13 山崩し
――翌日。
小鳥の囀りと、朝日が降り注ぐ林の連なる崖の歩道を、絹に肩を借りて四人で歩いていた。 庵から出てすぐ驚いた事がある。天にあるはずの雲が足元よりも更に下、深い山脈の中腹を穏やかな風に乗って漂うという、眺望豊かな景観を示しているのだ。
「あ、あのさ、絹。ありがとう……看病してくれて」
「言いっこなしです。禄に何かあれば、絹は何だって……するから……してしまうから」
え? と振り返ると、絹は浮かない顔色だった。
「見てください。お屋敷の桜に似た、綺麗な山桜ですよ」
それでも薄桃色を抱く巨木を指差して、その頬を肩に寄せる。
「いつも……ありがとう。何かあれば、俺も悩みに乗るから」
絹は小さく肩を震わせ、そして笑顔を裾に埋めたのだ。
「……いつか……お話します……いつか……」
禄の裾で囁く声は禄には届かない。
二人連れ添い歩むと眼下で桜の花が咲き始めていた。
歪に尖る山脈の頂に手が届きそうな、幾多の大樹を宿す神仙の峰々にも等しき地。俗世と離れた絶佳な眺望に息を呑む。そのまま道を先立つ巌に付いて歩くのだが。それから数歩も行かず傷は悲鳴をあげ、膝が大地へ崩れ落ちていく。
「禄!」
「大丈夫、ちょっと差し込んだだけだ」
絹に肩を借り姿勢を正す。と、
「慣れろ――とは言いたくねぇが、たぶん、その痛みは今後も続くぞ」
巌が振り返らずにそう告げて来た。
「……え?」
「ちっと踏ん張れつってんの」
そんなのも耐えられないのかと笑われた様で、禄は遮二無二なって立ち上がる。
「無理はしないで、何も今日でなくても。もう少し良くなってから、ね?」
絹の言葉に、そっと首を振った。
「ありがとう絹。だけど巌殿が何かを知っているのなら、俺も問いたい事は幾らでもあるんだ」
絹に肩を預け、痛みに怯えながらゆっくり巌へ付いて行く。
見かねた巌が、「抱っこしてやろうか?」と頬を染め言うものだから余計腹が立って大股で歩く。山向こうまで聞こえそうな大笑いをされ、揶揄われているのがよく解った。
途中、積み重ねられた巨岩の隙間の岩戸を潜ると、大気の色が変わったのを肌で感じ取る。
風で折れた枯れ枝が大地に敷き詰められて、その中を獣が通ったのだろう獣道。
そこを巌は枝を押し潰しながら先を行き、枝が積りに積もった場所に遭遇しては腰の大太刀を抜刀。
薙ぎの剣圧で、異様な突風を生み出し一掃する。
「あの時の突風は、見間違いじゃなく巌殿が起こしたのですね……」
その言葉に巌は振り向かず。歩みそのままに響く声を静かに落とし、
「儂は、これを〝風波″と名付けたが……儂流の『剣術』だ」
剣術の部分を強調して語った。
ただ、禄にはその訳は何となく解るような気がした。
古来より一般に言う剣術とは――武家に伝わる技を指す。
互いが切り結び、己と技を高め昇華する事こそが剣の術だと聞かされる。
しかし極稀に、人の目に留まらぬ神業的な剣技を操る者が現れる。
人は畏怖と畏敬の念を込めて、それを外法の業『妖術』と言う。
この大男が自分の業をそう揶揄されるのを嫌ったのも解る。だからこそ厳が、伝承に視る人智を超えた練達の者なのだという事も理解ができた。
「こんな山中にいたら誰も守ってくれねぇよ。このくれぇ出来て当然だろ?」
巌は肩に乗る奈奈を撫で、心を射抜くような眼差しを投げ掛けた。
今のままでいいのか?――たぶん、そう言いたいのだ。
「あの夜、俺は絹を守れなかった……」
結果的には守ったが、決して己の力ではない。一切を守れていない。
