24・八尺超えの黒き妖刀――黒霧・斬、戻る――
――眠る事なく既に三日目の夕暮れが迫っていた。
突然巌が抜き身の真剣を苦も無く素手で掴み、呆気に取られた禄へ言う。
「もう少しで〝残月″の基礎を会得出来そうだったのになぁ。お前少し熱を出してるし、今回はこんなものか……残念だが庵へ戻るぞ」
踵を返し雪山を降り始める師匠の背を呆然と見つめてしまう。
「――ま、待ってください師匠、俺まだ出来ますよ!」
「阿呆かー、お前の熱なんざどうでもいいんだよ! 二人に何かあったらしい。下山するぞ」
巌は如何なる時も生物の気配を感じ取れる。
過去にも絹の帰還を見越し風呂の準備をさせてた事があるのだが。今回もそういう事らしい。
そして予想通り、庵へ着くと絹が血相を変えて禄の懐に飛びこんできた。
「禄様、どうしよう、禄様、まさかこんな――」
取り乱す絹だが、禄の顔を見ると言葉を取りやめ、唇を固く閉ざした。
「どうしたんだ、何があった?」
自分が関係している――それは絹の双眸が語っている。
それでも尋常ならない様子で迷う絹は何を思うか奈奈を見た。
「お姉ちゃん。気持ちは解るけど、言わないと、後悔するよ」
「で、でも話したら……きっと……」
「何の事か解らないけど、それ相応の話なら……俺は動くと思うよ。何より、そういう奴だって事は絹が一番知ってるじゃないか」
その言葉に絹は悲痛な顔を向ける。そして胸元へ顔を埋め、震える声で簡潔にこう言うのだ。
「茜様が……殺されます。それも数日以内にです」
禄も嫌な予感はしていた。でも、これは――
「とりあえず、儂らにも解る様に詳しく説明してみろ。って――手前は飛び出そうとすんな!?」
動く心は蓬莱目指して体を動かすが、厳に力任せに捕まれ倒された。
「今日の昼、里の茶屋で御武家様の話を聞いてしまいました。どうやら蓬莱国の姫神を奉る総鎮守の巫女が、未婚の身で鬼子を宿し出産……近隣諸国へ広まったそうでございます。遥か西方、月泉此の柁西へ向かう兵が、東山道を通る道すがら鬼子母神を討つと名乗りを上げ、蓬莱国司に正式に申し出て、それが受理されたとか……」
「茜……の事なのか? 鬼子母神、討伐?――鬼子ってなんだ!?」
――待つといった……なのに誰と。役人共やあぶれ者から難癖でも付けられたのか!?
「絹、その鬼子母神が、こいつの女の確証はあるのか?」
「は、はい。伺いなおし、その神社の名前を確かに紘翔の社だと……」
「ヒヨッコが話した社に間違いない……か」
「師匠……俺は――」
「ならん! 行かせる訳にはいかんぞ」
「――何故ですかッ!?」
「陀西出兵の手勢なら帝か幕府の檄に応じた者だ。国力総出はないにしろ体面上、かなりの数を送るだろうよ。万が一遭遇して一悶着あったら、今のお前じゃ連続して矢雨されてみろ、単発ずつしか討てない〝風波″じゃ話にならん。最低でもあと三年は修行を――」
「三年! そんなに待ってたら茜は殺されちまう!」
禄の激怒に、普段温厚な巌がまなじりを上げた。
「殺される? だからどうした。笑わせるな! お前を裏切り、どこの馬の骨とも解らん外道の餓鬼を産んだ女だぞ」
「な、そんな言い方ないでしょう!」
「そんな言い方だと!? 事実だろう! しかも生き恥晒し生き続ける女なぞ、魍魎より性質が悪いわッ! そんな奴の所へ大事な弟子を送り込める訳がないだろう!」
世の美徳――と言えば聞こえは良い。
が、幾ら師匠でも許せる訳がない!
激情に任せ喰って掛かかる。しかし、師匠は普段の相貌からは決して見せない紅顔で拳を振りかざしていた。禄は気づけば巨木まで吹っ飛ばされ叩き付けられた。
「お前に授けてる〝錬気″は〝仙丹″へ通じる。仙丹を望む教えの一つに恥ずべき行いをする者を深き罪と成す――その行為が、どれほどの事か今のお前でも解るはずだ!」
「……らない……」
「お前はそんな輩の子を平然で産める女が本当に大事か? あまり言いたくなかったが、よく目を凝らしてみろ! お前を傍らで支え、見守る女はそこに居る。なのにお前は未だ振り向かず、そんな落魄れた女にいつまで執着し続ける気だッ!?」
歩むまま巌は禄の胸倉を掴み、引摺り上げて殴り飛ばす。
それでも、禄は、吹き飛ぶ事無く抗うまま大地を踏みしめた。
「――解らない! 解らない解らない解らないッ! 惚れた女が、再会を望む女が理不尽に死の淵にいる。それを助ける為に修行してきたのに、今使わず何時この力を使えばいいんだ!」
厳が鬼の形相に変わる。
再び胸倉を掴み、もう一方で拳を振り上げる。
それでも禄は眼を反らさず言い返した。
「餓鬼の頃、悲しみに暮れた時があった! 誰も俺に目をくれず、一人塞いだ時、あいつが、あいつだけが俺を抱きしめてくれた。あいつは俺の心を知っても一緒にいてくれたんだッ! 俺だって、絹の心を受け止めたいと思ってる――それでも、俺はあいつを助けたいんだ!」
――茜を、傍で守りたかった。守る為に修行したのに……してきたのに。
