21・弱者と認めて、無双へ至る――
絹が先に上がり、禄は既にびしょ濡れと化した直垂を脱ぎ捨て一人湯に浸かっていた。
余韻に浸る訳ではないが考える事が多かったのだ。
僧の事。黒霧の事。修行の事。絹の事。自分次第であわや転落してしまいそうな現状を想い、
行く先の事を考える。
なのに、暗闇から師匠が現れ、豪快に着物を吹き飛ばして全裸になった。
「ヒヨッコォォォ――いや、ワッパァ! 師匠より先に入るとは良い度胸だァァ。それッほど、男同士の裸の語らいがしたかったとはァァ思わなかったぞぉぉォォォ――――ッ!」
咄嗟に出ようと動いたら殺気が背後から突き刺さった。
鋭利な和釘が首筋に宛がわれている。
「何故体から、お姉ちゃんの匂いがする?」
師匠も師匠で、秘部も顕に巨躯を跳ねさせ湯船へ入湯、大量の水が外へと溢れ出す。
「どうした、妙に気が乱れたぞ。何かあったな。甘酸っぱい甘露甘露した想い出を作ったって顔をしてるじゃないか。洗いざらい言え。おじちゃん怖くないから言ってみろ」
顔の前まで無精髭が迫った。
「い、いえ別に……。気が乱れたのは師匠の……を見たからで」
「なんだとぉ、どうせてめぇのはドング……ん、ん? ――ンン!?」
そのまま直視。よりにもよって、
「――っホォォォォ!? 何じゃこりゃぁ、どでけぇ大山椒魚様だッ!? 見てみろ奈奈ァァァァァァ――!! 権現様じゃ、滅多に拝めねぇ大権現様の御光臨じゃァァァァァァァ――――!!」
幼女に見せびらかそうと体ごと吊り上げた。
「正気かアンタ!? 何考えてんだ!?」
「――何も考えてないわいッ!」
物凄い酒気が口臭からした。
「あんた酔ってるな!?」
「言え。何があった? 奈奈師匠には言うべき」
こっちはこっちで何か感づいたか耳朶を齧る。
肩に跨る小鬼を掴み、咄嗟に足で師匠の顔面へ水飛沫、体を捻って腕から脱出。間髪容れず勢いよく湯船へ潜る。突然の事に首に張り付く奈奈の力が緩む。
彼女の足を放って、湯船から出ようと足を掛けたら巨大な腕に腹を掴まれた。
「逃げられると思ってるのか? 師匠と弟子が風呂入ったらやる事は一つだろ?」
禄は泣きそうな顔で判らないとばかりに首を振る。
「師匠の背中、あ・ら・う・よ・な!」
頭から湯船へ落とされる。
結局、巨大な背中とチッコイ背中を同時に洗う事になるのだが。
「まぁ、あれだわなぁ。蓬莱に女待たせてるのに、連れ添いと随分濃厚な事しちまったから呆けちゃってる訳だ……この二股野郎め。いつか非道い目にあっても知らんぞ」
「見てんじゃんか!? 酒盛りか、酒盛りしながら見てたな!?」
「どうよ、娘っ子もお前に惚れてんだろ? 女一人守るのも二人守るのも一緒だぞ。風呂場で行く末に呆けるくらいなら、蓬莱の娘と対で貰っちまったらどうよ?」
「聞いちゃいないし……。あ、いや……いやいやいや、拙いですって。二人選んじゃ――」
「あん? 知らねえのか、上皇や公家の馬鹿どもは側室だか妾だ言って、気に入った女を集めてるっていうぞ。民草が一人だけってのも変だろうよ? 女双方が認めて、お前が幸せにすんなら悪くねぇんじゃねぇか? っておいちゃんは思う訳よ」
突拍子もない言葉に、禄は何と応えていいか解らない。
「まぁ、決めるのはお前だがよ。いいか、漢なら女の十や二十養ってみろっ!!」
巨大な手に湯を取り、人の頭に豪快に掛けて大笑い。
その言葉の一つ一つが重くもあり威風堂々で。
禄は何となく、頼もしくもあり嬉しい気持ちで一杯だった。
何か吹っ切れた思いが嬉しくて、チビッ子の頭を音を立てて洗うと、