それが酷く自分を落ち込ませ、未だ求める標へ辿り着くのを阻んでいる事にも気づいてる。
そんな思いの視界の中で、気づけば絹がひょっこり覗き込んでいた。
「守ってくれたじゃないですか。女として、これほどの至福はありません」
と、微笑んでくれるが、弱いという事がどう結果を招きよせるか。平和呆けした驕りの末路は、他ならぬ自身の胸腹にも深く凄惨に刻み込まれている。
「――この辺りだったなぁ、お前たちと出会ったのは」
巌の言葉に現実へ引き戻される。見渡せば広大な山脈を包む巨大な雑木林、行く手を遮る枝の積もる大地は、この辺りだけ明確に異様を示していた。
緑濃く鮮やかに芽吹く巨木の群れ。
その一部が――ないのだ。
地肌も顕に大地へ深い傷跡を刻み込むそれは麓まで延々と続き、鋭利な刃物で切り落としたような倒木と、モロだしの切り株が遠く眼下に転がっていた。
「まるで、天変地異です……とても人の担える……業とは……」
絹が呆けるのも無理はない。ただ、そんな彼女を置いて巌が崩れた土砂を探しはじめ。禄も先に〝蓬莱″をと、地肌を越え、断面残して広がる森を探してみる。血身泥で駆け上がった闇と月光と血煙踊り狂った獣道。それは程なく検討が付き、草木に散る武者共の血痕を見つければ記憶は嫌でも鮮明に蘇る。
「たぶん、向こうが――」二度と眼にしたくない場所。
絹の窮地へ怒りに任せ、理解を超えた何かに頼り男七人を斬り伏せた場所だ。
辿り着くなり棒で枝を払うと、五つの腐敗した下半身が顕になる。
悪臭と凄惨な骸に絹が小さな悲鳴をあげるが、こいつらには似合いの姿と思えた。
自分が抑えられた箇所は……っと。検討をつけ枝を捲ると、二体の切断された骸。そこに、一振りの太刀が転がっていた。陽光に輝く〝太刀:蓬莱″は、骸の一つに刺さっているのだが。
「た、太刀の一つはあったッ!」
厳に呼びかけ〝蓬莱″を掲げる。
呼び声に比喩ではなく飛来する巌。そして太刀より、その骸を見て顔色を変えた。
「その鈍刀で、お前等を襲ったこの外道を斬り伏せたのか?」
「いえ、こいつを斬ったのは先にも伝えた黒の大太刀です。でも、これを見つけたからだいたい場所が判りました。もう少し上、蛇行して……崩れた斜面手前あたりにあるはず」
崩落した斜面を斜めに横切る。更に登り、突風の始点を横に折れ程なく、棒で勢い良く枝をどかすと、探す刀の柄が現れた。
数日ぶりに見た忌まわしい魔刀。刀身は大地に突き刺さり鍔まで地中へ埋まっていた。
「勢いつけて刺した覚えは……落としただけと思ってたが」
「……抜いてみろ、というかお前じゃねぇと抜けねぇ。間違ってもこの状態で柄から刀身を外すなよ。地の腸まで行っちまうぞ」
仰ぐように巌を見れば、揶揄う様子は微塵も無い。
月夜の晩の切れ味を思い返せば納得は出来るのだが。
促されるまま柄に触れば、大地から何の抵抗もなく巨大な刀身が現れた。
土も、血糊すら見せない不気味な妖刀〝斬″の名を刻む黒の大太刀。
「間違いねぇ……コクムだ。何で今更……魅入ってくる……」
独り語りに近い巌の呟き、やがて瞳は憂いの色合いを宿し静かに閉じられていく。
「巌様は、この大太刀がどういう物か御存知なのですか?」
絹の問いに大男は奈奈を撫で、奈奈がそれを掴むと大きく息を吐きだした。
「ゆっくり話してやるよ。お前たちは知っておくべきだろうからな」
それきり、巌は口を開く事無く来た道をゆっくり昇り始めていた。




