14・闇漂人と不知モノと、ナガブツな奇異たる妖刀黒霧《コクム》と隠語り
庵の中で禄と絹が囲炉裏を囲むと、巌は酒壷から移した徳利を持って座へと着く。
「さて、何処から話したものかなぁ……」
強い酒気漂う徳利を豪快に煽る大男は、囲炉裏の脇に鞘入りで置かれた大太刀を睨む。
やがて考えが纏まったのか巌は頷いた。
「最初に言いてぇのは、お前の周りで起こった惨劇は……全て仕組まれた謀だ」
絹の表情が強張る。それは自分も同じなのだろうと禄は思う。
「気にしてるみたいだが、お前が悪い訳じゃねぇ……昔からだ。昔から、黒の太刀を手にする者の周囲は皆殺しの憂き目に遭っている」
「なっ、――なんで!?」
「そうなる運命だったと思え。お前は悪くねぇ、気にしてたらやってけねぇぞ。ついでに言えば、同種の物を宛がわれ同じ境遇に晒された者は、過去に幾人かいるよ」
全てを見透かす言葉の並びに面食らう――
と同時に問いたい事が、闇の断片が脳裏をよぎる。
「どうやら……おめぇは見えたらしいな?」
背筋が震えた。
酒を煽る巌が覗き込み眼光炯々《がんこうけいけい》向けてくる。
気だるげな大男。だが見た目とは裏腹に決してその双眸は濁ってはいない。人の真意を探る用に輝いていて、そんな男からの言葉の為に慎重に言葉を選ぶのだが。
「み、見えるとは……何を?」
「餓鬼、山にいる以上は儂を誤魔化すな。生きてねぇモノを見極める黒い靄の事だ。冥府門の奥底から漏れるような怖気の走る霧みてぇな奴を、お前は捉えたはずだ」
男の言葉に体中の毛穴が総毛立つ。立たない訳がない。自分だけが見えたあの不気味な存在を、こんな山奥に来て偶然にも知る人物と出会えたのだ。
ただ、隣に座る絹だけが話の内容が分からず、怪訝な顔で覗き込んでいる。
「た、確かに見ました。最初は町で切り結んだ憑かれた侍の口から、そして俺を捕えた侍所の司役や、その下人達。それらの体から湧き出すのは黒い靄だった。そしてあの夜、俺を斬り裂いた女武者や、俺を取り押さえた男からも霧が漏れていた」
「そん中で斬り結んだ輩はどんなだった?」
「全て……異常でした。特に俺を斬った女は、突然足元から現れて短槍で斬り掛かってきました。だけど咄嗟に身を引き、この〝蓬莱″で貫きました……確かに殺したんです」
「はっ、そんなんじゃ死ななかっただろうよ」
死ななかった――その言葉に嫌な記憶が蘇る。
鈍く引きつる感触を伴い、絶命したはずの武者が意にも介さず槍を向けてきた。あの悦楽を求めるような不気味な笑いを思い出したのだ。
寒気と共に身震いするが、絹はその手を握ってくれた。
「俺はあいつを倒した。なのにあいつは異常な笑みを浮かべて俺を斬りました。俺を取り押さえた男も確かに倒したのに。町の侍だって、落としたはずなのに――」
巌も頷くと溜息を吐き、忌々しそうに呟いた。
「間違ぇねえ……〝闇漂人″が跋扈してやがる。また現世に溢れ還ってきたのか……」
「ヤタ……何者ですか?」
巌は徳利の中に視線を落としていたが、それをゆっくりと伏せていく。
「古来より、山の裂け目、川の淵、薄暗い森。陽の灯らない闇が色濃く掬う場所を門とし、遥か闇の冥府、冥廟門より人の感情を標に沸きだす妖魔……魍魎がいる」
「妖魔……魍魎? 気を乱した暴れる者の背にいるというシラヌモノの事ですか?」