「それ、お母の前で言ってみろや」
冷たい言葉に師匠が固まった……。
口を数回開くが言葉は出ず。睨む奈奈を禄に任せたまま湯船へ入って肩まで浸かりだした。
それ以上、師匠は二度と口を開かなかった。
***
「茜様からです……」
帰路を祝う豪勢な食事中、絹は一通の文を取り出した。
上目遣いに優し気な笑顔。それが造り笑顔だと禄にはすぐに見破れた。それでも震える手で受け取れば、幼少から見慣れた懐かしい文字が心を絆させる。
内容は、立札で知った惨劇の夜の事からだった。
異例の速さでの死罪の確定。遅れて付随する侍所での件。そして――
『――やがて蓬莱国の手勢と、激に応じた天武。更には海咬と彌勒の総勢四国による山狩りで、禄と絹姉様が抵抗の末に斬り捨てられたと札が立った時――』
そう記載がある。それをみて禄の眉間に皺が寄った。
蓬莱は解る。公の侍所で凶事が起これば、諸国の体面の為にも兵は上がるだろう。天武領土を侵した以上、天武の名があるのも理解は出来る。ついで逃亡の夜、兵の一人が彌勒と名乗りを挙げたのも覚えている。
けど、「何故、海咬がある……」只ひとり牙影だけは味方だと信じていたのに、あの山狩りに参戦してたかと思うと動揺が隠せない。
文は続き、修行の成就、難を払い無実の証立て。それに伴う帰還。全て待ち続ける――そう、文は締め括られていた。
「私が社に駆け付けた時、茜様は自決を図られていました」
「やっぱりか!? それで茜は!」
「ですが寸でに間に合い蹴と――と、取り押さえ、事の始終つぶさに語りまして心安らがれました。出発の日に私へ文を託され……信じて待っていると言伝を受けました」
「そ、そうか……そうだったのか。絹、ありがとう」
知らず禄は蓬莱の方を見る。いつの間にか、巌と奈奈が手紙を覗き込んでいた。
「蓬莱、天武、弥勒に……海咬か。まぁ、お前が強さを手に入れて、何が変わるのかは儂には解らんが。決してこれ以上不幸にはならんと信じたいもんだな」
厳は無精髭を撫でながら、禄と絹を交互に見る。
自分の置かれた状況と無力さに、今更ながら悔しさが込み上げる。
未だ何も実らぬ思い、擦り付けられた冤罪。
そのせいで大切な人が一刻間違えば今生の別れになっていた。
さらに絹の優しさ――それらを認識したからこそ横たわる災禍が悔しくて。
「俺の無力が、卑俗な輩に隙を与えたんだ」
前に師匠は言った。『発端になった惨劇は仕組まれた』と。仕組まれたのかもしれない、だけど本当に強かったら。自分が師匠や、牙影のようなら。そう考えてしまえば苦い逡巡だけが駆け巡る。
「必ず強くなる……。強くなって、茜も絹も、そして自分も守ってみせる」
「お前が何で〝黒霧″の担い手に選ばれたのかは解らねぇ。偶然かもしれねぇし、縁だったのかもしれん。だけど運は色々な形で転がっている物だと儂は思うぞ」
優しい笑みを讃える師匠が杯をあおる。
「姿形は見えないが、もしも目の前に幸運があると解れば徹底的に拾っておけ、いつか不幸も書き直せるくらい幸運を溜め込んでおけ。そしてお前は儂という幸運を一つ。奈奈という幸運を一つ。お前を支える絹という大きな幸運を得た。さらに遠方でお前の成就を願う大きな幸運もある。お前は必ず幸せになれるさ……なんと言っても仙天郷の厳龍がお前は鍛えるんだ、徹底的に強くしてやるよ」
師匠が力強い腕で頭を毟る。
出した結論を心の中で反芻し、格子窓へ視線を流せば、大雨に包まれる庵の中へ、どこからだろう一際大きく哭く大鷲の声がはっきりと聞こえる。
それは、いつかどこかで見た大鷲の声に思えたのだった。




