9・全世界、全異次元共通言語 ――兵士=略奪、殺人、強姦魔――
眼下に広がる状況は、複数国から派遣されたと思う方が自然だろう。
「昼間の街道で、はしゃいだのは、やっぱし拙かったかなぁ」
息も絶え絶えに茶化してみるが心中は乱れる。何としても絹だけは助けたい。無関係な彼女をこれ以上巻き込みたくない。どこか身を隠せる処があればと視線を巡らしても、闇の中に煌く冷たい輝きに気が焦る。
飛び交う怒号と呼子笛に煽られ、絡みつく枝葉を掻き分け、昇り続ける。舞う枝、散る青葉、夏でもないのに咽せ返る草いきれが鼻腔を衝き、一体どれ位の距離を登ったのか――むしろ降りたのか? それすらも認識できない状況で絹が急に足を止めた。
裂けるような小さな崖が行く手を遮り横たわっていたのだ。
「水かさが……禄様、別の道をいきます!」
絹に促されて淵から離れ、枯れ枝が塞ぐ歩きにくい道無き道をひた進む。地表に降り積もった枯れ枝には、二人が掻き分けた跡が顕著に残り追っては的確に迫り来る。
険しい急登に息は荒れるが、
「逢引するには良い山だ」
ちょっとした軽口。それに絹が瞳を輝かせた。
「ついに、ついに絹を口説く気になったのですね!?」
「はは、絹の親戚さんは、俺を受け入れてくれるのかなぁ」
「もちの論です。禄様を旦那様と紹介するのですから何の問題がありましょうか!」
「――いや、それはまずいだろ!?」
「いいっえ。今をおいて機会はありませぬ。女にも勝負を掛けねばならぬ〝時節″という物がが御座います。今ここでなし崩し的に既成事実を作らねば絹めに今後好機が来るとは――」
足元に鋭利な羽根矢が音を立てて突き刺さる。
これは拙過ぎると、絹は会話を止め駆け登る。
ただ、急激に膨れ上がり肌を刺すこれはッ――殺気!?
禄は咄嗟に絹を突き飛ばし、反対の茂みに倒れこむ。間髪容れず土を刳る刺突の異音。闇の狭間から禍々しい光放つ兇刃が今まで絹のいた場所へ振り下ろされていた。
――女を殺す気だった……避けなければ兇刃の先にあったのは。
「我は彌勒の者也。蓬莱の咎人、罪人禄よ! 一族郎党殺しの極悪人め! 侍所皆殺しの罪状と合わせ、他三国に先立ちこの場にて斬り伏――」
今回の山狩りは突然の召集だったか。薄手の衣に上部鎧だけ着込んだ髭面の男が戯言を用いて刃を振り上げるが、反射的に左腰に吊った鞘から名刀蓬莱を抜刀。
儚気な月明かりに煌く横一文字の――一閃――胴元へ走らせた。
薄い胴鎧が音立て裂けて、中から凄まじい血飛沫が上がった。
肉を肉とも思わせぬ鋭利な手ごたえ。断末魔の悲鳴は血泡を喉元へ詰めさせ、水泡の濁音を上げさせる。人であった物は大地に伏せて崩れ落ちた。
名刀の冠を凌駕する尋常ならない切れ味だが――
「人を……斬ってしまった」
手に残る斬った感触が、掌から背筋を抜け、鳥肌を伴わせる不快感を湧き上がらせる。
悪寒にも似た気配に体が竦むが、それとは別に、体の奥底は底知れぬ深遠の淵から何かが心に笑いかけた気がして……指先に震えが走り抜けた。
「気をしっかり!? 考えないで、今は走ってッ!」
叫びに混濁する思考を現実へ戻す。気づけば腕を掴まれ共に走っていた。
「殺した……殺してしまった。人を……生きてるのに、殺した」
「仕方なかったのです、今は考えないで! 殺しに来る輩が吐いて捨てる程も溢れてます」
――勝てるのか? いや殺してでも逃げ切れるのか?