「それが最低な――」
「それが最低だって解ってる。でも、待つと言った茜が子を宿すなど相応の事情があったはずだ。自害もせず生き恥晒すならそんな災厄は誰が招いた!? 考えるも無い俺が招いた! それは俺が招いた無力という魑魅だ、だから望んだんだ!それを祓う力、何者にも負けない力、守る為の力を――誰よりも強くなる力をッ!!」
「……お前ッ……」
「彼女に咎を背負わせ窮地へ立たせたなら、俺が命掛けて彼女を守る。それは俺が撒いた魑魅を倒す事に通じるはず。それとも、それすら教えに反する事なんですかッ!?」
放った言葉に、巌も、奈奈も、絹さえも、周囲の全てが静寂に包まれる。
日は没し月明かりだけが照らす世界で、厳は怒りに燃えた顔を、悲痛な面持ちに崩し、また殴った。
ただ、その拳は軽く……でも禄には重くて――酷く、痛かった。
「馬鹿だ、馬鹿だと思っていたが……自ら死に路を往く大馬鹿野郎だったか……」
殴った拳で、今度は禄の頭を握り潰すように掻き毟る。
「解った……よ。なら、その女を掻っ攫って一目散に逃げ帰れ。〝早駆け″を使えば、下界で追いつける連中なんざ、いやしねぇだろうよ」
師匠は一息置き、鋭い眼差しを向け言葉を低く放つ。
「仮にお前がその軍勢と対峙する事になったら遠間だけは避けろ。接近だ。陣形を乱し大将の首だけを斬り落として走り抜けろ! 戦う以上は非情になれよ。眼に映る全てを走り抜け様、斬り捨てろ。気配が今だはっきり掴めないお前じゃ……背後からの矢なり槍なりで殺されるのは明白だ」
頷く禄へ、更に続ける。
「そして旅立つのは明日にしろ」
「――しかし、師匠ッ!」
禄の双眸へ巌は巨大な掌を当る。途端に禄の膝が音も無く崩れ、巌が受け止めた。
「……巌様……」
「早朝に預け物を取りにいかせる。とても助けになるとは思えないが……ないよりはな」
寂しそうな、慈しむような師匠の声が頭へ流れてくる。
悲愴感漂う、これからを予感させる悲痛な声。
薄れる意識の中で心配させてしまった師匠と奈奈、そして今も見守ってくれる絹を想い、ただ心の中で謝る事しか出来なくて。禄はそのまま意識を闇の中へと埋没させていったのだった。
***
――蛍舞う、静かな夜の河原に童子がいる……。
自分と、もう二人。一人は巫女姿、もうひとりは旅娘のような也だった。
忘れもしない唐突に消えてしまった初恋の子。その少女が屈託無く笑い何かを囁いている。
手を伸ばせば、少女が頬を染め後ろで手を組み跳ねて、確かにこう言っていた。
『私、禄の事が好き。大好き!』――楽しそうな言葉が嬉しくて、なのに意識は微睡から引き上げられていく。遠き日に見た往時の薄靄は雫となって頬を伝い、開かれる瞼には、垂木に張られた見慣れた庵の母屋が覗いている。
視線を流せば、格子から漏れる朝日を浴びて絹が寄り添うように眠っていた。
そっと髪を撫でると寝息に喉を鳴らす。
問いたい事は幾らでもある――でも、語られない事に何か意味があるとも思えた。
なら、この問いを口にする事は憚られるのだろうか……。
昨晩見せた、絹の悲痛な面持ち。その真意。
これから行おうとする行いは……本当に正しいのだろうか。
「その娘の為にも……お前は生きて戻らねぇとな」
囲炉裏の向こうで、庵に差し込む青白い陽光を背に師匠が座っていた。
昨夜も纏った蒼衣のまま眉間に皺寄せる意味を悟り、禄は居た堪れず起き上がる。
「儂には解らんよ。お前を見つめ、お前に尽くし、お前を愛おしく思うそいつを袖に、蓬莱へ向かう意味がどうしても理解できんのだ」
それに禄は何も答えられない。
ただ、師匠と庵を出たのはそれから程なく。森を抜け、沢を歩み、一年前に封じた〝黒霧″が眠る場所を目指している。禄はそれが解って一度身震いをした。
やがて、沢に降り立ち、巨大な大瀑布を前に二人で佇んだ。
「儂がやったのを覚えてるな。本当に迷い無く向かうなら、己で拾って来い」
川に入り滝を見据える。
峰々から流れる雪解け水が、巨大な爆音を奏でる大瀑布。流れる冷水は急流となって足元を嬲り温もりを奪い去っては消していく。
体の中で『精』『気』『神』三つの要素を練り上げ合わせ始める。
呼吸に合わせ膨れ上がる〝錬気″を体中で凝縮、あるがまま練り続ければ長く伸びた髪が吹き上がり、やがて全身に満たされる。そのまま〝太刀:蓬莱″の刀身へ伝え、
――一閃――
産み出される風塊が流れを砕き、巻き込む勢いで滝壺に衝突、大瀑布を天空高く押し上げる。
禄はそれを確認する事なく地を蹴った。
水圧で削れた地肌を晒す滝壷へ降り立ち、一年ぶりに柄を目にする。
それを禄は迷いなく引っこ抜く。
飛沫に塗れ朝日の欠片を吸い込み、一年前と何ら変わらない八尺余りの黒の魔刀が、漆黒の輝きを放って再び地上へ刀身を現したのだ。
一足で巌のいる場所まで飛び退ると。
「それがお前の出した答えなら……もう儂は何も言わねぇよ」
「師匠……申し訳ありません」