「――いや、違う。性質は同じだがな、民草で言うそれは本当の不知モノじゃあねぇ。弱心に語りかけてくる小妖の類だ。あれに憑かれると気が触れ鬼気迫る力に兇者とみられる。畏怖の余り魍魎と混同されたらしいが……元来の不知モノはもっと別格だ」
神妙に聞く二人を見る巌は自傷気味に小さく笑う。
「故事書物の類にはこうある。古来より、闇の帳の向こうに人心ならず人肉喰らう魍魎が跋扈する。その巣窟に、傀儡の魍魎を世に彷徨わす、紫闇の異形が鎮座する。闇の想念を標に現世へ顕れ、人心に障りを招くそれを魍魎の祖は――魑魅と指す」
「魑魅魍魎なら書物で読んだ事が……。現世の闇、心の負から生まれた異形……ですよね。だけどそれは御伽噺の中だけ。むしろシラヌモノと間違えていたのかと……」
「逆なんだよ。今は解釈が違っちまってる。人を妖に変える性質は小妖と同じだが、人の魂を喰らいて魑魅は魍魎を創り出す。そして瘴気において魍魎は人の理を滅っしていく。人の温もりを知らず、人の心を知らず……己を知らず故に魍魎――不知モノと定められた。とまぁ、それが昔の伝承らしいが」
「……」
「小僧、お前は言霊って知ってるか?」
「え、いいえ……」
「当時の神道者は、民衆が禍々《まがまが》しい力の畏怖から悪戯に畏敬への変節になると恐れてな。魍魎と分別するってのもあったんだろうが、言霊に弱体への祓いの意味を込め、闇の気漂わす異形の魑魅に〝人″の字を宛がい……魑魅――闇漂人、魍魎――不知モノと定めたんだ」
――ヤタ、魑魅……なんだ、どこかで……。
「ぐ、具体的にはどういう事をなさるのですか?」と、絹が問う。
「人を喰らいて生きるのが魑魅――闇漂人だが、|斬って魂を喰らうか、噛んで魂を捕縛するか、いずれにしろ連中はそうやって同胞を増やしていく。増えた魍魎も魑魅と同じく人を魍魎へと変貌させる。基本感情を顕にしない輩だが下手に刺激を覚えると、それを享楽として襲い返してくる。笑いながらな。しかも、そこらの太刀じゃ殺せねぇんだ」
巌は立ち上がり、酒壺に向かうと柄杓で空になった徳利に注ぎながらも先を続けた。
「〝闇漂人″や魍魎で一番難儀なのが傷痕だ。斬った相手を殺しておけば、問題無いんだが……仮に逃がしちまうと、まるで徴の様に残り続ける」
「え?」
「お前は〝闇漂人″だか不知モノから手傷を負った、しかもお前の命を奪うのに十分な裂傷だ。そいつはお前の咎となる。残り続けるぞ」
「でも、でも待って下さい! 魑魅や魍魎に斬られたら魍魎になるって事ですよね。なら、何故私は不知モノにならないのですか?」
その言葉に巌は瞳を逸らした。
「息の根を絶たれなかったお前さんだがよ。それでも傷は酷い」
「ならば――」
「お前を斬った女武者。推測するに魑魅にやられた魍魎の類だろうが、そいつがどういう命を受けたかは知らぬが、お前は喰らわれずとも死に値する傷を受けた。確実に魂は冥府へ行く。やがて肉体は魍魎に憑かれ、新たな魍魎と成り果てる。けど……よ、奈奈が――」
巌は、そこで言葉を区切る。
「あいつが、お前の傷から瘴気を喰らってくれた」
そういえば話の冒頭から姿が見えない。
「あいつも訳ありでな――安心して良い、体内の瘴気はほとんど消えてる。その痛みは当分続くだろうが、それも弱まる。だが、魍魎を完全に滅っさなかったのはお前の罪――咎だ。傷痕は、その武者を殺さなければ生涯残り続けお前を苛むだろう」
巌はおもむろに着込んだボロ羽織から左腕を引き抜いた。
脇の下、黒紫に染まる喰い込み痕が渦型に広がっていた。
