25・下界へ
翳す魔刀を、所持した大鞘へ収めて腰後ろへ横に吊るす。
「お前は以前に比べ少し風体が変わったから、素性が露見する事は無いと思うが……」
乱雑に伸びた髪。色燻む直垂に、腹から顎にまで届く巨大な三日月型の醜い刀傷。
その姿を見つめて巌は言う。
「それでも女を攫って逃げるって事は、結局は騒ぎになりお前の生死も自ずと浮かんでくるやもしれん。さらに兵が雪崩れ込めば必ず村々にも被害は出る。事前に文で火急を報せ、一人逃げてもらうのが得策やもしれんがな……」
「何が最善か、道中でもう一度考えておきます」
「奈奈も、一緒に行って考える」
禄と奈奈は顔を見合わせ頷き、巌も仕方なしとばかりに頷き――
「何で、奈奈がここにおるゥゥぅぅぅぅ――――――――――ッ!?」
幼女奈奈が禄の肩に乗っかっていた。
「可愛い子だから、旅させろ。って言葉がある」
「ちっがぅ、それは親の台詞だッ! いいか奈奈、絶対こいつ危ないから! ボロ雑巾の様に嬲り殺しにされんの見えてるから!? 死相見えるし、行っちゃ駄目ッ!」
「奈奈が背中を守れば、こいつも生存できる、かも」
「いやいやいやいや、もう儂、こいつ諦めたしッ!」
父親の叫びに溜息で応える幼い娘は、やおら岸辺を指差した。
「私が奈奈ちゃんの面倒は見ますから……許してあげてください」
「絹、君まで……」
岸に絹が旅風呂敷を背負って立っていた。
「二人を連れて行ける訳ないだろ絹、ここで師匠と待っているんだ」
「もう奉公人ではない、そう言ってくださいましたよね? 何より、絹にも一人の女として意地という物が御座います。例えこれで禄様を裏切る事になったとしても聞く訳には参りませぬ」
これでって何だ? ゆっくり反らした視線を戻せば、
「連れてってくんなきゃ、この袋を川に流しますッ!」
絹が握るのは、禄が肌身離さず腰紐へ結んでた小さな袋。
「――茜のお守り袋! いつの間に!?」
「早朝発たれるのは解っていましたから、寝てる間にこっそりと預かりましたで御座います。お願いします。戦が始まれば隠れますから。さらに常日頃から錘をつけて野山を駆ける禄様なら、羽のように軽やかな私の体を背負って走るなど造作もない事かと。それに――」
さり気に何かを主張された気がした。
「それに二つの借りが、禄様には私へ返さなければいけない二つの借りがあると思うのです!」
と、絹は唇を菱形にして吼えるのだ。
「借り、一体なにを……」
「一つ! 一年前、湯殿にて嫁入り前の絹の乳房を舐めるように直視、色々しましたッ!」
「なッ!?」
聞いてた巌と奈奈が二人同時に口笛を吹く。
「た、確かに借りだって聞いたけど――って、色々ってなんだ!?」
「二つ! 絹の気持ちを一年前知り得ながら接吻だけで完全ッ放置ッ! それは、まさに、生ッ・殺ッ・しッ! そもそも私はあの女狐が大嫌いです! 死んじゃえって想った事は幾数か。それでも今回は軍隊で総狩り等と余りに惨すぎるから、嫌々伝えたのに……。そしたら血相変えて向かおうとするし、つまりこれって私を捨てるという事で結論完了で御座いましょう!?」
「す、捨てるって……そんな……そういう意味じゃ」
「なら助けるだけだと、それ以外に他意は無く茜様より絹が良ぃ!! そう二人の前で公言して下さいッ!! そもそも、絹が日々どのような心持で過ごすか禄様は……よよよ……」
と、大自然の中で大仰に泣き崩れる。
ついでに背後からはひそひそと話す二人の声。その異様に生温かな《・・》眼差しを無理に避けて、禄は一つの答えを導き出す。
「絹。時が押してる。とりあえず全て保留にしよ――」
――刹那、収穫用の鎌が唸りを上げてすっ飛んできた。「ちょッ!?」寸でで受け取め、投げた絹からの殺気に背筋に冷たいものが落ちていく。
「もう二度と、もう二度と何があろうと生涯離れないと誓いました! ここでみすみす腹黒女に先を越されて! 女として、ああ女として完全成敗されるくらいならッ! 絹はここで恨みの果てに魑魅と化し、禄様の耳元で延々哭き続けて御覧に入れましょうッ!!」
冗談だよな?――と問いたいが、眼が本気すぎて禄は寒気を覚えて震えあがった。
「わ、解った、解ったから! そんな目しないでくれ」
「ほんと……ですか?」
「ああ」と、頷くと、絹は向日葵のような満面の笑顔を向けてきた。
「となると、こっちもか。だったら奈奈、いいか……危なくなったらあいつら見捨てろよ」
「聞こえてますよ師匠。ちゃんと無事、連れ帰りますって」
「儂は全然信用していない」
「ひっでぇなぁ」
ようやく返された守り袋を腰布の裏へ結び、絹を背負うと奈奈が肩に乗り直す。
「では師匠、下界の修行に行って参ります」
一礼すると、〝錬気″を放出、大地を蹴り、〝早駆け″で街道目指して川伝いに駆け出した。
見慣れた景色は瞬く間に遥か後方へ風と消え、咽返るほど満ち溢れた常緑の香りが靄から抜け出るように消えていく。
錘の無い初めての走法。姿勢危なげな岩でさえ足で弾けば、石が落ちる頃には遥か遠くの岩に足はある。風に巻かれる景色に絹は悲鳴をあげ、禄ですら驚かずにはいられない。
山の獣道と違い障害物もない一筋の沢。
幾多の滝を飛び降り、川面を走れば、川を跨ぐ高台の街道が見えてくる。一足で跳ね上がり、蓬莱を目指して直走る。
歩みを進める人々が降って沸いた旋風を訝しめば、振り向く頃には遥か遠く消えていく。
日が暮れる頃、三人は既に蓬莱国の山中へ身を伏せる事になっていた。




