11・山に住むヌシたる大男
慌てて頷く絹の肩を借り、太刀を引き摺るように山道を登れば、矢継ぎ早に繰り出される銀光が、手当たり次第どしゃぶりの雨と化して降り注ぐ。
再び頭が混濁し、何もかもが解らない。
「絹……先に逃げろ……俺は……もう足手纏いだ」
「ふざ、ふざけないで!? 禄様が逃げないでどうするんですか!」
「御免、本当に御免な。俺の為にあんな連中に襲われそうになって……俺は……何て謝ったらいいのか……どう償ったらいいのか……御免な……」
「禄様、気をしっかり持ってッ!」
殺気が……見える。空を裂く耳障りな音を纏い、幾つもの鏑矢や羽根矢が静かに見える。
「……木の陰……へ……絹、矢がくる……」
啄木鳥の嘴鳴りにも似た音が、隠れた背後の大木から幾度も響く。
「このままでは……禄さま? 禄さま、目を開けてッ!」
視界が霞んでいる。あまりに暗くて明かりを求め、空を無意識に見上げていた。
煌々と明るい満月が梢の向こうに見えたはず。それを求めて視線を這わせると、流れる雲間から覗いた明かりの筋さえもが完全に消えていた。
空は暗く明かりはない。血の出過ぎで視界が塞がれたのかと疑問を抱いた頃だ。
「――ひぃぃッ!?」
叫びに振り仰げば、天を見上げる絹が見える――目が見えてる? なら、何故?
気配は感じない。
なのに……それは、そこに居た。
『――随分面白い事をしてやがるな。餓鬼二人にどんだけ雑兵が来てんだかよぉ』
天空さえも覆う暗闇から、野太い声が山神の如く振動を与えてくる。
「よぉ、狙いは手前らだろ。よっぽどの悪さをしたのか、あん?」
声の主。暗闇の如く見えたのは、二人を見下ろす天を突き抜けんばかりの大男だった。
そいつが自分の頭を掻けば、腕の隙間から月光が漏れ、その光で大男を照らし出す。
身の丈七尺は優に超える大男だ。薄い衣に動物の、たぶん熊の毛皮だろうかを羽織、五尺以上の大太刀で肩を叩いて、右手には巨大な徳利が握られていた。
散ばら髪に同じ長さの無精髭。その肩には……
「そ、そんな……小さな子……。こんな場所に……連れて来るな……馬鹿野郎……」
肩に童子を乗せていたのだ。
禄の台詞に大男は口を開け、呆けた顔から――やがて山を揺らす大笑いをがなりあげた。
「――わっはっはっは、聞いたかよ! こいつこの状況で得体の知れねぇ儂の餓鬼の心配しやがった。は――っはっは、面白ぇぇ、この餓鬼面白いじゃねぇかッ!」
一頻り大笑いをかます大男の笑顔が、真顔へ変わる。
「――お前ら、そこから動くなよ――風波・壱の太刀」
大男は大木の脇に体を出し。闇から来る矢を、まるで薙ぎ払うように大太刀で払う。
それが薙ぎの技なのか。体の皮膚まで嬲る突風、大地の枯れ枝どころか大樹が根ごと抜かれ――撥ねた。
宙で次々と鋭利に切断される大樹と茂み。
それどころか――山が叫ぶ!
悲鳴と絶叫、崩れる土砂が山を崩し周囲を巻き込み麓まで落ちていく。
大量の矢など塵に等しい。暴風に巻かれ、眼下の兵諸とも土砂に巻かれて落とされていく。
「とりあえず……こんなもんかぁ?」
肩で刀を数度叩きながら巨躯の男が戻ってくる
「お父……男のほう、もう死ぬ」抑揚のない小さな呟き。
「あぁ、解ってるよ。……そうだな。娘、羽織物を脱げ。小僧お前もだ」
絹が、小さく肩を震わす。
「下がれ、絹!」
どこで落としたのか掌に既に大太刀はなかった。しかも血の漏れすぎで視界は怪しい。それでも背後の巨木を背もたれに、体へ鞭打ち震える腕で絹を庇うまま立ち上がる。
「そういう事……か、どいつも……こい……つも女って言えば……」
大男は、その姿に溜息混じりで言葉を洩らす。
「馬ぁ鹿。服を囮に使ってやるから……脱げと言ったんだ。早くしろぉ」
その言葉に、絹は数度頷くと禄の直垂を脱がせ自らも脱ぎ捨てた。月光に白い乳房が露わになるが、二人の衣を受け取る大男は意にも介さず肩の童を絹へ預け、その上衣で禄の体から流れる血を拭い色濃く染み込ませていく。
「ま、こんな物か。……少し待ってろ」
大男は懐から丸い何かを取り出し、未だ登る兵へ幾つも投げつける。瞬く間に蒸気を発し広がる灰色の霧が視界を遮るが、そのまま一足飛びで断面残す森の遥か高みの枝へ飛び移る。足場になった大木はその体重に耐えられず大きく撓り、その反動を利用。未だ残る樹から樹を移動、瞬く間に巨体が闇夜へと消えていった。
「幾らあの武人様でも、たったお一人では……」
「お父は……平気」
鼻腔と口腔から漏れる血塊。音立て吸い込む呼吸に意識が混濁、絹と童子の会話が遠くに聞こえ始めて、忍び寄る死の恐怖に抗おうとしたのだろうか勝手に腕が上がっていく。
「お前、動くなってば!」
童が出血を止めようと自分の衣着を脱ぎ捨て噴出す傷口へ押し当てる。
やがて遠くで何かが渓流へ落ちるような音が響き、『男と女が沢に落ちたぞ――』先の大男の声が轟く。それに伴い押し寄せていた軍勢からも――
「何か動いている。崖下だ、崖下の沢中に二人が見える、いそげ!」
声が連鎖、松明の明かりが一勢に移動していく。
『衣が沢の岩に掛かってる! 下流だ、下流へ流れていくぞ!』
「刻長の軍勢に後れを取るな! 彌勒の猛者よ、走れ! 下れ! 走れ!」
一際響く怒声を聞き、緊張が解けたのだろうか。
ゆっくりと、禄の意識は月夜の世界から遠ざかっていくのだった。




