12・第参幕 妖刀……
白靄の世界が揺蕩っていた。
その先を見ようと瞳を凝らせば、世界は紫煙に包まれる。
燃え崩れる村落から人の焼ける異臭が嘔吐を誘う。
悲鳴と絶叫が大気を揺らし、親を探す幼子や泣き喚く女の姿が見て取れる。
無情の面貌を携えた鎧武者の一団が虐殺を繰り広げる。統率された軍勢は、生きとし生ける者の殲滅だけを忠実に守り、阿鼻叫喚の地獄絵図を描き続けた。逃げる民衆に、幾万の矢が放たれれば見上げる全ての者へ襲い掛かる。
しかし――風が吹き荒れた。
それは渦を巻き、次々に矢を軍勢をも飲み込み、秋風に舞う木っ端のように吹き飛ばす。そんな怪奇な現象の中で、微動だにせず耐える全身甲冑の者がいる。黒く荒れ狂う瘴気を纏い、黒紫に染まる巨大馬に跨る修羅の者。
修羅は嘶く馬の向きを変え――一点を睨む。
燃える村から伸びる農道の向こう。巨大な太刀を逆手に、紅闇色の眼差し宿す羅刹がいる。ボロ布を纏った異貌の羅刹は肩に童子を乗せて、冥府の底より溢れる軍勢を見据えていた。
やがて、炎と死臭の逆巻く大地で二つの巨剣が干戈を交える。
衝撃に土砂が飛沫となって羅刹を飛ばす。衝撃の煽りで嘶きを上げる愛馬に渇を入れるのは全身甲冑の大男。
互いの命を貪りつくそうと、裂帛の気合が雄叫びとなって両者から放たれる。
怨嗟呻く灼熱の大地で、冥府の修羅共が絡む蛇のように鮮烈な死合いを繰り広げ――
「――――――」
穏やかな呼び声が何処からか響き、禄は引き上げられるように目が覚めていく。
「――様? 禄様ッ!? 嗚呼神様、よかった……目を覚まされた……」
ぼんやりと開く両の眼で見えたのは頬を濡らす絹の顔。
見上げた空は闇の森ではない。木材で器用に組み立てられた木造小屋の天井だった。
「禄様。絹めが見えますか? 本当に良かった……もう眼を覚まさないのかと」
「絹……もう敬語は……いいよ。それより、ここはどこなんだい?」
痛み、震える手を動かし、絹の頬を撫でると眼尻に残る輝きを拭う。
「覚えていませんか? あの月夜の晩、私共を助けて下さった巌様の庵でございます」
月、大男――連鎖する記憶が闇夜の逃走劇を断片的に映しだす。
「巌? あの時の人か……そうだ、助けられたんだ!?」
起き上がろうとし――禄は苦悶に身を捩った。苦悶に屈めば胸腹に清潔な布が幾重も巻かれ、顎にも薬草が貼られていた。
「お、起き上がらないで下さい、辛うじて傷口が塞がってるだけですから」
裂かれるような痛みの為か頭がまだ呆けている。
「絹、本当に敬語は止めてくれ。あれだけ助けられて……もう主従などと……」
「そうはいきません、貴方様は主なのですから」
ただ、そこで一瞬彼女は思案。
「では敬語抜きで。実はもう七日、七日間も眠り通しだったんだぞ! あれから追っ手もなく巌様に御厄介させて貰ってるけど禄からもちゃんと御礼を言わなきゃ駄目だぞ、めっ!」
呆気にとられた禄に意地悪く含み笑い。
止めておけばよかったと禄は後悔した。
視線を巡らせて見る。木造拵えの庵には囲炉裏や炊事場があり、内壁で隔たれた向こう側は寝室のようだ。質素でありながらも立派な造りが眼に飛び込んでくる。
ふいに入口の簾が上がり、大男が肩に童子を乗せて現れた。
「ようやく目が覚めたようだな。しかし、よく生き返ったもんだ……」
蒼い前開きの衣を腰布で縛り、同色の蒼い袴――ともいえない腰履きを履いた大男。草履を入り口で脱ぎ散らかし、腰に差した五尺程の太刀を左脇に置きつつ隣へ座る。
禄は絹の手を借り上体を起こした。
「手前と供の者の窮地を救い戴き有難く存じ上げます。既に連れの者が語られたと思いますが。天武より南は蓬莱の国、紘翔の地より参りました神依の禄と申します。随伴の者は絹です」
武家の習わしに従い身を正し礼法に則り挨拶、同様に絹も指を立てるが。大男は二人を見据え頭を掻く。やがて身を正し同様に武家の挨拶で一礼してきた。
「儂は都より遥か西方は長門の国の杞狼村にて生まれ、育ちは伊予の国だ。名を厳龍と申す。が、敢えて巌と呼んでくれ。今は流れに流れて、この天武の山中で娘と共に隠匿している只の爺だ」
爺――と呼ぶにはどうだろうか。初老に届くかの若々しい風貌だ。
最後に溜息一つ、己で娘と呼んだ童子に顎で指し示す。