絹だけでも逃がさないと――
暗闇の森からは地獄門から溢れる亡者の如く侍どもは踊り狂って襲来する。
礼節など塵芥にも値せず、生き残る為だけに握り締めた刀で斬り殺す。
剣術の型など取る暇もない、ただ視野に入る者を薙ぎ斬り――貫き殺した。
『動け、立ち止まるな。乱戦は背後から襲い来るぞ。斬り抜き走れ、殺すまま突き抜けろ』
穏やかな日常に諭す牙影の言葉が脳裏を過ぎる。
「神妙に斬られよ、神依の禄! 潔い死に様受けねば末代まで御名に疵が付くぞ!」
「ふざけんなッ! 無実に咎を宛がわれて潔く死ねってか!? 集団で背中から襲って来る輩に言われたかねぇぞッ!」
足場も悪く地表を覆う枯れ枝が沼地の如く足を絡めて自由を奪う。四面八方に満ちる殺気が注意を奪おうと纏わり付く。それでも足を止めれば殺される。荒い呼吸に木っ端と化した枯れ枝が口に入り呼吸が鈍る。鈍れば疲労が倍加し体が重い。重くなれば剣撃も鈍る。
――突いて、薙ぐ。
そのまま足場を求め死体の背を踏み台にすれば、有らぬ方から脛狙いの刺突。させじと反射的に足を引き、引きながら横移動。枝の踏み鳴りに背後から穿つ槍を避け、〝蓬莱″を武者に刺し貫いた。
終焉見えない無明地獄の最中で、背後からの蟀谷を貫く冷酷な気配。体を真横へ沈ませ、迫る槍を躱し倒れる直前で手近の枝を掴み――反動で体勢を立て戻す。柄頭で相手の眉間に一撃、仰け反る男の脇を抜け斬り捨てた。
そこで初めて絹を疎かにしていた事に気が付いた。
「絹ッ!」半狂乱に叫んでしまう。「絹ッ、どこだッ!」
眼に入る汗もそのままに叫ぶ先で禄は目を疑った。
絹が背後から飛び来る男をするりと避けて棍棒で相手の後頭部へ一撃。二陣となって迫る男の顔面には、どこから出したのか粉を吹きかける。絶叫を上げて自身の顔を毟る男の側頭部へ棍棒の一撃。他の武者も顔色を変え抜刀、絹の頭目掛けて叩き降ろす。
が――その懐へ入り、振り下ろされる刀の柄に掌底を合わせ、右足の踏み込みと同時に打ち上げた。
「絹の事はいいから御自分の事だけ考えて!」
唖然とするが、次から次に這い上がる武者に恐怖を感じ間髪容れず斬りまくる。だが、いかな名刀も人を三から四人斬れば、体液脂と血糊が粘り着き刀の役目を果たさず斬るというより、叩きつける棍棒に近い。
それでも相手の頭部を避けて、肩口から鎖骨目掛けて叩きつける。
再び絹を見れば、舞うように襲い掛かり爪で相手をえぐっていた。
――瞬刻、互い瞳がかち合って、その間を割くように再び矢の雨が降り注いだ。
咄嗟に大木を盾にやり過ごし――「きゃっ!?」蹲る彼女の脹脛から鮮血が滲む。
「絹!」叫び、矢も厭わず絹目掛けて飛び出した。
「禄、駄目――下ッ!?」
気配の欠片も感じられなかった。まさか矢雨を潜り抜けて、迫る者がいる等と誰が予想出来るだろう。足元を這う迫る違和感を捉えた時には、反応が遅れていた。
短槍を構えた小柄な武者が伏せた体勢から殺気を飛ばす。
顔面を狙い放たれるのを先読み、反射的に上体反らして左手で払い、武者に〝蓬莱″を突き刺した。鈍く振動する人を貫く感触が手に広がる。
悲鳴さえ発さない武者の兜がもげて、闇のように長い黒髪が鮮血に塗れて宙を踊った。
女――!? 心臓が跳ね上がり、意思を挫く。が、
「こ……殺さないと、殺されるんだ! 俺だけじゃない、絹もだッ!」
咄嗟に叫ぶ言葉は自問への結。刃は押し込まれ女はそれで絶命した。
はず――なのに、
「嘘だ……」
女は陶酔するように笑顔を向けてきた。
向けるどころか逆に向こうから、嬌声めいた叫びと共に踏み込んできたのだ。
〝蓬莱″を頭部に埋めた女が間合いを詰める。握った短槍が描く鉾先の軌道、それは自分の右脇腹から左肩に掛けての逆袈裟斬りをしようとしている事に他ならない。そこまで理解しているのに、思考が邪魔をする。
思うのは――何故動く――それだけ。
紅蓮の鮮血が舞い踊る。
刹那に等しい刻の中で、ようやく遅れて上体を引く。
その引き際に、その女の背に、また見てしまったのだ。
蓬莱国で見た黒靄状の何か。毛穴の一つ一つから漏れ出し、纏わり付くように大地へ広がっていく何か。口元が裂け放たれる叫びは、耳朶を揺らすけたたましい笑い声。
――月が覗く……いや、俺が仰いでいるのか?
刻が止まる感覚、それを崩すように一呼吸入れ……刻は静かに動き出す。
雲間から僅かに覗く美しい月夜に大量の鮮血が舞い……いや、踊り狂う。
「禄様アァァ――」
冷たい何かが脇腹の肉を引き摺り、自分の胸の肉が揺れる感触を実感した。視線を戻せば、短槍を天に穿つ小柄な武者女が喜悦に嘲笑い、間を離す。
手から失った〝蓬莱″を、女は顔面から引き抜き投げ返した。
唸りを上げた太刀に首を傾ければ首筋を擦め、背後に背負った大木に突き刺さる。大きく跳び退る女は絶叫も露に笑い上げ、やがて闇の向こうへ跳ねるように消えていった。
……起こった事柄の全てが、理解出来なかった……。
死ぬはずだった……のに。と、それだけが思考を駆け抜ける。視界が急激に白くなり、異変に気づいて自分の胸を見れば、衣服は斜めに裂けて夥しい赤の鮮血が下半身まで覆っている。
紛れも無い自分の血だと認識すると、まるで本来の流れに追いつけとばかりに世界が急激に加速した。
「――ああああああああああァアアアアアアァァァァッ――――!?」
天空に響く絶叫が自分の物だと、刻の流れが濁流となって押しよせる。
認識したが為に凄まじい痛みと恐怖が襲う。
「禄様、禄様――」絹の悲痛な叫びが山野を駆け巡る。呼吸が乱れて咽返り意志を無視して膝が大地へ崩れ落ち、ぼたたっと血の塊が地へ落ちる。
――死ぬ、嫌だ。違う――そうじゃない、このままじゃ絹が……。