「儂にも仕損じた奴が一人いてな、お前たちに出会ってから疼いて仕方がねぇ」
「な、何で……貴方まで……」
「話の中で違和感を覚えたと思うが。人の世に連中を滅する武器は無い――と、伝わってるにも関わらず、連中を殺す武器が存在している。それこそが、その刀だ」
囲みの中心、囲炉裏の近くに置かれた大太刀を巌は指差す。
「儂らの間では黒い霧とかいて〝黒霧″と呼ぶ。それが唯一|物質で魔を滅する手段だろう」
顎で促され、鞘の掛け金を外して刀身を囲炉裏火に翳す。
「不知モノの類を滅すると、大抵骨だけになる。邪な気で動き回っていても人から滅した魍魎だからな。長ければ長いほど肉体を繋ぐ素も滅ぶ」
光さえ吸い込む闇の太刀、そのハバキより先の文字に視線が引き寄せられる。
「紅文字は梵字っつぅ大陸の遥か西――仏の世の言葉らしい。が、それより気づいたはず、所有者となる者が決まると、担い手は他者には扱えない力が備わる。お前には羽根のように軽く傷を与えられず、他者には山のように重くなり両断を起こす。やがて、担い手は『声』を聞く。それに応えれば契約成立……おっと、ここまでで何か違うとこあるか?」
「全て、仰る通りです」
――でも、何故? 何故ここまで詳しい。
「刀の覚醒が成れば、あの坊主でさえもう回収は出来んだろうさ。しかも完全に使いこなすには〝隠の語り掛け″に応えにゃならねぇ」
「隠?……書物で見る、羅刹の事ですか?」
それに頷く厳。
――なるほど、何となくしっくり来る。大太刀を携えてから周囲に血煙が落ち着く事はないのだ。それこそ鬼に魅入られたように……。
「この魔性の太刀は語り掛けてくる。やがてそれに会話を成すと、尋常ならない力を宿すらしい。が、代わりに魂だか心が喰われちまう。魂が欠ければ、情も無い……哭きながら逝くだけの羅刹のように成り果てる」
闇での凶変、瞳に走った熱と感触。視界を染めつくした紅の世界。
覚えてはいないが誰かが何かを囁いた気もする。
それに心を染めた高揚感……それが禄には心の何処かで今も残ってる気がしてならないのだ。
「試しに一舐めされたって程度かな。それでも……体は覚えてるだろ?」
「はい……己で耳を傾けた気がします……」
ほんの少し静寂が場を支配、それも束の間、絹が明るく手を鳴らす。
「こんな刀は捨ててしまったらどうですか?」
それに巌が頭を振った。
「そりゃ無理だわ」
「どうしてですか? 坊主様に見つからないよう山深い渓谷や、どこかの洞窟に――」
「そんな事すりゃ持ち主のこいつを喚び続けて、太刀の哭き喚きが現世に妖魔を招き続けるぞ。一月待たずその国は異形が跋扈する冥府に成り果てるだろうさ」
――だったら、方法がない。
さも愉快と酒を飲みながら笑う大男。そんな彼に禄は疑問が湧いた。
「あの……巌殿は、何故そこまで詳しいのですか?」
禄の言葉に巌は何を今更と肩を竦め、そのまま隣の寝室へ赴いてしまう。
やがて丹念に織り込まれた葛と竹枠で出来た横長の葛箱を持って座り込む。差し出され、開けてみろと仕草で示された。
上蓋を取り払い覗きこめば、中に入っていたのは開閉造りの鞘。それが無造作に開いたままで中に納められた刀身が剥き出しになっている。
大太刀と同色の魔刀が納められていたのだ。
「な、なんで……これが……」
五尺位か、太刀と呼ぶには不適切な数枚の刃が重なる一振り。そして短刀のようになっているが、翼が絡まるような装飾宿す中程で折られた〝黒霧″の太刀がもう一振りだ。