巌の裾を握る幼子は、頬に赤みが残る歳の頃は四っつ届くだろうという童子。
「生まれも育ちも、この庵。名は奈奈」
薄紅色に華の模様をあしらった童子服を腰紐で巻き、肩まで流した髪はざんばら髪。それでも意志を強く表す切れ長の眉が目鼻立ちと整い見た目にはかなり愛くるしい。ただ面貌は重く、双眸に童ならではの輝きは皆無、ぬめるような半眼だ。
禄の向けた視線にへの字口で返し、ぷいっとそっぽを向く。
「良い名前だろ? 上から呼んでも下から呼んでも奈奈、逆さ名前の奈奈ってこった」
なんと答えて良いか解らず曖昧に返事を返すと、巌は笑みを一蹴。先を続ける。
「元来、人の事を詮索するもんじゃねぇってのは解るが、敢えて聞こう。お前らなんで追われてた? まさかその年で手勢が山狩りする程の悪さでもしてきたか?」
「――私どもは人様から誹りを受けるような悪行など何一つ致しておりませんッ!」
真摯な眼差しで聞く大男に、眉間に皺寄せる絹が蛇蝎の如く一喝した。
そっと座を離す巌が、耳元へ顔寄せ小さく囁く。
「怖いな……お前の女。じゃなくてさ、助けた以上は儂らも知っておきたいんだよ」
厳の言葉は至極尤もだ。縁も所縁もない者を、あれだけの手勢から助けてくれている。しかも歴とした公の兵からだ。加担させたと言っても過言ではない。
「まぁ、言いたくなきゃいいけど……な」
この大男に救われたのは事実。なら、語るのが筋だろう。
そう結を下し、禄は茜という幼馴染。元服の日。それに結びついた婿入り。前夜届けられた黒の大太刀、そして付随し始まる幾多の件を包み隠さず伝え始める。
巌は目を閉じ静かに聞いていたのだが、大太刀の話をすると、眼皺の寄る深い瞳を薄く覗かせ奈奈を見る。奈奈も巌を見つめ何か言いたげな顔をした。
「な、何か変な事を言いましたか?」
その言葉に、無精髭を摩る巌は苦笑い。
「いや、まぁ……運命なのかなってよ」
「運命……?」
「とりあえず、森で落とした黒の太刀を拾った方が話は早そうだ、明日にでも――っ、あッ!?奈奈、飯の魚捕まえてこねぇと! 娘っ子も手伝ってやってくれないか!」
突然会話を遮る大男は娘にそう告げると、首を傾げる奈奈はやがて小さく頷き、絹へ目配せで促す。一度振り返る絹に禄も薦めると、二人連れ添って庵から出て行った。
「悪いな……大した話じゃないが。ちと、伝えにくい事があってよ」
山のような巨躯の大男の巌龍。小窓からの青白い陽光で、強大な風貌は正面に陰影を作り表情までは読み取れない。
「単刀直入にいう。普通食事できない怪我人は数日で斃る。で――あの娘、瀕死のお前を縫合、飯は噛み砕いて、口移しで一命を取り留めさせた。ありゃ本気でお前に惚れている!」
「え、あ、はぁ……?」
「はぁ、じゃねぇよ。なのにお前は寝言で『茜~帰るから~』って、叫んじゃってたの」
その言葉に息を呑――いや、血の気が引いた。
「早めに謝ったほうがいいよ、って老婆心です」
「あ、ありがとう……ございます」
「故郷に惚れた女で、さらに国司の姫さんだっけ。そんな中で命張って旅の道ずれする尽くす女の眼前で、別の女の名を叫ぶって……凄いよお前。どんだけだよ」
初対面なのにずけずけと言い切ってきた。
「でも、知ってる? 伊達っぷりも結構だけど、女だって感情があらぁ。月夜の無い晩に背中からブッスリ……てな事になる場合もあるらしいよ」
立ち上がる巌は豪快に笑いながら腋を掻いて外へ向かう。
対照的に禄は生きた心地がしない。
「あ……お前この先どうすんだ? 奈奈の話じゃ近隣諸国に人相書きが出回ってるらしいぞ。あの娘の身も預かってんだから身の振り方は考えとけよ」
そう言い残し、巌は庵から出て行く。
大きなお世話だ、とは言えない。むしろもっともだと思えた。
禄たちは生きて助かった。けど……自分で自分や絹を守りきった訳ではない。
蓬莱から持ち込んだ大太刀と、厳に出会わなければ間違いなく二人絶命していた。そして、これから先も、絹と二人だけで生きなければならないのだ。
巌に言われるまでもない己の無力さが身に染みているのが解る。日々の鍛錬は意味を成さず、もう一度社へ戻るという思いさえ霧散するところだった。
それが酷く悔しくて、禄は力強く拳を握り締めずにはいられなかったのだ。




