19・妖魔にも勝てない巫女の彼氏は、幼女にも勝てなかった。ただいま、巫女にも妖魔にも幼女にも狸にも勝てない無様雑魚男。
仙天郷から絹が旅立ち、ひと月が経った――
禄はといえば、せめて睡眠くらいは安息を得ようと、心穏やかな夢を求めて足掻いてみたが、割り込むように奈奈が現れ顔面に飛び蹴りを喰れてきた。慌てて目を覚ませば奈奈のへの字顔が見て取れた。
「師匠が目を覚ますより早く起き、清掃、洗濯、朝餉の支度。巻き割りに素振りの鍛錬まで収めるのが弟子の務めでは御座いません事かしらですわ?」
綺麗に梳かれた髪を揺らし、珍妙な言葉を使う幼女様。
「解りました奈奈……師匠。明朝は私めが必ず起こさせ……っ……あぅ~……」
欠伸混じりに返せば、眉間に皺寄せ拳で殴られた。痛みに悶える間もなく外へ蹴り飛ばされる。どうやら今日も熱い一日が始まりそうだ。
「やっと起きたか。って何て格好だ。とりあえず奈奈と跳ねてこい。朝餉の後は、そうだな。今後の食料事情の為に、田植えや開墾もしてもらわにゃならん。やる事は山積みだぞ」
掴むだけで薪を縦割りする師匠が豪快に笑う。
「あ、これを造ったから背負ってけ」
何処から持ってきたのか背負い籠。中には正体不明の滑りを帯びた赤黒の鉱石が数個。絶対まともな物じゃない。事実、受け取った途端に大地へ落とした。
「重!? な、なんですかこれ!?」
「まぁ……いいから行け。奈奈がすっげぇ顔で睨んでるしよ」
刺し示された方を振り向けば、額に何かがぶつかった――落ちる寸でに涙目で受け止めれば小さな桜桃が掌に収まる。
「馬鹿禄、修行だ! 登るぞ、いくぞ!」
「何で俺よりやる気になってんだよ!?」
大樹の上から既に臨戦態勢。溜息混じりに籠を背負えば肩が悲鳴を上げてくる。それでも砕ける腰を正して大樹に指を食い込ませた。
全てが昨日と同じだ。枝へ辿り着けば、鼻で笑う奈奈が隣木へ移り、さらに重みで枝は折れて一緒に落ちる。幼女の嘲弄に歯を食いしばり、再び這い上がり追いかける。
――旅立った絹は無事だろうか。
不安は尽きないがやる事は山積みだ。追って落ちて、逃げられて。気づけば早朝の修行は終わっていた。
朝餉を食べ終えた後、沢の近くで田が作れそうな場所を奈奈から教わり、鉞で木を切り倒す。
「この場所なら水も引ける、沢が荒れても被害でない。後は禄次第で作物も育つから頑張れ」
「何だかんだで……面倒見いいよな……お前」
「師匠と呼べ朴念仁。気づくのも遅い。奈奈は良い師匠、お前の出来が悪いだけ」
一体どこからどこが修行なのか一日も終盤。
桶で水汲みを繰り返せば、遅々として進まぬ作業に日が暮れた。
そんな焦りに捉われた頃。
暗くなる森の中で、どこからか幼女の笑い声が聞こえてきたのだ。
「嘘だろ……あの仏頂面に笑い声だと!?」
禄が茂みを掻き分け赴くと、森の一角、拓けた場所に出た。
しかも夏の夜に舞う蛍のように、闇が染め上げる森一面に光の粉が舞い踊っている。広場の中心に奈奈が座り、両の掌から光を溢れさせて何かを蒔いていたのだ。
その幼女の前には多様な森の動物が座っている。
「す、凄い、人を怖がらないのか?」
意を決して禄が出て行くと、奈奈が動物の頭を撫でながら言う。
「甲斐性無しにも見えるよう強めに放出した。この光が〝錬気″の具現化された姿だ」
「こ、この光……奈奈が、あ、いや奈奈師匠が出してるのか」
「覚えとけ。〝錬気″が練れると、使い方次第では……生き物を操る事も可能だ」
「成程、これで操……え?」
何か不気味な事をのたまう幼女。
「ついでに奈奈は魍魎の気も操れる」
突然奈奈が飛び上がり、禄の胸元に四つ這いで獅噛みついてきた。
「何を――」と問う前に、禄は全身の毛が逆立つ。
奈奈の瞳の奥に漆黒の闇が渦を巻き、それは紫闇へと色彩を灯した――何故!?――と、唇すら動かない。
――あり得ない! だが覚えている!? 忘れる訳が……ない。
過去に幾度もあった闇漂うモノの眼差し。それが奈奈に見える。
だが、それは瞬き程。程なく小狐のような無垢な眼差しが揺れていた。
それでも、その一刻から導き出されるのは――
「そういう事。普通の人間が魍魎に堕ちる者を助けられる訳ないじゃん……」
闇漂……なのか――と唇は動かない。全身が震えていたのだ。
「半分だけね。その証拠に、お父は普通でしょ。そんな怖がんなよ。あの時、眠ってた時と同じ事するだけだ。取って喰いやしないから」
人の鼻先に小さな鼻頭を摺り寄せ、一舐めする奈奈が禄の直垂を掴む。妖艶な手つきで巻いた布をはだいて、醜くも酷い傷口に幼女が舌を這わせていく。
嬲る唇が傷口から何かを吸いだして。
「やっぱりな、まだあった」
その意味は最初禄には解らなかった。
「こ、これは――」
「瘴気が修行で得た力を阻害してたんだ。これで明日から少しはマシになるかな」
シュルシュルと確かに何かを吸い出していく奈奈は、やがて何事も無かったように飛び降りると、そのまま鼻歌交じりに闇の中へ消えていく。
禄は、今起きた現象に呆け、自分の体が今一体どうなっているのか考えながら、しばらくその場を動けないでいたのだった。