「儂も、ソレの担い手だったから」
さらりと言ってのける巌は、さらに持ってみろと指し示す。
同種の折れた刀を握ろうとするが、まるで葛箱の装飾の一部のように持ち上げる事は不可能で、それでも五尺の太刀だけは持ちあげると少しだけ動く。
「折れた魔刀は儂の〝黒霧:双″だ。もう一つは奈奈が所有する〝黒霧:冥″だ。もっとも正式な契約はまだないから、こいつだけは数人で運べば動かせる代物だがな」
あまりの発言に禄は呆気に取られた。
そしてもう一度触れようとした時、「戻った」という可愛い声と共に簾を開けて奈奈が入ってきた。
「お帰り奈奈ちゃん、どこにいってたの?」
絹が優しく出迎えると、奈奈は「麓の里」とだけ言って無愛想な顔を朱に染めた。
随分話し込んでいたらしい、外は既に紅の色が灯り夕闇が迫っていた。
「さっき言ってたな。どうしたらいいのか――って」
「は、はい」
「儂が解るのは、もうお前はその刀と一蓮托生だって事だ。誓いってのかな、お前は声に応え目覚めさせちまった。一生その魔刀を背負う事になるだろう。もっとも、お前が地中に刀身を投げ捨て現世に妖魔を招来、冥府の門を開きたいってんなら……別だがな」
それ以降会話は無くなった。
やがて頃合を見計らい巌は禄の肩を叩くと外へ出ていった。
絹も瞳を伏せ、「夕餉の支度を」と、調理に裏口へ行ってしまう。
動きのままならない体。
必然的に無口な幼子奈奈と向かい合う形になるのだが。
「「……奈奈ちゃんは……今幾つなんだい?」
何となく、突きつけられた現実を忘れたくて、出来る限り優しい声で幼女に語りかけた。
「気安く『ちゃん』付けで呼ぶな。奈奈を呼ぶときを様付けにしろ、こん宿無しが」
「あ、はい、御免なさい。うん……えッ?」
幻聴か? 憮然と瞳を見開く幼女から、傲慢な声が聞こえた。
「あの……今、宿無しって言った?」
「言った。そもそも女に年齢聞くなんて正気か? んなだから二股掛けで悶え苦しむんだよ、こん禄出無しが」
「幻聴じゃないし……それから二股なんてかけてない」
「介抱する女に別の女の名を呟いて泣かしてるだろうが。十分掛けてるわ大阿呆が」
唇を尖らし、無口な幼女が捲し立てた。
「まぁ奈奈の経験上、生涯あの娘や有希奈とか言う娘とは一線を越える事はないね。まずないね。気合も無い、性根も無い。あ、凡夫よ、お前は知ってるか?『此れは葦原醜男と謂ふぞ』って言葉があるけど、あれは強い男って意味だ。だけどお前の場合は文字の通り『蓬莱醜男』だ。そんな男が上手くやっていける訳も無い」
「な――」んだと、と言う間もない。
「情けない男。女を傷つけるなら黒霧で頭かち割って人生終えたほうがいい」
抑揚の無い声であげつらい流暢な速射の言葉。
蔑むように見下ろし口角上げて鼻で笑う。
禄の頭の中で何かプチンと音がした。
「だ、黙っ、黙って聞いてりゃ、お兄さんの恥ずかしい悩みを穿りやがってッ!」
痛みを堪えて立ち上がり、幼女に掴みかかった、途端に胸倉掴まれ、え?――と思った時にはもう遅い。腹に足が掛かり後方へ。二人共々一回転。気づけば天井を見ながら宙を舞い、床に背中から落とされ肺腑の中身が全て漏れだしていた。
能面のような面貌を向けて、その小さな足で禄の顔面を踏みつけた。
踵で捏ねられ、「無様……」見下す眼は嘲弄の一言。
何か追加で言われたが、胸の酷い痛みに意識はゆっくり闇の中へと埋没していった。




