょ!」
「そ、それはそうだ……」
「それに、そこらの男が言い寄ろうとも、私には、幼少の頃ですが私の心奪った憎き殿方がいるので御座います。それなのに、嗚呼、こんな無体な事を聞くなんて……」
禄を放り出し、月夜に顔向け手拭い噛みしめ天を仰いで涙をこぼす。
「そ、そうだったんだ……まさかそんな人が……」
「……信じらんない」
「なにが?」
「いいえ。ならばあえて自慢させて頂きます。その殿方は大層朴念仁なのです。鈍感、無頓着、そのくせ自分は女性の扱いが長けてる等と余所で豪語してそうな大馬鹿様で――くちゅん」
くしゃみで言葉を止める絹へ暖が間に合うよう薪を焼べ、羽織っていた上着を絹の肩に掛ける。と、それを離すものかと少女が両手で抱きしめ小さく含羞むのだが。
「んむ、どしたのかな禄様よ?」
「いや、別に」
不覚にも、可愛らしいと思ってしまった――なんて言える訳もない。
「おお? もしかしてその殿方の事で怒っちゃった? ねぇ、もしかして嫉妬してる?」
「してません!」
視線を逸らせば執拗な攻撃は止まり、悪ふざけではない優しげな声が耳元を擽る。
「少しは元気を戻せましたか? 蓬莱から……笑顔が消えてましたから……」
その言葉に、ようやく気づく。今までの明るい言動は今にも崩れそうな自分への心遣いなのだと。何かを言おうと振り返り――不意打ちだ。
絹はしなだれかかり、柔らかな着飾らない温かな香りが鼻孔を擽った。
幼心の頃からいた奉公人。惨劇の夜を生き残る事が出来た、たった二人だけの存在。
「思わず天武に誘ってしまいましたが……怒ってませんか?」
怒る訳がない――。気丈に旅路を付き添ってくれた姉のような小さな存在。直垂の裾を掴み顔を埋める少女の体は小さくだが震えている。それは……冬の名残風に晒された汗のせいだけではないだろう。だからこそ。
「絹……今ならまだ間に合う……明日の朝が来たら――」
「嫌で御座います。見つかると、私も共謀者となって極刑は免れない……そう、おっしゃりたいのですよね」
心中を見透かす柔らかな声色に息を呑み、伝えたい言葉は濁って消える。それでもこれから無罪が晴らせず延々と逃亡が続くのなら……彼女の人生は――
「言いましたよね……恋をしたのかって……」
言葉遮る上目遣いの少女の眼差しが、唇のすぐ近くまで迫っていた。それは意思の篭る強い眼差しで、禄の唇を見つめている。それはいつから――
「してますよ。今も心の臓が破裂するほどの恋を……決して実らないと解っているのに……」
――もしかしたら、平和に包まれた屋敷の日々から?
「き、絹、俺、俺には……茜――」
その言葉を囁くと、唇は柔らかな人差し指で塞がれ頭を振られる。
風に流される雲が鮮やかな月光を投げ掛けて、二人を鮮明に照らし出されていく。
「お屋敷へご奉公に上がった、あの日より……絹はずっと禄様をお慕い――」
胸の鼓動を激しくさせる言葉。
桜の花弁のような唇が戸惑うように、それでもゆっくり迫り、月に照らされる幻想的な少女を抱いてる自分に気がついて、茜の儚げな横顔を想い、重なろうとした行いは――
ピュルルルルゥ――……
風切り音に切り裂かれた。
間を割くように背後の大木に一突きの異物が突き刺さった。
「――か、鏑矢(戰合図の矢)だ!」
まるで轟雷のようだった。大気震わせる大鼓の音が闇の支配した山中へと鳴り響く。麓から篝火が無数に焚かれ、そこまで人の群れが迫っているのが眼下に見えた。
甘い情感は冷水を浴びさられたように消し去られ、背筋を突くのは打って変わる殺気の波。
麓から山を囲むような陣形は、膨れ上がる支点から赤い筋で蛇行する。その数は四方向から二筋づつ。計八本の赤い筋が間違いなくここを目指して駆け登ろうとしていた。
「――まさか追っ手か!? 逃げよう、絹ッ」
禄は少女を立たせ焚き火を眼下へ蹴飛ばし鞘を腰へ回す。手荷物を掻っ攫い獣道が導く尾根を目指して駆け登る。
すると、神経を弾く背を衝く悪寒。
大木の裏へ周り、有無を言わさず絹を抱き寄せる。間髪容れず先の鏑矢等ではない、殺意を纏った何百という矢が、晩春の疾風雨のように樹木に、大地に、狙い定めず打ち込まれていく。
矢が止む間を縫い木を背にして絹を先に進ませる。
「駄目です、禄様。私が背中を!」
「冗談じゃない、絹をこれ以上危険な目に合わせられるか! それに、俺一人じゃこの山は降りられないだろ。頼むから、先へ行ってくれ。月明かりも失せてる今が好機なんだ。さぁ進んで!」
砕ける枯れ枝や葉の欠片が舞い踊り、口の中に乾いた異物となって侵入する。矢継ぎ早に降り注ぐ矢雨とはいえ月明かりの無い暗闇の中で、おいそれと当たる物じゃないだろう。
だが、「――!?」肩を過ぎった一矢に鳥肌が立つ。
「この山は天武の領土。人相書きがこの国へ回って、街道で顔を見られたのかも。それにしても、一人に対しての人数とは、思えません」
「天武の勢なら刻長様の手の者だが、蓬莱から要請があり二国での山狩りに発展したのか。それにしては山一つ二つ囲むだけの兵、二万以上の軍勢が見える……まるで国盗りだ……」




