10・隠語り――鬼哭啾啾――彼が、囁く――
頭の中を何かが駆け巡る。怒り、悲しみ、理解し得ない黒く奇怪な感情――それら全てを押し潰す無力感。初めて奉公人として屋敷に上がった頃の絹、共に語らった笑顔の絹、それらが走馬灯のように脳裏を過る。
手を伸ばし太刀を大木から抜き放ち、崩れそうな体を無理やり支える。
腕に力が入らない、呼吸が泡立ち音が鳴る。登ってきた武者二人が背後から迫り来る――が、最後の力を込めて振り向き様に――刺す。なのに、避けずに顔で受けやがった。
「……いい加減に……しろよ。お前も……かよ……」
だから同じように刺した。普通は死んだ。
理解が出来ない。異常な感覚のまま握った太刀を上下に振ってやるが、それでも武者は笑う。
気色悪い笑顔に気が乱れ、思考が混濁する。
ただ、残る一人からは靄が見えなかった。それが横倒しに殴り掛かってきた。
「ほぉぉっら捕まえたぁ! 大人を手古摺らせやがって、こん糞餓鬼がァッ!」
何も出来ない、何も抗えない、無力感に苛まれ――腹が立つ。
足をやられ動けない絹に、喜び勇む男共が五人掛りで押さえ込むのが見えた。
痛み超える何かが――混濁する思考を鮮明にさせ、状況を見据えて蛇蝎の如く吼えていた。
「――て、手前らッ、その子に触れるなッ!?」
……ドクリッ……ドクリと流れ漏れる鼓動の音が耳に響く。己を動かす鼓動の音。だが、これが本当に自分の物なのか確証が持てない。それほど鼓動は遠くから頭へ響いてくる。
「女だ、女がいるぞ!」
「――捕まえろ、なんでこんなところに!」
「――さ、触るなッ! その子は関係ないだろッ!?」
視界の先に行われる悲劇を視野に入れれば――ドクリ! ドクリ! と、優しくもあり、懐かしさまで感じる鼓動が液となって胸から噴き出て行く。
何かが抜け落ち……それは本当に己の鼓動か? と、何かが問い掛けてくる。
「泣き喚いてもかまわねぇ女を縛れ、縄、縄は!? 誰か持ってないのかクソ、押えろよ!」
下卑た野獣の笑いと狂気に濁りきる瞳――見据える姿に、出血も厭わず頭へ血が逆流する。
「やめろッ! やめろッ! ヤメ……ろッ!? 畜生、畜生、畜生、畜生、ちくッ――」
ドクリドクリドクリ
鼓動の音が鈍く染みるように脳を、己の世界を、潰すように侵食する。
――煩い、止めろ! それどころじゃない。絹が、大切な奉公人が――違う!
頭が痛い、煩い、何かが背筋を駆け巡る。
何を考え何をしたいのか導けない。
「――ばぁッか、こんな役得誰が止めるか。お前はここで死ぬんだから気にすんな!」
「すぐに、こいつも後で追わせてやるよー」
こ……殺してやる、殺さないと絹が、殺してやらないと……殺「――してやる殺してやる。お前を、お前も、お前らを……皆殺しに……してや――――」
取り押さえる男が、気絶しろとばかりに後頭部へ拳鎚を叩き下ろす。
「ひゅっ~ボクちゃん。お前に何が出来るんだよ」
「おい、さっさと殺して、お前もこっち来いやぁ」
幾度も、幾度も、早く死ねと後頭部へ拳鎚が下ろされる。その度に鼓動が何かを囁く。
――だけど、気絶さえ出来ない。見開いた眼が目前の惨劇を、殺すと誓い呪いを掛けた者を、凝視していた。
『お、俺の……絹に……さわッ、さわるなぁぁ――――――!』
ドクリ! ドクリ! と鼓動の音が鳴り止まない。
叫んだ声がぶれていく。
だけど――関係ない、殺してやる。
「お前のおんなぁ? はっ。守れもしねぇくせに、いっぱしの男気取りか、えぇ~?」
男は暴れる絹に癇癪を起こし、少女の綺麗な素顔に無情の平手打ちを叩き込んでいく。
『動け……殺してやるから、動けよ! 体、殺してやるっ。殺したい! 殺し……やる……血で……染め殺して……ぎぃッ――体、ぎぃッ――引き裂ぎッ――――』
殴られた頭部から血が目に入ったのか、視界に幕が落ちるように世界に紅の帳が堕ちていく。それでも、視界が塞がる事は無い。血じゃない何か……。
それが視界を染めているのだと苦痛に呻く体で鮮明に解っていた。
ドクリ! ドクリ! と鼓動の音が早鐘のように、速く、鋭く、高らかに響いていく。
その鼓動は……禄のではない。禄の鼓動は血が流れすぎて、今にも消え入りそうだと痺れる体が教えてくれる。
背後から、小刻みに揺れる何かの音。
鼓動の音が鳴り止まない。
それに呼応する深く重い響きで発っする何かが頭の中を駆け抜ける。
――声が聞こえた。人の物じゃない――
そして、その言葉は確かにこう言っている。
『……抜ケ、抜ケ……』
漆黒――そんな表現がしっくりと当て嵌る声。
それが腹の中、いや闇の中、いやそれも違う。もっと奥深く、闇の淵から心へ響いてくる。
『我ヲ使エ、我ヲ使エ、我ヲ使エ』と、鼓動が声と変わりて嬉しそうに誘惑する。
暴れ抵抗する絹の頬を、苛立ちを隠せず殴る男の姿を直視。
体の中で、何かが撥ね上がった。
大切な箍が外れる音を聞いた、聞いてしまった……。
「『……もウ……殺そウ……』」
背後から囁く心地良い静寂にも似た感情に、誘われるまま抑えられた腕で手首だけ動かし、触る。途端――何かの勢いに巻き込まれ、その身の全てを投げ捨てた。
それで、何かが変わるのなら、構わないとさえ思ってしまった。
カチャリ……という掛け金が外れる小さな音。
いまだ布に包まれ姿|顕さないそれを、そのまま逆手に握る。
誘導されるように、その物体で自分の背中を撫でるように引き上げた。
体の痛みが急速に失せ、心地良い感覚は既に全身へ廻っている。
まるで自分を背後から見ているような、自分を他人として認識したような奇怪な感覚の中で、束縛の消えた肉体をすくと立たせ、何度叩かれても抵抗を続ける絹と男共を見据えていた。
禄は、コキリと首を鳴らした――
「なんだ、これ……」間抜けな声が、足元から聞こえる。声を発したその物体は、血を流し続ける自分自身の下半身を呆気に取られ見つめていた。
やがて、ようやく意味を理解し、
「――俺のォォォォ脚ぃぃぃぃぃィィィィィィ――――――――ンッ!!」
遂に絶叫、二人の……いや上半身を大地に晒す二つの肉塊ども。
胴体から横一文字に斬られ、無様に立ち尽くす下半身を見つめる男を叫ぶだけ叫ばすと、その顔面に禄は踵を落とし粉砕、肉片とさせる。
――もう一人。禄を押さえていた〝蓬莱″を頭部に刺した武者も、撫で上げられた大太刀の鞘走りで体は泣き別れ、一言も発する事無く喜悦の笑みをで息絶えていた。
敷き詰めの枯れ枝に静かに歩を踏み出す。
抵抗していた絹。取り押さえる男四人と跨り殴り続けた男一人。全員が血泥で立ち上がる禄に魅入られていた。
「な、なんだ、おま……え、その太刀」
逆手のまま見やれば、刀身に血糊の欠片もついていない。
雲間から月光が血に塗れた禄と、大太刀と、紅い異国文字を仄かに浮かび上がらせる。
刀身が不浄無用と言いたげに、赤黒い靄を天へと昇らせる。
軽く一振り。逆手のまま構える。
『計五人、背後ニモ武者軍団、手早ク終ワラセヨ』――と、誰かが密やかに囁く。
でも、今度は自分の意思で言葉を作る。
『ッぬ……絹……絹……今すぐ……助けるから』
言葉が漏れると風が如実に戦慄いた。
絹を囲む男共と周囲の木々が湾曲する。空間ごと引き寄せられるように吸い込まれ、気づけば連中の目の前に立ち、逆手にもった大太刀が横薙ぎの――一閃――『あひゃ?』間抜けな声を出し、五人の男の胴体が同時に揺れる。
やがて横滑りしたソレは、絹の真横に転がり、「ひぃッ!?」絹が転がるように逃げ退る。
刀を元の背に隠すよう構えると、手近の大木二本が抵抗も無く切り倒され、他の大樹を巻き込み繁みを哭かせて倒れていく。
「逃げ……よう、絹……」
――願いの通り皆殺し――
途端に、心地良さが急速に衰えた。
痛みが、再び体を襲うのを感じる。




